368:腐れ縁
埋まった身体を起こし、コゥメルが傷を癒す。
「やってくれるな」
「盛大にやられたな、コゥメル」
コゥメルの脇に青髪黄金目の男が移動してきた。二人の背後にはコクスーリャがいて、彼とイソラとで二人を挟み撃ちにしている形となった。戦士たちと包帯兵たちの戦いを背景に、四人だけの空間がその場に出来上がっていた。
「トゥオツ。そういうお前もしてやられたそうだな。グースが見てたぞ」
「……それを言われると弱るなぁ。じゃ、挽回といきますか」
「ああ――ん?」
トゥオツに頷いたかと思うと、コゥメルはなにかに気付いて視線を上げた。イソラはつられるより早く、先んじて上を見ていた。知った気配が現れたからだ。
イソラ、もといヒィズルにとって因縁のある女の気配だ。
「ルルフォーラ!」
求血姫が朱と桃の髪を大きく広げながら、優雅に浮遊して地上を見下ろしていた。
「君が戦場に自ら出てくるとは、どういう風の吹き回しだい。御前ちゃん」
「その呼び方やめてくれない。あなたでも殺すわよ、トゥオツ」
「怒られちゃったよ」
全く気にせずといった様子でコゥメルに笑うトゥオツ。その姿に上空でルルフォーラが舌を打ったのをイソラは聞いた。
「で、どうして出てきたルルフォーラ」コゥメルが聞く。「殺戮に興じたい気分にでもなったか?」
「いいえ、ここまできらた有象無象を殺すことに意味なんて感じないわ。わたしが見たいのは――」
ルルフォーラの華奢で妖艶な指がイソラを指した。
「その娘が真っ赤に染まる姿よ」
イソラは火炎燃え盛るような瞳をキッと見返した。
「師匠の方はヴェィル様が殺すでしょうし、わたしはこっちっていうわけ。譲ってくれるわよね、当然」
「俺を殴った分もいたぶってくれるか?」
「それ以上に」
嗜虐的に笑んだルルフォーラ。それを見て満足そうに視線を下げるコゥメル。トゥオツの肩を叩く。
「そういうことだ。俺がここに留まる理由はなくなった。クェトの護衛に戻る。一人で盛大にやってくれトゥオツ」
「なんだ、つれないな。じゃ、またあとでな」
「ああ、祝勝の宴でな」
「待てっ!」
イソラの叫びは虚しく、緑の閃光に包まれコゥメルは消えた。すぐに気配を追うイソラ。ハツカもクェトもその先にいるのだ。
「ちょっと、わたしがわざわざ足を運んだっていうのに、無視なんてひどいんじゃない?」
ぞわっと、ルルフォーラがイソラの眼前に降りてきた。殺気を感じてイソラは飛び退いた。その時にはもう、コゥメルの気配を見失ってしまっていた。途切れたようだった。
「ルルフォーラ」
「さ、わたしたちも決着つけましょう。これからはじまる新時代に、古い繋がりは必要ないんだから」
指輪を光らせ、求血姫は細剣を現した。ひゅんと優雅だが鋭い一払いをして、殺意に笑った。
ロゥリカが距離を取る。
「タェシェ……余計なことを」
エァンダが小さく零すと、怒りの声が脳内を駆けた。
『できる女だもの、ワタシ!』
タェシェの声に続くようにその声は言った。
「ここまでやってきて諦めるのか、お前らしくないな」
固く閉ざされた扉から視線を外すと、エァンダは友の姿を見た。四十年置き去りにしてきた友だ。
「サパル。お前にとっては一瞬だったろうが、俺にとっては長かった。幕引きしても文句は言われないだろう?」
「みんなが寝てる間だったらもしくはな。けどもう起きてる。最後まで……お前も一緒に夜明けを見るんだ」
鍵を握ってロゥリカを睨むサパル。その姿にエァンダは思いのほか微笑んだ。安堵か、信頼か、ともかく解放はまだ先のことになりそうだ。
エァンダは苦しみを押し殺し、立ち上がる。
「お前はいつも通りサポートだ」
「今は俺の方が若い。俺主体でやった方がいいんじゃないか?」
「下手な老い方はしてないんだよ」
「ふんっ」ロゥリカがエァンダを見て鼻で笑った。「友のおかげで想いを吹き返したところで、たかが知れてる。俺の楽しみが増えるのはいいが、お前にとっては今終わっておけばよかったと後悔するだけだ」
「どうかな? それは終わってみてからじゃないとわからない。あと、俺にはエレ・ナパス以外にも繋がってるものがあるんだ。切っても切れない腐れ縁がいっぱいな」
「腐れ縁?」
「腐れ縁?」
エァンダの皮肉めいた物言いに、コゥメルだけでなくサパルも眉を潜める始末。そしてさらに訝しむ声が続いた。
「腐れ縁とは言ってくれるな、エァンダ」
癖のある長髪の老人が、羽ばたく翼竜から降り立ち際に発したものだった。
「あんたなら真意を汲み取れるだろ、いちいち皮肉を返すなよ、フィプ」
フィプ・ネェイツァリはエァンダの記憶にある、深く皺の刻まれた柔和な顔で笑った。
「少しは気が紛れるかと思ってな」
「その結果がどうかもわかってるんだろ」
肩を竦めるエァンダに対して、フィプは小さくふっと笑った。
やはりその道の賢者だ。念波をどれだけ抑えても、この男からすべてを隠すことはできない。
「昔、言っただろ。なにもかもを自分だけで背負うなと。年寄りの助言を無視するような生き方をしたツケが回ってきたんだ」
「そうだぞ、エァンダ」サパルが追随する。「結局自分だけ起きたまま異空や俺たちを背負った」
「セラに言ってくれ。こんなに時間がかかるとは思ってなかった。俺たち二人、お前たちの前で背負い過ぎないって言ったろ? 荷物を預けるって。それを反故にする気はなかった」
エァンダはサパルの目を確認するように覗き込む。
「うーんそうだっけ? 起きたばっかりで夢だったかもって思ってる」
「おい、サパル」
「みんな、はしゃいでる場合、違う。ババンたち、敵の前。敵、一人。けど、手強い」
翼竜が着陸して、逞しい上裸の男になっていく。その様を見ながらエァンダは、右腕を軽く示して見せた。
「ババン・ドン・キリ。あんたには随分世話になった。……『異変を御し者』、戦いの後があるかわからないから、先に礼を言っておく」
「ん? ババン、初めて会う。なにに、ありがとう?」
「いいから、ほら、敵の前だ。戦うんだろ?」
「うん! ババン、戦う!」
エァンダは三人の仲間たちと共に、コゥメルに向かう。