003:異世界プロローグ
季節は夏なのだろうか。
照りつける日差しが暗がりに慣れた目に強く焼き付き、なかなか離れてくれない。
と――そんな中でも、俺は感動を覚えていた。
見渡す限りの、大小様々な中世ヨーロッパ風の建物。コンクリートほど頑丈ではなさそうだが、それでも建物一つ一つの風格が日本のそれとは比べ物にならないほどに荘厳だった。
「これが、異世界……」
中央に噴水が設置された、直径20メートルほどの大広場。その隅に置かれたベンチに座りながら、周囲の景観を眺める俺は感極まっていた。
裸足だった俺がアルカナから借りたこの靴は、獣臭さの残る動物の皮がそのまま使用された既製品らしい。職人による非科学的な手作り感に加え、肌に当たる鱗のようなゴツゴツとした感触。それは別世界に来た実感をさらに高めさせてくれて、自然と瞬きが多くなる。
横では、同じくベンチに腰を下ろしたアルカナが安心したような表情でこちらを見ていた。
「さてさて、感想はどうですか?」
「いや、なんだ……いざ来てみれば、なかなか悪くなさそうなところだなーって」
「そりゃそうです。双葉さんの世界では到底お目にかかれないものがたくさんありますからね」
行き交う人々は、尖った耳を持つエルフに、逞しいヒゲを生やしたドワーフ、首から上が完全にトカゲの竜人など――人間という一つの種族のみにとどまっていない。
まごう事なきファンタジー世界。
ここまで異世界が異世界してるとは思わなかったため、俺の心臓の鼓動はさっきから高まりっぱなしだ。
と、街にアナウンスが響き渡った。
『広報、広報。ギルドに新たなクエストが追加されました。内容はベレット辺境洞窟に出現したコボルトの大群を全て討伐すること。募集人数は12人で、推奨ギルドランクは5以上です。参加を要請するハンターの皆様は、この街中央部のギルトにて申請を行なってください』
どうやら異世界ファンタジーの例に漏れず、ハンターという職業も存在するらしい。先程までプレイしていたゲームと同じ環境が現実に反映されていて、良い意味での非現実感が俺のテンションをさらに高めさせた。
俺、本当に異世界に……!
「でも、今は観光したいという欲求を抑えてください。フリーダ更生学舎という《怠惰》専用の施設に通うために、まずは役所で戸籍登録を行います。異世界巡りはそれを終えてからです!」
「……ケチ」
「しゃーないですよ、雇われの身である私にはどうしようもないので」
「異世界人が堂々と関西弁使ってんじゃねぇよ。……つーかさっきから思ってたけど、お前俺側の世界に慣れすぎじゃね?」
純粋な疑問を投げかけると、アルカナは特に表情を変えることなく答えた。
「そりゃあ、怠惰の付添人を担うのは通算20回目ですから」
「……アルカナ、何歳?」
「女性に年齢を聞くのは失礼というものです。悪魔と人間の成長の仕方には違いがあるということだけ覚えておいてください」
人差し指を立て、どこか得意げに言った。おそらくこの類の質問には慣れっこなのだろう。
……でも、そうか。
アルカナが十数年、それとも100年以上、はたまた俺には到底想像できないほどに長い年月を生きてきた可能性もあるのか。
……その割には、胸元あたりは少し乏しい気がするが。
「……ちなみに、学舎では実演を交えた保健体育の授業もあるので期待しといてください」
「マジでっ!?」
「嘘です。めちゃくちゃわかりやすい視線ですね双葉さん。あなたが今何を考えていたかなんて全部お見通しですよ」
どうやら自身の胸囲に対しては本人も敏感になっているようだ。
その無表情がかえって怖い。
と、気を取り直そうとごほんと咳払いした俺は、別の話題を振る。
「そ、それよりだ。俺、こんなダボダボな服装のままでいいのか? バチが当たりそうなほどに不潔感極まりない見た目だから、さすがにこれを公の場に晒すのはマズい気がする……」
言いながら、俺は自分の姿を見下ろした。
寝巻き同然のしわくちゃパーカーに、びろびろに裾が伸びたジャージパンツ。清潔感など皆無であり、長らく切らずに放置したワカメヘアや死んだ魚のような目元と相まって、世にもおぞましい風貌になってしまっている。
ゲームを買いに行くとき以外で外に出る機会なんてなかったし、身嗜みとか何も考えなかったからなぁ。
こんなヤバい奴の隣に座ってくれている美少女には、正直申し訳なさもある。俺が美少女ならこんな状況絶対イヤだし。
と、そんな俺を見かねたのか、顎に手を当てたアルカナが一つ提案する。
「うーん、そうですね。戸籍確保が最優先の課題かと思っていましたが……やっぱり第一印象は大事だと実感したので、役所に向かうより先に双葉さんの身なりを整えましょーか」
「その費用はどこから出費されるんだ?」
「在籍後は学舎から一定の金額が支給されますが、とりあえず今は私のポケットマネーから出しときます」
「……なんか、異世界に来た実感が薄れるからポケットマネーとか簡単に言わないでください」
こいつ、すっかり日本の現代社会に慣れてやがるな。
「まあ、何はともあれ。向こうの通りに、私のオススメの理髪店があるんですよ。まずはそこに向かいましょう!」
「お、おう」
揚々と立ち上がったアルカナは、人口密度の高い広場を抜けてその通りに向かい始めた。俺もそれに倣い、迷子にならないようにアルカナの背中から視線を外さずについて行く。
太陽の日差しが眩しく、そして暑い。
この不慣れな環境の中、俺はニート生活で鈍った足をのしのしと動かして少女の後ろから離れないようにした。
「……ほんと、これからどうなるんだろうな」
ふと、心情が漏れた。