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碧き舞い花Ⅱ  作者: ユフォン・ホイコントロ  訳:御島 いる
最終章 百色万花
374/387

370:想いの拠り所

 止んだのはオーケストラだけではなかった。辺り一帯から音が消えた。衣擦れも、呼吸も、鼓動も、ズィプとズィードの騒々しい声も、すべてだ。

 無音での攻撃とはまた違うものだとテムは判断した。

 それを仲間たちも気付いているだろうかと振り向いて見るも、プライだけが深刻な顔で、『紅蓮騎士』たちは音がないことを驚いている素振りするだけで、事の重大さに気付いていないようだった。

 音がどれほど戦いの中で重要な役割を持っているのかを。

「何気ない音が」

 キノセの声が耳の中で聞こえた。彼の方を見ると、口は動いていなかった。

「普段からそばにある音たちが、いかに重要なものなのか、思い知れ」

 声が途絶えた。次の瞬間、テムは後方に気にせずにはいれない足音を聞いて咄嗟に振り向いてしまった。仲間たちが動いた気配もないのに。

 振り向いた先には気配通りに仲間たちがいるだけで、それ以外になにもない。それを確認したテムの腹を衝撃が襲った。キノセのいる方向へと吹き飛んで、仲間とキノセの中間あたりに伏すように落ちた。腕に力を入れて立ち上がろうとする途中、音のない吐血が屋上を汚した。

 苦痛に表情を歪めながらテムがキノセを睨むと、冷たい五線の瞳が見返しきて、顎をしゃくった。その方向にテムが目を向けると、ズィーたち三人もそれぞれに膝を着いていた。彼らも飛ばされたようだ。

 ズィーが立ち上がり、花を散らしたかと思うと、キノセの背後に出て拳を引いていた。しかしその拳が出るよりも早く、彼の身体は大きく浮かび上がり、背中を強かに床に叩きつけられた。音がないのが気味が悪いほどの強打だ。

「音のない世界なんて想像したこともないだろう」

 またキノセの声が耳の内側で聞こえる。

「この無音の中でお前たちの耳は音を求める。だから些細な音に必要以上に反応してしまう。音に縋るんだ」

 そこまで口も開かずに喋ると、キノセはどこか悲しげな顔をして続ける。

「死は究極の静寂だ。けど、死んでしまった者は音を楽しめない。死者に音楽はないんだよ。聴衆も……奏者も」

 指揮棒を下げた彼の手が強く握られる。

「俺の想いはっ、永遠に満たされることはない……!」

 ふっと身体から力を抜くキノセ。

「ただ……」

 指揮棒がピンっと天を指した。途端、碧き光が彼の前に差した。そしてその光はテムたちの光でもあった。人の形を成していく。

 セラの姿を。

「こいつを殺すその時まではっ」

 光が成したセラの顔をキノセは大きく手で払い、その像を掻き消した。


「……セ、ラ」


 テムは不意にズィプの声を聞いた。まだ周囲は凪のままだというのにだ。その声はキノセにも聞こえたようで、目を瞠って先ほど飛ばした『紅蓮騎士』を振り返った。

「セラを……」

 立ち上がるズィプの目は竜のものとなっていた。音のない風が彼に向かって流れていき、纏わると赤みを帯びた。

「殺す?」

 彼の手に紅が閃き、プライの手にあったスヴァニが握られた。

「セラを殺すって言ったのか?」

 迫力のある彼の声に、優位なはずのキノセが半歩後退った。屋上を擦る音を立てながら。

「答えが出たな……お前はもう、敵だなキノセ!」

 ぶあっと紅き空気がけたたましく膨れ上がった。



 戦いにおいてはイソラの方が絶対的に強いはずだ。

 ハツカを失った動揺のせいかもしれないとイソラは思い、それがさらに彼女の動きを普段から遠ざけていた。今は目の前の求血姫に集中しないといけない。思えば思うほど、調子が乱れていく気がした。

 細月刀がイソラの肩を突いた。

「うっ」

「どうしたの? そんなものだったかしら」

「っく!」

 蹴りを繰り出すが、まるで風圧になびく紙や布のように躱される。

「冷静になれイソラ!」コクスーリャが、トゥオツと拳を交えながら叫んだ。「お前らの信頼はその程度か! さっきの男に息巻いてたのは虚勢じゃないだろ!」

 確かに嘘ではないとイソラは思う。ただそれでも、ハツカが自分の中にいないということは、心にぽかりと穴が空いてしまったかのようで、イソラには受け入れがたいことこの上なかった。

 冷静で、正常でいられる状態ではないのだ。

「静かにして!」

 仲間の助言に、こんな言葉を吐く日が来るとは思ってもなかった。いつの間にか、怒り支配されている。苛立ちが抑えられない。動きが大振りで、隙の大きなものとなって、ルルに斬りつけられる。弱々しい一撃で、戦いに身を置いた者のそれではない。致命傷には程遠い。

 そんな女から斬りつけられたことが、さらにイソラの怒りを助長させる。

 募る。

 積もる。

 それはついに彼女の闘気の制御にも影響を与えはじめる。それが顕著になったのは、彼女がハツカへの想いのまま水鹿を使おうとした時だ。

 イソラの身体から離れた途端、イソラの形を形成していた闘気は消えてなくなった。師ケン・セイと同じ結果だった。

 イソラだけの闘気術。

 ハツカは自分の影響で、闘気がイソラから離れても形を崩さずにいられるというテムの指摘を否定した。それなのに、ハツカがいなくなった途端にできなくなった。本当のところはどうかはわからない。けれど、今のイソラにとってその事実は大きく心を抉る。

 ――ハツカがいないと駄目なんだ。

「ハツカがいないと、あたしっ!」

 涙が視界を揺らがせた。イソラは膝からくずおれた。

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