97:新聞社
「嘘……」
目覚めたら、知らない場所にいた。
ふかふかの藁の山の上で、木組みの天井をサファイアが見つめる。
寝ている間に誰かに連れ去られた、なんていう考えは困惑と恐怖に沈められる。セラの頭は無意識にナパードしたのではないかということでいっぱいいっぱいだった。
起き上がり建物を出ると、所々に背の高い十字の樹が見える黄みがかった草原が広がっていた。家屋は見渡す限りでは地平線の向こうにぽつり、ぽつりと点在する程度。樹々のほうが多く見える。三つの先端にだけフサフサな葉をつけていて、まるで頭と手のようだった。
セラの見識にはない世界だった。
少し乾いた涼しい風が吹く。それにも関わらず、嫌な汗が噴き出す。
習慣となっている寝起きのナパードを試みる。
さっきまで寝ていた藁山の前に移動しようとして、セラの顔は歪む。
ナパードができない。
呪具の類はついていないのに、跳べなかった。
『記憶の羅針盤』を強く握りしめる。だがそうしたところで跳ぶことはできない。
「ゼィグラーシス……」
止まっているわけにはいかない。
できないことにばかりに目を向けていては、停滞しかない。目は背けるが、決して諦めはしない。だけど今は、できることだけでもしなければ。
セラは感覚を研ぎ澄まし、この世界に人がいないか探しはじめた。
ジュンバー異空新聞社。
賢者評議会に参加していた文筆家ジュンバーが立ち上げたこの会社が出す新聞は、噂話の域を出ないことを多く載せた娯楽情報誌だ。
評議会、そして連盟の高閲を受け、情報を伏せなければいけいないという制約を嫌ったジュンバー。そこで彼が打った手が、際どい情報を噂と濁すことだった。
異空連盟はこれをよく思っていないが、強い規制は噂を噂ではなくし、さらには恐怖支配に成長しかねないと、口出しはしないことにした。
しかしこれには裏の面もあった。
連盟はこの新聞社の情報収集力を高く買っている。連盟や『夜霧』の重要人物の目撃情報や動向などの大きなことから、僻地で起きた些細な事件まで掲載するのが、ここの新聞だったからだ。
時にはジュンバー異空新聞社に情報提供を求めることすらあるのだという。
そして、彼らから情報を得るのは異空連盟だけではない。
編集長室。
その扉を強めに叩く手。その肩には碧き花が散っている。
ノックに返事があった。「誰だ?」
「おれだ」
言いながらバンダナで口元を覆った女は中に入った。
「あぁ、これは、アレスさんでしたか」
机に向かって万年筆を走らせていた、肩口の毛先を遊ばせた男はビシッと姿勢を正した。
「次の雑草の情報をくれ、ジュンバー」
「はい。それはもちろん」
ジュンバーは慌ただしく、机の上にいくつも重なり広がった原稿を探る。途中、何枚かを机から落としながら、ようやく一枚の原稿を一番上に持ってきて、引き出しから出した手帳にその原稿からなにかしらを書き出した。
手帳のそのページを破り、ばたばたと立ち上がり、アレスに差し出した。
「ちょうど新しい情報が入ったところだったんですよ。タイミングがいいですね、アレスさん」
「ふ~ん」アレスはひょいと紙片を摘まみ取る。「『案山子の牧場』、ね。で、どんな奴? 場所しか書いてないじゃん」
「いえ、はい、えー、すいません。場所以外は、男、ということしか……」
「へー、男で『碧き舞い花』名乗ってんの。もしかしてセラ様が男装した時の真似事かい? それならコアだねぇ。ま、行ってみればわかるか。あんがとよー」
ひらひらと手を振って、アレスは部屋をあとにした。
アレスが出ていった部屋でジュンバーは大きく息を吐き、舌打ちした。
落ちた原稿たちを拾って、椅子に座る。そうして机の上にある原稿に目をやって鼻で笑う。
そこには『ポチューティク虐殺の『碧き舞い花』 居所を発見か!?』の見出しがあった。
「死んじまえ、あばずれ」
ベッドに寝かせていたセラが消えた。
「辺りにはいないな」
ヅォイァは鈍った感覚で辺りの気配を探るが、主のものは発見できなかった。それはモァルズも同じようで彼の言葉に頷いて「はい」と答えた。
「ジルェアス嬢がなにも言わずに行ってしまうわけないがな」
「なにか事情があったのでしょうか? 怪我はなかったですけど、倒れてたわけですし、心配です」
ヅォイァは首肯し、言う。
「とりあえず、連盟本部に報せに行こう。発見した状況も説明するから、お前も来い、モァルズ」
「はい」