348:いくつかの勝てないこと
フェズが手帳から出てくると、禁書館の騒動はあっけなく収まった。
本当に無力だとユフォンは思う。ただそれはここだけの話にしたい。
ユフォンは懐に手を入れると、ガラス玉を取り出した。この中に元々禁書庫の中に保管されいた、各世界を模倣した書物と『副次的世界の想像と創造』が入っているのだろう。だろうというのは推測だ。中身を見たわけではないのだユフォンは。ただ、フェズが手帳に吸い込まれる前にユフォンの手の中に託したのだから、あの状況ではそれ以外に考えられない。ジュンバーは目の前で見ていたにも関わらず感づかず、現場を見たわけではないグースにはお見通しだった。
ユフォンはガラス玉をフェズに返す。
「今度は僕が任せていいかい?」
怪訝な顔をするフェズ。ユフォンはすぐに思いを口にする。指に碧がないことを見せながら。
「セラが心配なんだ。すぐに会いに行きたい」
「セラが心配って……」
フェズは一瞬、ありえないと言わんばかりに苦笑を浮かべた。しかしユフォンが真剣な表情で見つめていると、珍しく空気を読んだ。
「わかった」
フェズはそう言って受け取ったガラス玉を手の中に握りこんだ。それでガラス玉はどこへともなく消えた。おそらくフェズの中だ。一度狙われたこの場所よりも、彼自身が保管場所となっている方が、必要になるまで安全だろう。
「ありがとう……ぁ」
「どうした?」
ユフォンは思い出した。瞬間移動のマカを使うのに必要な魔具が壊れてしまっていたことを。ブレスレットの黒水晶もないのだ。
「水晶を壊されたんだ。瞬間移動ができな……なんで嬉しそうなのさ」
フェズは顔を綻ばせてユフォンを見ていた。
「ユフォンに対して俺が勝てないものがいくつか、数少ないけど、いくつかある。知識とか、文才とか人付き合いとか……それくらいか?」
ユフォンはじーっとフェズを見返した。口角を上げて。
「あと空気を読めるところとかね……」
「それはない。空気読めるのがいいことだと、俺は思ってないから」
「そうかい」
「で、あと一つある。いや、あった」
「瞬間移動のマカだね」ユフォンはフェズを遮って、彼の肩に手を置いた。「わかったから、早く行こう、エレ・ナパス」
「お前も空気読まないじゃないか」
拗ねた様子でフェズは身体をすーっと消していく。それはユフォンも同じだった。これが思念となった者の瞬間移動だった。
すーっと小高い草原に姿を現したユフォンとフェズ。見つめる先にはナパスの王城。集いし戦士たちが物資や武具防具の運搬など、忙しく出入りしていた。王城だけではない、二人が出てきた草原でも、組手や連携などの訓練が行われていた。
「……そういえば、君」
ホワッグマーラにいるときと濃さの変わっていないフェズに、ユフォンは思いついたように尋ねる。
「魔素がない世界にも行けるようになったのかい?」
魔素発生装置があるならまだしも、今のエレ・ナパスにはホワッグマーラの関係者いない。装置もまだないはずだった。その証明にユフォン自身魔素を感じていない。
「俺だぞ。当り前だ。二年もあればこれくらいできるようになる。今じゃ魔素だって自分から出せるし。ま、お前がいればもっと早くできるようになったかもしれないけどな」
フェズは言いながら城の方へとふわりと移動しはじめた。ユフォンはそれを追いかける。
ユフォンは気配を感じ取ることができない。フェズがそちらに移動をはじめたということは、そっちにセラがいるのだろう。
しかしどうだろう。とユフォンはフェズの隣にで表情を曇らせる。
エレ・ナパスに着いたというのに、友との他愛もないやり取りもしたというのに、落ち着かない。胸は騒いでばかりで、不安は拭えない。
向かう先に、セラがいないのではないか。そんな考えが浮かんでは無理矢理に沈めこんでいた。
「ユフォン」
不意にフェズが声をかけてきた。
「……なんだい?」
「もしものことがあったら、俺が協力してやる。誰よりも心強いだろ」
その言葉も表情も、真剣で深刻だった。
当然のように親友の頼もしさを感じるが、その裏に、天才である彼が感じ取っている不穏な雰囲気が見え隠れしていた。
もしかして本当にセラはこの先にいないのかもしれない。その真偽をフェズに問いたかった。しかし、その答えを聞きたくなくて、ユフォンは黙って歩を進めるのだった。