49:姿を消すもの、現すもの。
「大会は終了、中止です。今すぐ避難をお願いします!」
蒸し暑い渓谷に姿を現した幽体のユフォン。棒術を駆使して戦う背の低い女性を護るように、衝撃波のマカで彼女の敵を吹き飛ばしてそう告げた。
「もし異空移動の手段がなければ、僕についてきてください」
「……もしかしてユフォン・ホイコントロさんですか!」
「え、ええ、そうですけど」
「わたし、モァルズ・デュ・ウォルンと言います」
深々と頭を下げる刈上げの女性モァルズ。
ユフォンは彼女の名前に聞き覚えがあった。なにより、著作に記したこともある。
セラの従者の孫だ。
と、二人に向かって白雲のマントの男が飛び掛かってきた。ユフォンはその男に向かって魔素を放ってから、モァルズを伴って渓谷の上へと瞬間移動した。
そして続ける。
「ヅォイァさんのお孫さん?」
「はい!」勢いよく上がる頭。「存じてもらえて光栄です」
「いや、ははっ、こちらこそ勝手に名前を出しちゃって」
「あ、はい。あ、いえ、いいんです。むしろわたしなんかの名前を『碧き舞い花』に使っていただいて、ありがとうございます。これ、絶対伝えようと思ってたんです」
「ははっ、それはよかった」ユフォンは笑って、それから表情を締める。「でも、申し訳ないけど、今は一大事なんだ、避難を」
「いいえ、不肖モァルズ、戦います!」
「気持ちは嬉しいけど……あぁ、君ってヅォイァさんに似てるって言われることあるかい?」
「え?」ユフォンの問いを訝しみつつも、モァルズは頷く。「はい、ありますけど。芯が強いとか」
「負けず嫌いとか?」
「はい。言われたことあります。えっと、それがなにか?」
ヅォイァは頑固なおじいちゃん。セラがいくらやめてと言っても、自身が彼女の道具であることだけは絶対に曲げなかったのが彼だ。
「ううん。セラもそうだから、君もきっと強いんだろうなって」
「そんな、セラさんには到底及びません。この前もわたしが弱すぎたせいで、戦う以前に全く相手にされませんでした。ユフォンさんの物語の中やおじいちゃんに聞いていたより、だいぶ戦士でした。感情を押し殺した冷たい目で――」
「えっ!?」
ユフォンは耳を疑った。彼女が口にするセラの態度もそうだが、彼女がセラに会ったという事実は疑う余地がありすぎた。
「この前って、いつだい?」
「つい四日前です。ドルテモで」
「…………」
「行方不明って聞いていたので、わたしも舞い上がってしまって、やっぱりそれで気を悪くしてしまったんですかね……今度会えたら、ちゃんと謝りたいです」
「…………」
「あの、ユフォンさん?」
「ああ、ははっ、ごめん。ちょっと考え事を」
はぁ、と不思議そうにするモァルズの肩に手を置くユフォン。
「デルセスタなら知ってるから、僕が送っていくよ。あと、多分セラには謝らなくていい。君はまだ彼女には出会ってないんだからね」
「え?」
モァルズの当惑顔が歪み、二人はホワッグマーラから姿を消した。
「オニサンもサイン、するネ!」
「えっ?」
行商人ラィラィに、開かれた『碧き舞い花』と万年筆を押し付けられ、ユフォンは困惑した。しかしそこにセラのサインがあることに気付いて、なるほどと思った。きっとセラもこの混乱の最中にサインを求められたのだろう。そして、応えることでラィラィを納得させ、安全を確保させたのだろう。
「あー、ははっ、喜んで」
ユフォンはにこやかに『碧き舞い花』二冊に、サインを加えた。
「ありがとネ! これで今回の損害はチャラになるネ! またネ、オニサン!」
ラィラィは忙しくユフォンに手を振ると、バッグから鳥籠を取り出し、その中にいたオウムを外に出した。
オウムはみるみる大きくなり、最後には自身が入っていた鳥籠を首に掛けるほどになった。ラィラィはそれに跨り、マグリアの空に飛び立った。
天高く上る途中、ラィラィとオウムは急激に小さくなってその姿を消した。気配も消えたことから、異空に出たのだろうとユフォンは判断するのだった。
「珍しいオウムもいるものだ」
「空気だからって安心しすぎはいけないってことだ」
「ううぅ……」
ヒャリオ・ホールは退化した翼を持つ鳥人の足の下敷きになっていた。
「モーシャ、そんなガキもう放っておけ」
鳥人モーシャにそう言うのは、真っ黒な毛並みの犬男だ。彼は白雲のマントを羽織る。
「なに言ってんだ、マフ。気体人間と戦える機会なんてそうないってもんだ」
「目的を違えるな。ズーデル様に殺されるぞ」
「邪魔するやつを殺すのも命令のうちのはずだ」
「あの人の邪魔になるようなことをすれば、殺されるのは俺たちの方だ」
「本気でやりたかったぜ、『碧き舞い花』。せっかくの本物だったんだぜ?」
「それは残念だな」
「いつ、までも……」ずっと踏みつけられていたヒャリオだが、会話に意識が向いたモーシャの足を押し返す。「痛いんだよ!」
風が巻き上がり、ぶわっとモーシャを浮かす。
「おおっ」
「さっさと殺せよ、モーシャ」
「くやしいけど! リベンジのためにも、こんなところで死ぬわけにはいかないんだ!」
乱雑に空気が騒ぎ、それに紛れるようにヒャリオは敵の前から姿を消した。
そうして彼は世界の空気に漂いながら、朦朧とする。
流れるまま、引き寄せられるがままに。
呼ばれるに任せて。
「うっひょ~、外在力ンベリカ級じゃね?」
「そんな」
「な、セラ」
セラの前に現れた若き日のズィーは、いとも簡単にフェズの魔素を止め、はしゃいで、嘘のように笑って、地続きの記憶に従って、彼女に同意を求めてきた。