317:帰郷
碧き花が、暗闇に閃いた。
夜。
月も星もない、静かな夜。
碧の残滓がセラとユフォンの姿を少し見せるが、二人の姿はすぐに宵闇に溶け込んだ。
灯りもない夜。
セラは気配や感覚でユフォンをしっかりと感じ取れているが、対するユフォンは隣にいるセラを探るようにゆっくり手を伸ばしてきた。セラはその手を掴む。
ただ暗いだけでは彼も手を繋ごうとは思わなかっただろう。ただの夜なら。
不穏な空気が漂っていた。
そもそもセラはエァンダの存在、気配を頼りに元の世界に向け跳んでいた。その先にエァンダの姿はおろか、仲間の姿も、見知った景色もないのは異常事態に他ならない。
「入り口を決められた……」
「エァンダたち、じゃないよね、もちろん……」
「うん……でも、ヴェィルたちでもない」
「え?」
訝るユフォンを余所に、セラは真正面に鋭い眼光を向ける。
「あなたたちの神は帰ってこない」
彼女の声が夜に響くと、闇の中に白いフードが三つ浮かび上がった。二人を囲むように。
彼らは生気の神フュレイの三人の神官だ。
正面の神官が言う。「戯言を」
左の神官が言う。「我らの信仰がある」
右の神官が言う。「フュレイ様は不滅だ」
再び正面の神官。「長き年月、我らの身体が朽ちていないということは、そういうことだ。フュレイ様の力のおかげで我らはある」
神官たちの物言いや態度に、セラは少々戸惑った。確かに、と思えたからだ。
フュレイの肉体的な死は目の当たりにしたが、神という存在は信仰によって生かされている部分がある。形がなくとも、信仰があれば本当の意味での死は迎えていないと言えるのかもしれない。例えば時の樹の洞にいる、ヴェィルによって殺された神々。彼らは自身の世界を壊され、完全に信仰を得られていない。それを神の死というのなら、確かにフュレイはまだ死んではないのかもしれなかった。少なくともこの三人が強い信仰心を持っているのだから。
いや三人ではないか。
セラは夜の闇の向こうに巧妙に隠された気配を、いまになって捉えた。そもそも気配の小さい戦闘を生業としない人々。そのうえ隠しているのだから、そう簡単には捉えられないわけだ。
その場には、数えきれない人々が膝を折って、手を組み、祈っていた。
「そうかもね」セラは小さく笑って肩を竦ませた。「でも、わたしたちには関係ない。行かせてもらう。呼び戻せるといいね」
「待て!」正面の神官だ。「そう簡単に行かせるわけあるまい。フュレイ様へお前の命を捧げる。『碧き舞い花』!」
ざっと、一斉に周囲の人々が立ち上がった。
「うわっ、なんだいいきなりっ?……こんなに人がいたのかい?……いやいや、それより。セラ、まさか戦わないだろ? フュレイの信者といっても、兵士でもなんでもないわけだし」
「その心配必要、ユフォン?」
「あぁ……ははっ、愚問の極みだね。僕としたことが」
ざっざっ、ざっざっと人々が動きを合わせて二人との距離を詰めてくる。神官たちはまだ動こうとしない。やがて彼らの姿は信者たちの中に消える。
「同じ軸の中だし、今度こそちゃんとエァンダのところに」
そう言って、セラはユフォンと共に跳んだ。
二人はよく知るトラセークァス城の客間に現れた。
「「?」」
セラとユフォンは早々に声にならない音を揃えて首を傾げた。よく知るのだが、少し違和感があった。どこか輪郭がぼやけたような印象を受ける。
「なんか、違う気がする」
「僕も思ったよ。ついこの間来たばかりだっていうのに、なんだろうねこの感じ。なんか落ち着かない」
「ヴェィルたちとの戦いに巻き込まれたっていうには、壊されてるわけでもないし……」
「それよりエァンダたちはどこだろう? セラ、君はエァンダを目指して跳んだんだろう」
「もう扉の外まで来てるよ」
言ってセラは客間の扉に目を向ける。ユフォンがそれに倣うと、ドアノブが捻られ、扉が開いた。
「「!?」」
今度は二人して、目を瞠った。
エメラルドの瞳。
流水色の短髪。
背中に背負うタェシェとヴェファー。
そして気配。
右腕が悪魔を封じていた時のように真っ黒なのは気になるが、紛れもなくエァンダだった。
でも、別人だと思った。思わされた。
その時、セラの頭にはさっきの神官の言葉がよぎった。
『長き年月、我らの身体が朽ちていないということは、そういうことだ。フュレイ様の力のおかげで我らはある』
長き年月。気に留める必要のない、神への狂信からくる歪んだ愛情が口から出たものだと思った。でも違ったのだ。
たるんでいないのは彼だからか。皺の増えた顔のエァンダにセラは尋ねる。
「エァンダ、いったい何年……」
「さすがに俺も、あの日のゼィロスと同い年になるまで待つとは思わなかったぞ」口調はやはりエァンダで、飄々と肩を竦めて見せる。「四十年だ。よく帰ってきてくれた、セラ、ユフォン」