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碧き舞い花Ⅱ  作者: ユフォン・ホイコントロ  訳:御島 いる
第二章 賢者狩り
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65:銀の糸、鈍色の玉。

 月夜にしとしとと降る雨は銀色の糸。深い色の木々に滴る雫は鈍色の玉。

 満月と小雨の尽きない密林。

 ここは『月輪雨林』。

 ギーヌァ・キュピュテの王の洗い場としての顔も持つこの世界の水の洗浄効果は高い。雨に打たれるだけでも、簡単な汚れならばきれいさっぱりなくなってしまう。

 そんな世界の住民たちは、潔癖症として知られる。

 世界に入ることならば誰にでもできるが、集落へ足を踏み入れるには必ず全身の洗浄が必要だった。

 イソラとテムもその洗礼を受けているところだった。

 集落の入り口で、決められた場所で衣服を脱ぎ、雨水の貯められた洗濯大樽の中に浸ける。それから生まれたままの姿となった者は、住民たちによって作られた人工の川を流れるのだ。ただゆったりと流れるだけならば、誰もがゆったりとした時間を過ごすのだろうが、そうはいかない。

 洪水だ。

 荒れ狂う激流に身を晒さなければいけないのだ。

 外界から訪れる誰もが意を決して呼吸を止め、命がけで洗浄に臨むことになる。

「っぷはぁ……!」

 洪水の終着点に設けられた浮き木にしがみつき、イソラは久しぶりとも思える空気の恩恵を受けた。様々な鍛錬を積んできた彼女でさえ、息を保つのがやっとだった。これを観光目的で来た人が耐えられるのだろうかと、疑問が浮かぶばかりだ。

 桟橋に上がり、一足先に純白の肌を持つ住民によって運ばれ、到着していた衣服を着こむ。それから集落の本当の(・・・)の入り口を抜ける。

「イソラ」

 すぐにテムが声をかけてきた。彼の呼吸も整ったばかりに感じられた。

「そっちもきつかったんだ。女性の方だけひどいのかと思った」

「それは俺もだ。男だから厳しいんだと思った」

 男女で分かれての洗浄であったが、そこには性別という差しかなく、扱いには差はなかったようだ。

「さ、(おさ)のとこ行こう、と、その前にイソラ」

「なに?」

 いざ、と歩き出そうとしたイソラをテムは呼び止めた。そして真剣に言う。

「ツキノワジャガーが人の生活圏に本当に入ってきてるなら、ここと幻覚の関係性は薄くなる……つまりピョウウォルが自分の意思でプルサージに協力してる可能性が高くなる。それは、いいな?」

「……」イソラはしばし黙ってから、にこやかに返した。「また悪く考えすぎてるよ、テム」

「え?」

「だって、たとえツキノワジャガーにおかしなことが起きてたとしても、その中に幻覚を混ぜることだってできるでしょ? ほら、そうすれば、ここの人たちとピョウウォルの言ってることもちぐはぐにならないで済むじゃん」

「……お前、イソラか? 幻覚じゃないよな?」

「むぅ、なにそれ、馬鹿にしてぇ!」

「いや、だってお前がそこまで考えれるとは思わなかった。ただ裏切りを信じたくなくて目を背けてるだけかと……」

「そんなことないよ。目は見えないけど、見るべきものから目は逸らさない」

 イソラはぐっと、テムと顔を近づける。

「言っとくけど、テムが幻覚じゃないって、あたしはちゃんとわかってるからねっ!」

 テムはイソラの肩を押して身体を離す。そして自嘲気味に笑う。

「裏切りに固執して色々見えなくなってるのは俺の方か。イソラがイソラでよかった。絶対に見失わないようにしないとだな」

「大丈夫っ。テムがあたしを見失っても、あたしはテムを見失わないから」

 へへんと胸を張るイソラ。そんな彼女の目に向かってテムが手を伸ばす。それを感じてイソラが瞼を閉じると、テムが優しくなぞった。

「ぅわ、なにっ? くすぐったいっ」

「お前の()に見ててもらえるなら、安心だな」

 イソラは自分の鼓動の早まりを感じた。雨に打たれているはずなのに、体温もぐっと上がった気がする。さっとテムから小さく飛び退いて、集落へ身体を向ける。

「……い、いこ、テム。最終的にはプルサージまでたどり着かないといけないんだから、急がなきゃ」

「ああ……そうだな」

 そうして二人はどこかぎこちなく隣だって歩き出す。

 数歩して、テムが足を止めた。

「なぁ、イソラ……俺、さっき」

「い、急ぐんでしょ?」

「いや、そうじゃなくて。さっきさ、俺、イソラがイソラでよかったって言ったよな」

「……言った、けど? なんで行くってなったのにまた――」

「戻るぞ、イソラ!」

 テムはイソラの腕を掴んで、素早く中空に向かて鍵を回した。

「え、なんで!?」

 理解できずに戸惑うイソラに、テムは答えるが、その答えがまたイソラを困惑させるのだった。

「あいつ、ピョウウォルじゃない!」



 行く人々を抜けると、セラの姿を見つけることができた。大通りから小路に入って、今、角を折れたところだった。このまま走れば追いつける。

 追いかけるという提案をしてくれたイジャスルプに感謝だ。

 シァンは振り返りお礼の言葉を口にした。数音だけ。

「ありが――。え?」

 彼女が握る手は、王城の案内人のものではなかった。戸惑った顔の子どもだ。今にも泣きだしそうに、シァンをおびえた様子で見上げたいた。

 ぱっとその手を離すと、子どもは盛大に泣き出し、大通りの端に人々の視線が集まる。

 シァンは咄嗟に手を上げ、首を横に振った。

 自分はなにもしていないというそのアピールも、子どもの泣き声には敵わなかった。

「人さらいかっ!」

「誘拐よ!」

「くしゅんっ……!」

「子どもを守れ!」

「その女を捕まえろ!」

「くっちゅっ……」

「どこだ!」

「消えたぞ!」

「はくちっ……」

「探せ、探せ!」

 人々がシァンを見失い(・・・)、捜索をはじめるのを、当人であるシァンは小路からまじまじと見つめていた。そこから目を離さずに、隣にいる仲間にお礼の言葉を告げる。

「ありがとう、ネモ」

「当然よ」

 ネモはにこやかに頷くと、疑うというより、なにか異様なことが起きたことへの訝しみの言葉を続けた。

「でも、くしゅ……シァンが誘拐なんてするわけないのはわかってるけど、なにがあったの?」

 聞かれたシァンは、はっとなって小路の奥へ走り出す。「セラがいたの」

「セラさんが?」とネモが続いてくる。

「うん、それで、イジャスルプさんと一緒に追いかけてたんだけど……子どもになってた」

 シァンは角を折れた。そして足を止める。

「セラも、見失っちゃった」

「くちゅっ……」

 ネモの小さなくしゃみが、虚しく小路を駆けた。

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