286:色が差す
ズーデルの怒りに身を任せた攻撃は雑だった。どこか上の空だったさっきまでの身のこなしの方が、武人のそれで、今は素人のようだ。
セラは簡単にいなし、壁をうまく使い、反動をつけてズーデルを殴り倒した。斬ることさえ、かわいそうに思えてしまっていた。
「ううぅ……」
倒れたズーデルは身体を丸め、頭を抱えて呻き声を上げる。
「なんでだよぉ……なんで、僕は殴られるんだよぉ……」
「……」
セラは警戒しながらズーデルを観察し続ける。さっきまで俺だった一人称が僕に変わり、とても覇王となった男とは思えない弱々しさだった。
「な゛にも、変わらない……のに、なんでだぁ……」
セラは思わず呼び掛ける。「ズーデル……?」
「うわぁ! ごめんなさいっ! いやぁだぁ、蹴らないで、もう……蹴らないでぇ……」
ガタガタと震えて、怯えるズーデル。
「蹴らないでよぉ……なんでもするから、助けて……助け――」
ズーデルの声が途絶えた。かと思うと、彼は勢いよく膝立ちになった。その目は虚ろに見開かれ、天を見上げていた。口もぱかりと開けている。その姿で硬直してしばらくすると、目も口も閉じられてがくりと項垂れて、また固まった。
するとズーデルから気配が消えた。
「気配が、消えた?」
「……命尽きたってことかい?」
「そこまでの負傷はしてないはずだけど。病気を持ってた、とかかな……っ!」
突然に、その気配が戻ってきてセラは身構えた。
「っはーっ!」
突然に、ズーデルが息を吹き返した。
「やっと……戻ったよ……」ズーデルがセラに墨を差したように思えるさっぱりとした青を向けた。「舞い花ちゃん!」
異変。セラもユフォンも気づかないわけのない異変が起きている。
ユフォンが叫ぶ。「色が!」
彼だけが。
彼だけに、色が。
戻っていた。
「ん? そう言えば、なんで生きてるのさ。俺が殺してあげたよね、舞い花ちゃん。後ろから、ぶすりとさ」
「夢でも見てたんじゃない?」
「……へぇ、そっか。そういうことにしておいてあげるよ。どうせまた死ぬんだけどねっ」
ズーデルがセラとユフォンに向けて手を突き出した。
陽炎が二人に迫る。
「終の権っ!?」
セラはすぐさまフォルセスをしまい、ユフォンの腕をとって踵を返した。全速力で走り、すぐに横道に転がり込んでやり過ごす。
「そんなの意味ないのに」
姿は見えないが、すぐそばでズーデルの声が聞こえた。次の瞬間、迷宮が鳴動し、二人の足場が後方へと動き出した。
二人はさっきまでいた道に戻された。ズーデルが爽やかに笑んで再び陽炎を二人に放った。
すぐにまた横道に入ろうとした二人だったが、そこにあった道は壁に塞がれていた。
「え、なんで!?」
「場の権……」
セラは迫る陽炎を見やる。そしてすぐさまユフォンの手を取って、直線となった道を駆ける。どこにも横道が見当たらない。二人が走り出すと陽炎はゆっくりになり、ズーデルはまるで楽しんでいるようだった。
「さあ、いつまで走り続けられるかな」
またしてもすぐそばで話しているようにズーデルの声が聞こえた。嘲笑混じりの声だった。