54:今度はちゃんと
胸騒ぎがする。
コロシアムでの避難誘導は完了している。だがこの広い世界にはまだまだ残っている人がいる。だからこそ、他の場所へ人員を裂かないといけない。それなのに、ユフォンは一体の幽体をコロシアムに出向かせた。
小さな姿の幽体は、ふんわりと闘技場に降り立ち、辺りを見回す。一人、ボリジャーク帝が倒れている以外、全く人はいない。
セラはどこだろう。
小さくなった幽体では、大事な人一人の気配も探し出せない。
「あれ、ユフォンじゃん。まだ避難終わってないだろ、なにしてるんだ?」
不意に後ろから声がした。よく知る天才の声に振り返ると、二人の友がいた。フェズとズィー。
「…‥ちょっと様子を見に来たんだ。なんかもやもやして」ユフォンは言いながら、二人が三人ではないことが気になった。「……セラは?」
「雲の奴のとこだろ」とフェズ。
「俺がフェズを引き受けて、行ってもらったんだ。これから俺らもいくとこ」
「ズィーがフェズを引き受けたって、どういう……いや、今はそれどころじゃない。セラのところに行こう。どこにいるか、わかる? 申し訳ないけど、今は気配が読めないんだ、僕」
フェズ小さくあくびをした。「俺も読めないぞ、セラの気配。魔素もだけど」
ホワッグマーラ人二人の視線が渡界人の幽霊に向かう。
「さっき向こうですごい音したよな?」
フェズに確認するズィーが指さすのは帝居のある方角だった。
「気配は俺も感じねーけど、ここにいねぇんじゃ、たぶん、あっ……ち……」
「ズィー?」
途切れ気味の声にズィーの示す方向から視線を戻すユフォン。ズィーの姿に驚愕する。
「!?」
ズィーの輪郭が世界に馴染んで、消えていく。徐々に中心へと向かって。
「……これって成仏か?」
自身の変化に戸惑うズィー。冗談っぽく言っているが、その顔は『紅蓮騎士』には珍しく恐怖一色だった。
「なぁ、ユフォン、フェズ……」
「フェズ! どうにかならないのかいっ!」
「それはこっちのセリフだしっ。幽霊の専門家だろ、ユフォン!」
こちらも珍しく、天才フェズルシィも慌てふためいていた。
「幽体も魔素だ! 留められないかい!」
「やってみる!」
ユフォンの提案にフェズはすかさず消えゆく友に手を向ける。しかし消滅は止まらない。
「……ズィプ! 空気だ!」フェズが叫ぶ。「纏え!」
「……あ、ぁ」
そよ風が吹いて、空気が脚と腕を失ったズィーに集まる。
だが、彼の身体は輝かなかった。空気を纏えていない。
「なにやってんだよ、ズィプ!」
「だ、めだ。まとえ……ねぇ」
「空気は集まってる。もう一息だよ、頑張ってズィー!」
ユフォンの励ましの言葉に、ズィーは弱々しい微笑みを見せるだけだった。一向に外在力が発動する気配はない。
その時だ。
「……また、呼ばれてる」
不安定ながら、確かに三人のものではない声がユフォンの耳に届いた。
「誰……?」
「あれ……さっきと、違うな……俺に元気くれた人、だよね? なんでこんなに、苦しそう……死んじゃいそうじゃん! どうして! 俺に元気くれたから? 駄目だよ! そんなの!」
はっきりとしてきた声。ユフォンはもう一度、今度は怒鳴るように問う。
「誰! どこにいるんだ!」
「! ここにいる! 俺、気体人間なんす。ヒャリオ・ホールっす。……よくわかんないけど、この人に呼ばれて、それでさっき元気をもらったんだ。んで、それで、また呼ばれたら、なんか、この人……死にそうで……どうしたら……」
フェズが険しい顔でユフォンを見る。「ユフォン」
ユフォンは頷きを返し、思い付きではあるが案を口にする。
「ヒャリオくん、さっきズィーに元気をもらったときと同じように、纏わりつけるかい?」
「え?……やってみます!」
当惑したようではあったが、緊急事態だということは彼も承知していた。それでズィーを救えるかもしれないと、必死な返事が返ってきた。
そしてすぐに変化が起きた。
消えてしまって見えない腕や脚まで、ズィーの形が淡く輝いて浮かび上がった。
「これでいいすか! 元気、分けられてる気がしないですけど!」
「大丈夫、そのまま!」
ユフォンは言って、フェズに視線を向けた。
『太古の法』――。
間髪入れずにフェズの呟きがあり、淡い輝きに縁取られていたズィーの型に、透明な身体が戻って来た。
「よしっ!」
ユフォンは拳を強く握った。
「……死ぬかと思った」
「ははっ、死んでるでしょ。幽霊なんだし」
言葉を発したズィーに笑いながら返した。
だが予断を許さない状況に変わりはない。すぐに思案に耽る。
原因がわからなければ、対処のしようがない。ひとまずフェズとヒャリオの力によってズィーを保っているが、『太古の法』がどこまで持つか。
フェズが魔素を留めるのを止めたら。ヒャリオがズィーから離れたら。
それでも大丈夫かもしれない。
それでは駄目かもしれない。
「うあっ!」
ヒャリオの苦痛の声に、ユフォンは思考から戻る。
「どうし――っ!?」
ズィーの身体が顔と胸部だけになっていた。傍に、人型の竜巻が尻餅をついていた。あれがヒャリオか。
「なに、やってる……」呼吸が荒いフェズが怒鳴る。「ズィプに、戻れっ!」
「わかってるっす!」
ズィーに飛び込むヒャリオ。
だが。
気体人間の身体は、壁にぶつかったように、四散した。
ユフォンは叫ぶ。「ヒャリオくん!」
すぐに返答があった。「俺は、大丈夫、です。……もう一度!」
再び竜巻の身体に戻って、ズィーに突っ込むヒャリオ。しかし、呆気なく弾かれる。
「くそっ!」
また。
また。
また。
何度も繰り返す。
ユフォンは消えゆくと友と、見ず知らずの気体人間の少年を悲痛な表情で見つめることしかできない。
そのうち、フェズが膝を着いた。
『太古の法』の限界が来た。
荒い息と、ふらつく頭。それでも、彼はズィーに向かって手を伸ばす。ユフォンはフェズを支える。もう自分にはそれしかできないことが、悔しかった。また目の前で友達を失うのか。
なんの力にもなれないと知りながら、ユフォンはフェズの手に並べて自身の手をズィーに向けた。魔素を放った。
ついに顔だけになったズィーが口を開いた。
「……ああ、やっぱ俺死んでたんだな。思い出してきた、あん時のこと。ガフドロの奴と光に向かって倒れてった時。実際死んだのはそのあとなんだけどよ」
「ズィー……」
「ユフォン。あの時さ、最後まで言い切る前に消えたよな。もっと言いたいことあったんだ。だから、今度はちゃんと伝える」
「……わかった」ユフォンは腕を下した。「聞くよ。急いで、また最後まで聞けなかったら、僕が諦めた意味がなくなる」
「セラを頼んだぞ、ユフォン。俺の代わりにあいつの騎士に……いや、代わりは無理だな。騎士の座は俺のだ。だから、魔法使い。魔法使いとしてさ、支えてやってくれよ。あの姫様を」
「うん」
騎士と魔法使いは笑みを交わした。
すでにヒャリオは突撃を止め、立ち尽くしていた。
フェズも腕を下して、俯いた。
口角の上がった口が消え、額の傷が消え、最後に紅玉が消えた。
「今度は全部、言えたのかい……?」
ユフォンの優しい問い掛けが、行く当てもなく彷徨った。