284:失われた力、残された力
色を失うことは、力を失うことと同義らしい。自身の色彩がなくなってから、闘気すら扱えない。
迷宮を進むことは三権を手に入れるためには必須のこと。
遅かれ早かれ、この状況になっていた。だからそこは問題ない。むしろすぐに知れたことは幸運だっただろう。
問題は別のところにあった。
ハンサンが異様に強い。
内なる力が封じられたからだと最初は考えたセラだったが、それでもあまりに押されていた。
彼女は今、外在力を用いて戦っている。灰色だが淡く輝き、空気を操ることはできている。
外在力による基礎身体能力の底上げはフォルセスの助けには及ばない。しかしそれでも、あまりに単純な身体能力の差があった。トラセークァスでの修業時代ならまだしも、今のセラなら外在力だけでも対等に渡り合える実力と経験が間違いなくあるはずなのに。
そもそも、なぜハンサンは若い姿のままなのか。どうして神の力は効力を残している。
失われたのは色。
ハンサンも漏れなく、色を失っている。トラセードだって使ってない。
ならばフュレイだ。
セラはハンサンの隙を見て、彼の後方のフュレイに向かっていった。もともとそう色味のないフュレイも、二人の戦いに合わせて迷宮の奥へと進む過程で色を失っていた。
それでもハンサンが弱くなることがないのは、神の力がこの場でも有効だから。その可能性を今、確かめる。
ハンサンがすぐに追ってきて、セラの背中に細剣を差し向けてきた。
だがわずかに届かない。切っ先が空気の鎧にかする程度だ。
気配を感じ取りセラがそう思っていると、強い風が迷宮に吹いた。
セラの後方から吹き荒んで、彼女の纏う空気が一掃された。さらには、風をうまく利用して身体を前に倒したハンサンの刃が彼女の左肩を貫いた。
「っう……」
「セラっ」
白みがかった朱色の髪を風に乱しながら、ユフォンが叫んだ。次いで彼の苦悶の声が彼女の耳に届いた。
何者かが彼を突き飛ばし、壁に叩きつけたのだ。
考えるまでもなく、気配を感じるまでもなく、その何者かの正体はわかる。
「舞い花ぁ!」
「ぐぁっ」
ハンサンまで蹴り倒し、その男はセラの前に躍り出た。
「伝わってきたぞ、お前の空気感!」
「ヌロゥ」
見開かれた右目。歪んだ刃が振るわれる。
セラが身体を後ろに反らしてそれを躱すと、身体に遅れた白銀の毛先がわずかに斬られる。
上体を勢い付けて戻し、セラはフォルセスの柄頭でヌロゥの頭部を狙う。わずかに頭をずらされ、彼女の攻撃は空気の鎧に固められた敵の肩口に落ちた。そして手首を掴まれる。
ぬらりとした鋭利な笑みを浮かべ、ヌロゥは彼女を掴んだその手を大きく外側へ振るった。
「んっ」
大きく引っ張られ体勢を崩すセラ。そして衝突する。
相手は、隙を突いて立ち上がって攻撃を仕掛けようとしていたハンサンだ。
「ぬぁ」
「邪魔をするなっ!」
ハンサンに吐き捨てると、ヌロゥはセラを再び自身の前に振り戻した。身体を捻り自身の懐にセラを入れ込むと、柄頭でセラの左肩を打った。ハンサンが作った傷口に直撃だった。
「ぅあ゛……」
「おいおい舞い花、これくらいで終わらないだろ? 俺はまだ楽しんでないぞ」
膝を着いたセラはヌロゥを睨み上げる。痛みで力がうまく入らない左手でウェィラを抜き、振り上げる。ヌロゥが明らかにわざとらしく余裕を見せて手を離し、狂乱にくくくと笑って後退った。
かと思うとヌロゥは興が冷めたように真顔になって、冷酷に目を細めた。
「まずは埃を払うのが先か」
ぬらりと身体を回すヌロゥ。その視線の先にはフュレイと彼女を護るように立つハンサン。
「フュレイ様、お願い致します」
「ええ、ちょっとゾクリとするわよ?」
「構いません。光栄です」
言って、ハンサンは上着を破り捨て、上半身を露わにした。その若き引き締まった背を、フュレイが艶美に指で縦に一筋、なぞった。
ハンサンが身体をぶるりと震わせ、嬌声を上げる。「はぁぁ、フュレイ様ぁ!」
「品がない戯れだ」
ヌロゥがゆっくりと、二人に向かっていく。
セラは敵三人に注意を向けながら、後方で壁際からセラの元へ来ようとするユフォンを声で制する。
「来ないで、ユフォン」
プチ……グギギ……ブチブチ……。
生々しく肉が裂ける音がした。発しているのは、ハンサンの背中だ。
一瞬、沈黙した次の瞬間、無数の手がハンサンの背中から、肉片や血をまき散らしながら生え出た。
「うっ……さっきより気色悪いな……」
ユフォンの引きつった笑いを合図に、うじゃうじゃと湧き出た腕たちがセラたちに向かって伸びた。