328:面影
衝撃にモェラが後退り、赤い血に濡れた剣がズィードから抜ける。同時にモェラからは紅が抜ける。
ふらついたズィードだったかが、スヴァニを杖にし耐える。
「痛い……汚い……サイッアク!」
顔についたズィードの血を、拭いに拭い、擦りすぎて逆に顔を赤くするモェラ。それからズィードを睨む。その目には涙が溜まっていた。
「なんなのっ! なんなのなんなのなんなのっ、もうっ! ノージェといい、あんたたちといい!……なんなのよぉ…………」
剣を落とし、モェラは膝をついて項垂れた。
「おいっ……?」
ズィードの声には反応を見せず、モェラは急に泣きじゃくりはじめた。
「意味わかんなぁい……わたしは、ただ、ノージェのことを想ってるだけなのに、それなのに、なんでよぉ。なんで否定するの、拒否するのぉ……? わたしがいないと駄目だったじゃない、ノージェ。わたしがいれば、充分だったじゃない。なによ仲間って。なにが面白い奴らよ。ヴェィルたちだって、面白いじゃないっ。一緒にいて楽しいじゃないっ! なにが違うっていうの……ねぇ、ノージェ。ノージェ、答えてよぉ…………」
震える声に、ズィードの心は揺さぶられた。
まったく戦いの気配がなくなった。殺気も狂気も、死の気配も。モェラからも、自分からも。
戦いから気を逸らす作戦かと思った。でも違うとすぐに改めた。
モェラは本心から、号泣していた。
「ズィード、どうする」ダジャールが尋ねてくる。「……やっちまうか?」
物騒な物言いだったが、あの好戦的なダジャールでさえ、困惑に声がぎこちなかった。
ズィードは一度、仲間たちを見やる。それからモェラ。
「……」
呼吸が荒くて、まともに頭が回らない。でも細かいことは、どうでもよかった。
ズィードは紅き闘志を消し去り、想いのままに口を開く。
「なぁ、わかんねえならさ」
モェラの顔が上がった。もう睨んではこなかった。
「仲間になってみないか? 俺たちの」
「は?」
モェラも義団の仲間も揃って頓狂な声を上げた。
「ほら、あー……うまく言えねえんだけどさ、ケルバ。えっとノージェがさ、俺たちと一緒にいたいと思った理由、探すために、モェラも経験してみればいいじゃないかって思った、俺は。どうだ?」
「……」
モェラは口を開こうとせず、じっとズィードを見つめる。
「うーん……いろいろ経験することで恐さを知ることもあるだろうけど、なにもせずにいたらなにも知れないし、感じられないだろ。恐いも、楽しいも、悲しいも、嬉しいも、好きも嫌いも、とりあえずやってみてから決めればいいんじゃないか? な?」
「……」
ズィードの笑顔の問いかけに、モェラはまだ答えなかった。ただ、もう涙は止まっていた。しばらく沈黙が続き、一度俯いて、また顔を上げると彼女はようやく口を開いた。
「……ねぇ、ノージェ。答えはそこに、あるの?」自問するように呟いて、また俯くモェラ。「わたしにも、見つけられるの……? 信じて、いいの?……あれ、わたし、いつからノージェのこと、信じてなかったんだろ……ごめん。ごめんね、ノージェ……わたし……ぇっ!」
モェラは急に顔を上げて、なにかを見つめた。ズィードでも義団でもない。すぐ目の前のなにもない空間を、引いたはずの涙でまた瞳を潤ませて見つめた。
ズィードが訝しむと同時に、後方からアルケンの戸惑いの声。
「どうしたの、あの人?」
頬に流れた涙を拭い、モェラは一人何度も頷いて、時折嗚咽を漏らした。
なにが起きているのか。
「んー? うーん?」
ズィードはモェラが見つめている空間に目を凝らしてみる。なにも見えない、そう思った瞬間だった。
「あはっ!」
彼は友の姿を見た。
「ケルバぁ!」
「えっ!?」
「えっ?」
ズィードはさすらい義団の仲間たちが驚いたことに驚いた。そしてケルバの姿を指さして説明する。
「ケルバがいるんだよ、あそこに! 見えないのか?」
「みんなには見えてないよ、ズィード」
訝る仲間たちを余所に、答えをくれたのはそのケルバだった。
「そもそも、ズィードにも見えないはずなんだけど……たぶん、その怪我だな。早く治療しないと死んじゃうぞ、団長」
「えっ! マジか!」
「ま、ズィードなら大丈夫か」
「おいっ」
「はははっ、なぁ、ズィード」
笑ったかと思えば、真剣みを帯びる声色。ズィードもそれに合わせて、真摯にケルバの目を見つめる。
「モェラを頼むよ。悪い奴じゃないんだ。ただ頭が固くてさ。それに面倒見はいいから、ズィードたちにはぴったりだと思う。モェラにもよく言って聞かせといたからさ」
「そっか。わかった。任せとけ」
ズィードが強く頷くと、ケルバは笑みを零した。そしてその姿を薄くしていく。
「じゃあな、ズィード。モェラが悪かったな。怪我、ちゃんと治せよ」
「おう」
友の姿が消えると、ズィードの視線はモェラのつぶらな瞳にぶつかった。