表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドロップス 幸せの飴  作者: 風音沙矢
2/6

ドロップス 幸せの飴 第一話02



 次男が帰った後、すかさず、長男のところへ電話を入れた。

「何、どうしたの。父さん、俺の携帯番号知ってたの?」

知る訳がない。妻のメモ書きに、息子達の連絡先が書いてあったのだ。今、長男は、福島にある地域医療センターに勤務していることは知っていたが、息子と連絡を取り合うことはないと思っていた。

雅史まさふみ、母さんがどこに行ったか知っているか?」

ちょっと、間を置いて、長男が話し出した。

「そう、そんなことになって居たんだ。母さんは、僕には、何も言ってくれていないよ。

でも、父さんから聞けば、そうか、そうだろうな。と、納得するだけさ。」

少し、沈黙があって、ぽつりと言った。

「探さないでくれってことだよね。」


 それ以上は言葉にならないのか、そのまま黙ってしまった。私も、言葉を失っていた。後悔なのか、脂汗が背中を流れた。夏でもないのに、汗が身体中から噴き出して、震え出した。なんなんだと、憤って(いきどおって)いたのに、急に、喪失感に囚われて、目の前が真っ暗になって、倒れこむようにソファーに座った。ソファーに座り、ウイスキーを飲んでいると、さっきから、携帯電話が鳴りっぱなしだ。瑠美子からだ。電話に出る気にならず、そのまま放置して、テーブルの離婚届を何度も手に取り、また、置いている。玲子は、この32年、何を思っていたのだろう。ふと、昨日の晩の風呂を思い出した。


 この2週間、いやと言うほど玲子がやってくれていたこと、そして、自分と言う人間は、生活者として不能だと言うことを思い知らされていた。風呂でさえ、自分では思い通りに満々と湯が張れないのだ。玲子は、どうやっていたのだろうとこんな時も思い浮かべてしまう。昨日も、給湯器のリモコンを操作して、そこそこの湯を張り、湯をつぎ足しながら温まり、身体を洗おうとしたら、石鹸がもう無くなりそうだと気づいて、洗面所の棚を開けたら、また、メモが入っていて、

「ご存知だと思いますが、貴方は、少しアレルギーがあります。刺激の弱いものを何年も使ってきましたので、気をつけてくださいね。石鹸もシャンプーも、あと2本ずつありますが、それが無くなったら、ここに書いてある会社から、注文してください。面倒がらずに、石鹸もシャンプーも、何時もの物を使ってください。お願いします。」

自分が出て行った後のことも、細かくメモを残していた。そして、改めてメモを見た。きれいな字だ。丁寧に書いてある文字がやさしげである。玲子が、こんな字を書くことも知らなかった。

「ここまで、心配してくれるのなら、出て行かなくても良いだろうよ。」

いなくなって初めて、玲子を愛おしく思った。


 32年前、突然、両親は玲子をつれてきた。そして、この子と結婚しなさいと言うのだ。父も医者だった。そして母も医者だった。それぞれ大学の教授で先進医療を研究しているような人たちで、同じ医者になってみると両親のすごさを改めて思い知らされていたから、なぜか反論できない自分がいた。そのうっぷんをすべて、玲子に向けてきたように思う。それでも、妻は、明るく笑顔で私に接していたから、両親に取り入ってのこのこと池沢の家に入り込んだ厚かましい女だと思っていた。当然、好きになれなかった。瑠美子のほうが、わがままを言って怒ったり、すねたりと何倍も可愛げがあった。私は、瑠美子との生活が、本当の自分の生活だと考えるようになって行った。


 それでも、玲子は、何も言わず、この32年、二人の子供を育て、私の身の回りのことすべてを、まるで自然に流れて行くように、世話を焼いていてくれていた。そして、週末の金曜日の朝も、にっこり笑って送り出してくれていた。日曜日の夕方も、にっこりと笑って、お帰りなさいと言っていた。それは、バカで気づかなかったからではなく、すべてを受け入れていたというのだ。


 玲子がいなくなって1かひとつきが過ぎたころ、雅史から連絡があり、週末に一度こちらに来ると言う。なにも手掛かりがないまま、玲子のメモを頼りに何とかやってきた。

「Yシャツのクリーニングは?」

「Yシャツは、12枚あります。1週間分まとめて出して、次の1週間分をもってお店で交換してください。」

「ゴミは、どう分別するのか? 何時、どこへ出すのか?」

「燃えるごみは、月曜と木曜です。資源ごみは、火曜です。その他のごみは、金曜です。家の右側の交差点の角に、ごみの収集場所があります。」


 困ったときは、メモを確認して対処しているが、限界も近づいている。そして、メモの最後の言葉を読み返す。

「どうか、意地にだけはならないでください。少しの間は、このメモが役立つだろうと思い書きましたが、週末、一緒に暮らしてきた女性の方のことを大切にしてください。30年の長い間、私が貴方をお借りしていたのです。本来なら、その方が本当の奥様であったはずなのですから。」

「意地か………意地では、ないんだけどね。」


 まったく、独り言が良く出る。笑うしかない。

「意地じゃないよ。瑠美子と結婚するにしても、一度、玲子、君と話をしなければ、次へは進めないんだ。」

いくら、親から押し付けられたとしても、やって良いことではない。玲子にとっても、瑠美子にとってもだ。私は、最低の男だった。そして最低の父親だった。こんな当たり前のことに、今はじめて気づかされているのだ。情けない。


 週末、雅史と和樹が、やってきた。

「どう、一人暮らしは? 親父もしぶといね。もう、白旗振って、再婚しても良いんじゃない。」

おどけた風に、和樹が言う。雅史は少し、苦い顔をして

「一度も、母さんを、そして僕たちを顧みようとしなかった父さんだから、同情はできないよ。」

「父親不在でも、寂しい思いをしなかったのは、母さんの愛情の賜物だよ。今、息子を持ってその大変さをつくづく感じてるよ。僕は、母さんを見てきたから、かみさんをできるだけフォローするようにしている。当然、僕のわがままで、東京の病院から福島の田舎の医療センターへ出向しているわけだから、相当不満はあったと思う。福島へ来て良かったと思えるように努力しているよ。かみさんの苦労を思いやれる人間で良かったと思うし、そう、育ててくれた母さんに感謝してるけど、やっぱり不幸だよ、父親不在はね。物理的にはどうでもいいことだけど。精神的にはさ。」


「うちのかみさんを見ていて、母さんが家族に対してやって来たことの1/10もやれていないだろうと思うよ。でも、それは当然さ。母さんは神様みたいな人だもの」

「神様みたいな人だったけど、一度だけ泣いてる母さんを見たことがある。家のことで忙しい母さんだったけど、暇を見つけて庭に花を植えていただろ。学校から帰って来て、チャイムを鳴らさずに、庭の手入れをしてる母さんを驚かそうとそっと家の角からのぞいたんだ。口に手をやって泣いていた。びっくりしたよ。いつも明るい母さんが泣くなんて。なんか見てはいけないものを見たような気がして、そのまま後戻りした。そして何もなかったようにチャイムを鳴らしたら、母さんは笑顔で、お帰りーってね。」


「その元気さが、子供心に,悲しかった。」





最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。

よろしければ、「ドロップス 幸せの飴」の朗読をお聞きいただけませんか?

涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第21回 ドロップス 幸せの飴 と検索してください。

声優 岡部涼音が朗読しています。

よろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ