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ドロップス 幸せの飴  作者: 風音沙矢
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ドロップス 幸せの飴 第一話01

今までにはない形の「愛」のお話です。

最後まで、読んでいただければ、うれしいです。




 玲子は、30年以上暮らしてきたこの家を、誰にも告げずに出て行こうとしている。

 しんと音ひとつしない、寝室も、巣立っていった息子たちの部屋も、義理の両親たちが使っていた東側の離れも、もう一度戸締りを確認して、リビングへ戻ってきた。それからキッチンの食器棚の左奥の隅にずっと置いていたドロップスの缶を手に取り、一度カランカランと耳元で鳴らしてから、大事そうにバックの中にしまった。玄関で靴を履いて、もう一度振り返って、深々とお辞儀をした。



 妻の玲子が突然いなくなった。正確に言えば、離婚届と「週末、貴方といらっしゃる方を正式な妻にして差し上げてください」との手紙を残してだ。昨日の土曜日、下の息子の結婚式があって、いつも通り、言葉少なではあったが、ニコニコと親戚や仕事関係で式に出席してくださった方々に、私の後について挨拶していた妻である。その後は、毎週末、ここ30年通っていた瑠美子の家に昨日今日と過し、夕方家に戻るといなかったのだ。昨日そのまま家を出たのか。今日出ていったのか、私は、瑠美子の家から式へ向かっていたから、判らない。


「週末、貴方といらっしゃる方を正式な妻にして差し上げてください」

あの手紙からすると、何時から、私と瑠美子のことを知っていたのだろう。30年も気づかずに、バカな女だと思っていたが、本当は、何を考えていたのか、玲子は。

「まったく、訳が解らないな。」

チッと舌打ちをして、キッチンへいく。ウイスキーでも飲もうと思ったのだが、私は、ウイスキーが何処にあるのか知らなかった事に気づいて、もう一度舌打ちをした。それでも気を取り直して、

「まあ、探せば判るだろう。」

と行ってみると、すべての棚にメモが貼ってあり、ご丁寧に流しの横には、手紙が置いてある。


「すみません。生鮮食料品は、ありません。ただ、あなたがお好きな、船屋のつくだ煮と河村のお漬物は冷蔵庫に入っています。もし、飲んでお帰りになっていらっしゃったなら、冷凍庫にご飯が有りますので、お手数ですがレンジで3分ほど温めて、召しあがってください。お酒でしたら、後ろの棚にメモが貼って有りますので、ブランデーやウイスキーを探してください。舟屋の佃煮も、河村の漬け物も、上野百貨店で購入しています。ワインは、駅前のみはしで何時ものワインと言っていただけたら届けてくれます。………。」

細々と、私の好きな物の購入先が書いてある。用意周到なことにも、腹が立ってきて、

「私は、レンジの使い方を知らないんだぞ。」

誰もいないキッチンで、怒鳴り声をあげた。


「もう、いい。」

酒を飲む気分がそがれて、シャワーでも浴びようと風呂へ行くと、浴槽にはお湯が満々と入っていた。一度寝室で着替えようと入って行くと、こちらにもクロゼットや引き出しに、メモが貼られている。そう、私はひとりでは何も出来ないのだ。この32年、玲子にすべて面倒を見てもらっていた事に、改めて気づいた。他人は、だらしないと笑うだろうが、あまりにも帰宅してから、ベッドに入るまで、自然に流れて来たから、考えたことがなかった。

「これは、私へのしっぺ返しのつもりか?」


 忌々しい気分で風呂へ行く。バスローブを脱いで、ざぶんと勢いよく湯船に入った。子供みたいだが、お湯がざあっとあふれて行くさまを見ることが好きなのだ。もうもうと湯気がこもる。そんな中、ゆっくりと風呂に浸かる。だから、いつも、もったいないくらいの湯が浴槽に入っている。玲子は、何も言わずとも私の好みを理解していたのだ。

だんだんと気分もほぐれて、

「あまり考えずに、今日は寝よう」

と、思い切りよく浴槽を出た。


 玲子が居ても、静かだった。だから今の静かさは変わらないと思うのだが、空気がシーンと冷えて行くような静けさなのだ。ベッドの中で、今、何が起きているのか、これからどうすれば良いのかを考えようとしても、まったく考えられないまま、いつの間にか眠ってしまった。そして、目覚ましがジリジリなって驚いて起きた。気が付けば、今まではなかった目覚まし時計が、サイドテーブルの上にある。

「私が起きられないと思って、目覚ましを用意したのか。」


 いつもは、玲子が起こしてくれた。一度では起きない私を、根気よく起こして居たのだ。

「目覚ましは、利いたよ。玲子。」

居ない、玲子に話しかけている。ろくに会話もなかった玲子に対して、居なくなった昨日から、何度話しているのかと苦笑いした。とにかく、出勤しなければ。サイドテーブルのメモを頼りに、Yシャツや靴下を見つけた。

「まったく、いつまでこんなことさせるんだ!」


 すべて、後回しにして、2週間が過ぎた。この週末もどうしても、瑠美子の所へは行く気にならず家にいると、チャイムがなって、慌ててドアを開けた。勢いよく開けたドアの向こうにいたのは、次男の和樹と嫁の香織さんだった。新婚旅行から帰って来て挨拶に来たのだと言う。

「あれ、親父かよ。珍しいね。出勤じゃないの。」

少し、皮肉めいた口調だった。そう、私は、この30年、金曜日から日曜日の朝まで、病院の宿直をしていることになっている。玲子は疑いも無く信じていると思っていたのだ。2週間前までは。


「母さんは?」

「こっちも珍しいね。たいがい、家に居るじゃないか。どこへ行ったの?」

返事を出来ずに黙っている私に、

「もしかして離婚? まあ、そんな事ないか。」

冗談のつもりで言ったのだろうが、私の顔色が変わった事でバレてしまった。

「そうだよね。母さんがいたら、こんな状態には、なっていないよね。」

雑然とあちこちに散らばっている洋服を見て言った。

「兄さんは、知ってるの。って訳ないか。親父、混乱してるんだろう。少しかわいそうだけど、笑える。きっと母さんは帰ってこないよ。親父、覚悟して、離婚でもなんでもしたら良いよ。これからは、週末の女性の人と仲良くやって。」

「えっ!なんで、お前が知っているんだ?」


「判るでしょ。同じ医者ですよ。30年も金曜から日曜まで宿直だなんて無理がありますよ。まして月曜から金曜まで平常勤務なんて、昭和じゃないんだから、そんな勤務体系ありませんよ。兄さんだって知ってますよ。当然、母さんだって知っていたはずだから、僕を早く結婚させて、親父から解放されたかったんじゃない。でも、おかしいなあ。僕にはなんで知らせてこなかったんだろう。結婚式とかで忙しいと気遣ってくれたのかな。」

平然ときつい事を言って、母さんがいないんならと、さっさと帰っていった。





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