358:数分前
エレ・ナパスが揺れる数分前。
黒装束の三人小隊がリョスカ山を進む。
「アスロン、お姉ちゃん。あそこなんてどう?」
黒装束の一人、エスレ・カモートがミャクナス湖から王城を覗ける茂みを指さした。
「いいな。よくやったエスレ」
アスロンは言いながらその茂みへと近づいていく。そして背負っていた術式狙撃施条銃を、手際よく設置しはじめる。
連盟は敵の拠点へ攻める気でいるが、もしものことの想定もしている。相手がこちらに攻めてくることを考え、備えることも必要だ。
そこで『ガラス散る都市』の隠密たちは、いくつかの小隊に別れ、高台であるリョスカ山から戦場となりうるナパスの地を狙い澄ませる場所に、施条銃を設置している最中だった。
そう、現在進行形で行われている作業だった。だからその備えが整うより早く、敵が来てしまうことなど誰も思いもしなかっただろう。
まずミャクナス湖畔に黒い閃光が一つ。それにはアスロンだけでなく、もう一人の黒装束、エスレの姉であるイリースも気付いたようだ。
「アスロン、湖畔になにか……」
「ああ、わかってる。見てみる。照――」
アスロンがその瞳の前にガラスの板を現したその瞬間、様々な色の閃光が至る所で発生し、次いで丘の方で大きな衝撃が巻き起こった。揺れがリョスカ山の彼らのところまで届き、木々を騒がせた。
「敵襲か。エスレ!」イリースがすぐにエスレに指示を出す。「すぐに各方面に連絡! 我々隠密はリョスカ山より援護射撃を行う!」
「よしそうと決まれば早速……」
アスロンは設置して間もない施条銃の前で腹をつけて寝そべった。ミャクナス湖畔を見渡し、白髪の男を見つけた。
「照準、刻印、装填……」
術式を巧みに重ねていき、アスロンが引き金に指をかけたその時。男がアスロンを見た。
「!?」
そのことに目を瞠ったのも束の間、山肌がめくりあがり、まるで波のようにアスロンたちに向かってきた。
エスレが驚きの声を上げる。「こんなことってっ!?」
「防壁!」
イリースの声と共に三人を包み込む半球状のステンドグラスが現れた。そのすぐあとに、三人は大地に飲み込まれ、暗闇と同化した。
「付加、照明」
アスロンはイリースの術式に新たに術式を組み込み、ステンドグラスを光らせた。
「完全に埋まったな。どうするイリース」
イリースはすでに連絡を試みていた。だが、彼女は首を横に振った。
アスロン小さく肩を竦めた。「自分たちで出るしかないってことだ」
「じゃあ爆破の術式で……」
エスレが提案するが、イリースがそれを手で制する。
「駄目よ、エスレ。周りの状況がわからない。仲間を巻き込んでしまうかもしれないでしょ」
「地道に掘っていくってことでいいか、隠密長」
アスロンは言って、地上があると思われる頭上を見上げるのだった。
山肌を剥がし返した風圧で白髪が揺れる。左耳に円柱の水晶がきらめく。
「外に出いている者もいるな」
ヴェィルはミャクナス湖の畔に立って空を見上げた。
「一網打尽といくか」
視線を戻すと振り返り、後ろに現れていた金髪緑眼の男と視線を合わせる。本来の姿を取り戻したコゥメルだ。
「コゥメル。少しの間俺は止まる」
「護衛は要らないだろ?」
「ああ、クェトのほうを頼む。それと眠りこけているやつは起こすな。敵が増えればクェトの負担も増える。数の力を侮るな」
「その点は重々承知してるさ。なんなら数よりも厄介な、太古の力を使う魔導士と、この世界の化身はもう封じてある」
「グースだろ。お前じゃなく」
「まあな。俺はいい拾い物をした。お前の役にも立ってるだろ」
ヴェィルは小さく笑ってまた空を見上げた。すると、空が渦巻いた。
「行け」
「ああ」
緑色の閃光と共にコゥメルは消えた。
ミャクナス湖畔を覗く木陰でそれを見ていた者がいた。
探偵コクスーリャ・ベンギャだ。
ヴェィルを止めようかと考えたが、そんなに都合よくことが運ぶ相手ではない。それに空を渦巻かせるあの行為が、エレ・ナパスの外にいる連盟の仲間たちを一気に集めるためのものだと推察すればなおさらだ。ヴェィルは一網打尽と言っていたが、仲間が集まるのならこちらにとっても好都合と言える。
あの空の異変に気付いた者は他にもいるようだった。こちらに向かってくる気配がいくつかある。ただ、ヴェィルに敵うかどうかは言うまでもない、思慮ある選択ができる者であることを願うばかりだ。
ヴェィルと渡り合えるのは現代ではセラとフェズくらいなものだろう。セラの気配は感じ取れないが、フェズはすでにエレ・ナパスにいる。しかし動きがない。その理由が今しがたコゥメルが言っていた通りなら、取るべき行動は自ずと決まる。
フェズの様子を見に行く。
コゥメルを追いたいところではあったが、コクスーリャは王城へと歩みを向けた。