ドロップス 幸せの飴 第二話02
車で10分程度行くと、河川敷のそばにその畑はあって、そのわきは、結構広い駐車場になっている。驚いたことに、畑だったところには、門ができていて、入場料を取っている。門のところには、池沢ガーデンと看板もかかっている。何人ものスタッフらしき人がいて、お客さんたちに対応していた。呆気に取られていたが、責任者の人に話を聞けるようお願いをして待っていると、中年の女性がやってきて話を聞くことができた。
「玲子さんは、もう1か月ほど、お見えになっていませんけど、お元気ですか?」
3人で顔を見合わせて、あいまいに返事をして、今、この畑は何をしているのか尋ねた。
「3年前に、このガーデンをNPO法人にして、営業しています。けっこう人気なんですよ。最初は、玲子さんはお金を取ることを考えていなかったのですが、3年前頃には、あまりに大勢の方がお見えになるようになって、ボランティアだけでは、すまなくなってきていたんです。私も最初は、見ることを楽しみに来ていたのですが、結局、見るに見かねて手伝うようになって。玲子さん、良い人ですもんね。それが、3か月ほど前、この土地を法人に寄付するって言いだして、驚きました。その上に、私はここから、卒業させてと仰って、本当に驚きました。お元気ですか、玲子さん?ほかに興味を持つことができたからっておっしゃってたから、お忙しいんでしょうが、遊びに来てくださるように伝えていただけますか?」
反対に、尋ねられて、苦笑するしかない。こんな広い場所に、一人で庭を造って楽しんでいたのかと思うだけでも、驚きなのに、NPO法人化して経営していた。その上に、丹精してきたこの土地を、執着することなく手放していたなんて。息子たちも、私も、黙って車に乗り、黙って帰宅した。それぞれが思っていた妻とは、母親とは違った一面を見せられて、あまりの行動力に、驚いていた。だから、今現在の「玲子が」「母が」何をしているのか、どこに居るのか、まったく想像できないでいた。
長男は、少し調べてみると言って福島に戻っていった。次男は、部屋の汚れようを見て、
「親父、母さんは帰ってこないよ。帰ってくる気があったら、あの畑手放さないでしょ。きっと」
「もう、週末の彼女と暮らせば。365日!」
突き放すように言って、帰っていった。
瑠美子のところへは、もう1か月行っていない。最近は、あきらめたのか電話もかけてこない。いろんな意味で、宙ぶらりんな自分の気持ちを持て余している。留美子に、玲子がいなくなったことを告げるべきかどうか。本来なら、喜んでいるべきなのだ。つい1か月前までは、週末の暮らしが本当の暮らしだと、私は思っていたのだから。それが、居なくなって初めて、玲子のことを考えるようになって、やはり、離婚届を出す前に、玲子と話したいと強く思うようになっていた。
玲子がいなくなって3か月目に入った週末、やっと瑠美子に事情を話した。そして、瑠美子は泣いた。
「やはり、私は、どうでもいい女なんですね。」
瑠美子の気持ちは痛いほどわかる。ずっと、日のあたる場所にはいられない生活を強いてきた、かわいそうな女だ。その瑠美子に、今の、自分の気持ちを理解させるのは難しい。
「玲子、君はどこに居るんだ。」
あれ以来、瑠美子ともぎくしゃくして、なかなか足が向かないまま、夏が過ぎて行こうとする9月、妻がいなくなって半年が過ぎたある週末、北海道帯広にあるホスピスから連絡があった。玲子が一昨日亡くなったと言うのだ。私は、この半年、玲子との32年を必死になぞって来た。玲子との少ない思い出を手探りでなぞり、嫌という程、玲子の愛情を思い知らされてきた。そして、消息の分からない玲子に、これから幸せになってくれと考えられるようになってきた矢先の結末が、玲子の死だったとしたら、私は、玲子に何もしてやれていない事になる。
動物園の猛獣の如く、部屋を行ったり来たり、何も考えられないまま、首を振り続けていた。
「嘘だろう。嘘だと行ってくれ。」
どれほどの時間がたったのか、もうあたりが明るくなって、カーテンの隙間から光が差し込んでいた。
「とにかく、そのホスピスに行かなければ。」
「雅史たちにも、連絡しないと。」
重い腰を上げて、のろのろと動き出した。
帯広空港について、タクシーでホスピスの名を告げた。タクシーは、広大な畑の中を走っていく。どこまでも果てしなく続く直線道路を走っていく。本当に玲子のところへ、たどり着くのかと心配になりだしたころ、前方に、日高山脈が見えはじめ、タクシーは丘を下りだし、その先のジャガイモ畑の向こうに、白い建物が見えた。
「お客さん、あれがホスピスの建物ですよ。」
北海道の秋は早い。ホスピスの建物の周りの木々は色づき始めていた。それでも、私には名前は判らないが、紫やピンク、白と言った花々が咲いていて、玲子らしいなと足を止めて眺めていた。ここまで急いで来たのに、実は、建物の中へ入りたくなくて、ぐずぐずしていたのだ。玄関先で立っている私に気づいたホスピスの職員が、声をかけてきた。
「どなたかのお見舞いですか。」
「いえ、違います。」
「では、何の御用ですか?」
「池沢玲子の身内のものです。」
あっと声をだして、急いで中へ案内された。
少し待たされて、担当の医者と話をすることになった。その医者は、私のことを知っていたらしく、応接室に入って来た時に驚いていたが、いかにもホスピスの医者と言うような穏やかな雰囲気で、静かに話し出した。
「一年前に、ご家族をと言った時に、私のことですからと、一人で診断を聞いたと、紹介元の先生が仰ってました。」
「気丈な方ですね。ここへも、お一人でいらっしゃいました。誰一人、お見舞いにくる人もいらっしゃらなかったです。すべて覚悟して、ひとり静かに、穏やかな日々を過ごされていらっしゃいましたよ。」
「玲子さんは、素敵な人ですね。いつもにこやかで、このホスピスで人気者でした。」
「たわいない日常の会話の中にも思いやりがあって、誰しも玲子さんと話したくなるような方でした。こういうところに勤務していても、玲子さんのような方にはなかなかお会いできません。たくさんのことを教えていただきました。」
一度、話を中断して、その医者は目頭を押さえた。そして、ふたたび話し出した。
「缶に入ったドロップス、覚えていらっしゃいますか。玲子さんから伺いました。お母さんを亡くした8歳の夏、貴方にいただいた缶だそうですね。大切に持っていらっしゃいましたよ。」
「知らないお兄ちゃんが、元気が出る飴だよと、くれたの。不思議ねえ、そんなことで本当に元気が出てくるものなのよ。」
「うれしかった。 ほんとうに、うれしかったの。」
玲子さん。にっこり笑って、そして、ドロップスの缶をカランカランと振ってくださいました。
「先生も、元気出してね。」
お読みいただきまして、ありがとうございました。
玲子は、誰にも告げず、北海道のホスピスにいました。
それが判ったときには、玲子は両親の元へ旅立っていたのです。
次回は、玲子のお話です。
どうぞ、よろしくお願いします。
最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第23回 ドロップス 幸せの飴 と検索してください。
声優 岡部涼音が朗読しています。
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