371:復帰
王城の屋上から戦場の音をかき消す界音のオーケストラが途絶えて、少し経った。
ユフォンは結局なにも手立てを見つけることができず、ベッドに腰かけ、呆けて浮かぶ天才を見つめていた。
「いつまで俺の影を見てるんだ」
フェズの声がした。
「……」
理解に苦しんだ。
遅れて驚きがやってくる。
「えっ!?」
隣にフェズが腰かけていた。
「えっ、え、フェズ? どうして!?」
「どうしてって、俺だからな」
「いや、さすがに今回はそれだけじゃ納得いかない。説明を頼むよ」
「説明? 俺が?」
「そうだよ。たまにはいいだろ」
「そんなことより、みんなを起こさないか?」
砕けたはずのガラス玉を指先で弄び、フェズがユフォンの目を覗き込んできた。
「……じゃあ、手短に説明」
「……本気で言ってるのか、ユフォン」
「本気だよ。僕がどれだけ不安になったか」
「わかった。じゃあ手短にな。急だったから術中にはまったけど、たかがキノセだろ、相手は。俺がやられたままのわけない。だって俺だぞ」
「……どうやったとか、そういうことを知りたかったんだけど」
「手短にって言っただろ。もう終わりだ」
言いながらフェズは浮かび上がり、ガラス玉をしっかりと掴んで前に出した。
「戦いもこれで終わる」
フェズから魔素が溢れ出していく。ユフォンはそれに合わせて、勝利への確信を大きくしていった。
同期中……。
同期中……。
同期中……。
同期完了……■
――今もをもってドクターチャチのハルモスプランはリリースされた。
そのΑΩの声を最後に、頭の中で響いていた声がやんだ。
不思議な感覚だ。
機脳生命体ではなくなったのだと感じる。
拠り所が必要な、身体を持たない半神ではなくなったみたいだ。
ムェイなのか、ハツカなのか。
ハツカで、ムェイだった。それでいて、ハツカでもムェイでもなかった。
「ムェイ、これってどういうこと?」
「わたしにもわからないよ、ハツカ」
「わたしは捕まりそうになって、それでムェイとの繋がりに逃げ込んだ」
「わたしは暗闇の中、垂れてきた糸を掴んだ。あれがハツカだった」
「ねぇ、とりあえず目を開けよう」
「うん、まずはそれからだね」
「あ、待って」
「なに?」
「名前、どうしよう?」
「……それって、今大事なこと?」
「大事だよ。名前は大事! イソラとかアレスの前では、ハツカとムェイでもいいんだけど、みんなから呼ばれる名前」
「統一の名前かぁ、それなら――」
「紛らわしくなっちゃうかもだけど――」
二人の考えは声にすることなく、同じところに行き着いた。
「たぶんみんな」
「そう呼ぶはず」
「セラ」
ルピは疑問を口に出す。
「なのか?」
リョスカ山の山腹からルピはアスロンたちと、碧き花がエレ・ナパス中に舞うのを見た。
ポルトーが肩を竦めながら言う。「でもセラの気配は感じないぞ」
「気配はそうだけど、確かにあれはセラだな。ただ――」
アスロンが術式で戦場を望遠しながら言って、言葉を止めた。
「ただなによ?」
「一人じゃないんだ」
「分化ってことじゃないの?」とエスレ。
「それなら気配は全部セラでしょ」とイリースが返す。
碧き光がリョスカ山の山頂に降り注いで、エァンダたちとロゥリカを遮った。
そしてその光の中から現れた人影が、勝ち気で冗談めいた声で言った。
「まだくたばってないのか、老いぼれっ」
顔だけ向けて笑うのは弟子の機能生命体のようだが、どこか違うようだった。だが紛れもなく愛弟子だった。
エァンダは笑って返す。
「全く誰に似たんだかな、ムェイ」
「あなたよ、エァンダ」
「どういうこと……?」
戦いの中、チャチが焦りを帯びた声を発した。アレスは彼女がそれでオルガの操縦を誤って隙を作っても大丈夫なように、庇うように近づく。
「どうしたんだ、チャチ」
「ΑΩの機脳の調整が、終わってしまいました」
「それって、そんな慌てることじゃないだろ?」
「いえ、わたしはムェイさんの機脳の修復を優先していたので、それと同時に終わるなんてありえないんです。それに待機中のΑΩの機体が、勝手に――」
「……待った今同時に終わったって言った? つまりセラは治ったんだな!」
興奮のまま言うアレスはその折、上空の色の変化が目に入って喜びに目を瞠った。
「そうですけど、今はΑΩの方が――」
「ムェイだ!」
チャチを無視し、アレスは拳を握った。そこに碧き花びらたちが降ってきた。そのすぐあとにアレスは抱擁される。
「アレス。よかった、怪我はセラに治してもらったんだね」
「セラこそ、よかった……無事で」
アレスは言いながらあることに気付いてムェイの肩を掴んで身体を離した。
「セラ様は? セラ様は無事なのか?」
「……今」ムェイは表情を落とした。「セラはヴェィルに封印されてる。無窮を生み出す装置に」
「はっ!? なら助けに――」
今にも動き出したかったアレスをムェイが手で制する。
「ケン・セイさんが戦ってる。ハツカが言ってるの、お師匠様に任せておけば大丈夫だって。それにわたしもいい計算結果が出てる」
笑みを浮かべるムェイに、アレスは少し困惑して、それから頷く。
「わかった」
背後から碧き花が漂ってきた。イソラがそれを視界の端に捉えると、肩に優しく手が置かれた。
「わたしの妹はそんな弱音を吐く子じゃないでしょ、イソラ」
はっとして振り返り顔を上げると、ハツカと目が合った。セラの身体だが、間違いなくハツカだった。
「でもお姉ちゃん嬉しいよ、そう言ってくれて」
「ハツカぁ……」
「戻ってくるって信じてくれてたでしょ? 感じてたよ。なのに、なんで泣くの?」
ハツカは苦笑気味に膝を追って、イソラの顔を優しく抱き込んだ。その声を震わせながら。
「ハツカだって。泣いてるじゃん……」
「泣いて、ないよ。わたし、お姉ちゃん、だよ?」
「ねぇ、それいつまで続くのかしら」
つまらなそうな声でルルフォーラが言った。イソラはハツカに「ほら立って」と促され、二人で並び立つ。涙を拭って横を見ると、やはりハツカの目は潤んでいた。
「いくよ、イソラ」
「うん、ハツカ」