ドロップス 幸せの飴 第二話01
息子たちが初めて知る、母の過去。玲子は、自分の過去を、幼い日の思い出も、息子たちには話していなかった。
「母さん、子供の頃も大変だったんだね。」
和樹が、しんみりと言った。
妻の玲子が突然いなくなった。正確に言えば、離婚届と「週末、貴方といらっしゃる方を正式な妻にして差し上げてください」との手紙を残してだ。
あれから1か月が過ぎた。まったく消息がつかめないままだった。今日は、少ない情報を持ち寄って、今どこに居るのか考えてみようと、雅史と和樹がやって来た。
「一度だけ泣いてる母さんを見たことがある。家のことで忙しい母さんだったけど、暇を見つけて庭に花を植えていただろ。学校から帰って来て、チャイムを鳴らさずに、庭の手入れをしてる母さんを驚かそうとそっと家の角からのぞいたんだ。口に手をやって泣いていた。びっくりしたよ。いつも明るい母さんが泣くなんて。なんか見てはいけないものを見たような気がして、そのまま後戻りした。そして何もなかったようにチャイムを鳴らしたら、母さんは笑顔で、お帰りーってね。その元気さが子供心に悲しかった。」
「まあ、今日、ここへ来たのは、愚痴を言いに来たわけじゃないからこの辺でおしまいにしよう。今更だからね。母さんの消息をつかみたいから、3人で、少ない情報を持ち寄って何かつかめたらって思ってさ。」
雅史の話はすべて、妻の切なさが益々浮き彫りになって、自分だけがのうのうと32年を過ごしてきたと耳が痛い。そして、心が痛い。
和樹「母さんの親戚は?」
茂幸「知らない。私と結婚するときには、両親を亡くした後だったことしか知らない。」
和樹「母さんは、どこで暮らしていたの?」
茂幸「北海道さ。そういえば、私も一度だけ行ったことがある。」
十勝地方の村だった。夏休み、親父たちと旅行に行った時、古い友人がここで暮らしていると言って、立ち寄ったら、その友人の奥さんが1週間前に亡くなったと言うことで、親父たちも慌てていた。親父たちが話している間、ぶらぶらと辺りを散歩してたら、女の子が泣いていて、迷子かと話を聞いたら、その友人の娘だった。
まだ小学生だったから、寂しいだろうと同情した。函館でも、親父の知り合いと会った時、その人に缶に入ったドロップスをもらって、
「子供だましじゃないか」
と、高校生だった私は、カバンの中に突っ込んでいたことを、ふと、思い出して、気まぐれに、缶に入ったドロップスを一つ、つまんで、
「これは、魔法の飴さ。なめると元気が出るよ。」
と言うと、驚いた表情をしていたが、そのうちに、にっこりしてあーんて大きな口を開けた。私も調子に乗って、
「元気になーれ」
って、口に入れてやったら、クスクス笑って、
「うん。元気出た。」
て、言った。その顔が可愛くて、けなげで、そのまま、缶ごとドロップスを渡した。
「母さん、子供の頃も大変だったんだね。」
和樹が、しんみりと言った。
「あっ!」
和樹が突然キッチンのほうへ行って、食器棚を開けた。
「無い。ドロップスの缶がない。」
「ドロップスの缶て、なんだよ。」
雅史も、キッチンへ行きながら、和樹に聞いた。
「思い出したんだ。僕が小学生のころ、何か料理をしたいとせがんで、夏休みに母さんと料理した時のこと。」
「それで?」
「何の料理か忘れたけど、完成して、食器棚からお皿を出してって母さんが言うから、自分が初めて作った料理だから、特別なお皿が良いと思って、普段使っていない上の段の食器を取ろうと棚を開けたら、そこにドロップスの缶があって、何気なく手に取って振ってみたんだ。そしたら、母さんが、ぱっと缶を僕からとって、エプロンにしまった。その後は、何もなかったように、お皿に盛りつけて、二人で食べたけど、
『美味しくできたわね。』
なんて、母さんがごまかすから、僕は、その缶が気になって、食べたくもないのに、
『母さん、さっきの飴、ご褒美にちょうだい。』
と、言ったら、母さんの顔が苦しそうにゆがんで、泣きそうになっていることが子供の僕にもわかって、思わず、
『うそ。別に食べたくないから。母さんが、食べていいよ。』
なんて、支離滅裂なことを言って、あわててキッチンを出てしまった。
それでも本当は、その缶が気になって、母さんのいない時にそっと棚を開けて手に取ったことがあった。そうとう昔の缶だと言うことは判ったけど、1個だけ飴が入っていて、振るとカランカランと鳴った。たまに思いだすと、こっそり缶を見に行ったけど、缶には、ずっと飴が1個入ったままだった。中学に入り、その後いつの間にか、缶のことは忘れていた。」
雅史「父さんに貰ったドロップスの缶だったんだね。きっと。」
和樹「この棚にないところを見ると、母さん、あの缶持っていったのかな。それとも、この家出るとき、処分したのかな。」
沈黙が続いた。
誰もが、玲子の悲しみを、苦しみを、見て見ぬふりをしてきたと、後悔した。誰もが、玲子に甘えて、生きてきたと、後悔した。それぞれが、玲子を、母を、思った。
どのくらいたっただろう、雅史が話し出した。
「今、北海道にいるかもしれないね。」
その言葉に、助けられたように和樹が、
「父さん、具体的にどこの村だったか覚えてない。」
「そうだな。帯広から今は廃線になった広尾線と言う列車に乗って、どこで降りたんだっけな。」
タブレットで地図を出して、帯広から南のほうにある村を調べてみる。
茂幸「中札内村だ。思い出した。」
和樹「中札内村って、ガーデン街道って言って、今、北海道でも人気のところだよ。」
雅史「母さん、花が好きなんだから、そこかもしれないね。」
和樹「そういえば、こっちでかあさんがやっていた畑はどうなっているのかな。」
茂幸「畑?ああ、10年前、おふくろが死んだ後処分しようとしたら、あの土地を自分にくださいって言われて、玲子の名義にしたんだったな。」
茂幸「あの時は、驚いたよ。何かを要求することなんてなかったからね。」
和樹「今から行ってみる?」
雅史「そうだね。何か手掛かりがあるかもしれない。」