281:なにかが違う
跳びかかってくるバーゼィに対して、セラはフォルセスの七色を反射する刀身を即座に露わにする。しかしバーゼィが獣のものに変えた腕を振り下ろしてくるのを、受け止めることはしなかった。
敵の一撃を躱し、それから全身に碧きヴェールを纏う。
ユフォンを見ることなく離れた後方へナパードさせると、セラはフォルセスを振り抜いた。
「セラっ」
移動させた先からユフォンが彼女に呼び掛ける声だけが、静謐を突き進み彼女の耳に届いた。
バーゼィの腕、迷宮の壁や床、空気。
フォルセスが通った太刀筋はもちろん、その範囲を超えた延長線までもが静かに切断された。
「ぐ……ぐぁあああっ!」
先の無くなった腕を見て、後退りながら苦痛の絶叫をあげる『神喰らい』。それを『叛逆者』が白けた顔をしながら受け止めた。そしてィエドゥの口が動く。
「わざとらしい。お前には演者の才能はないな」
「っは、いいんだよ。だってそうだろ、俺はショーなんかに興味ねえんだから」
痛みはどこへやら、バーゼィは平然と言った。その腕を再生させながら。
腕の再生に目を細めるセラを見て、バーゼィが確かめるようにィエドゥの目を覗く。
「こいつ本当にヴェィルの子だな。だってそうだろ、想絶を使いやがる」
「程度はヴェィルさんの方が上だ。当然ながら、同じ想いでも強さが違う」
「わたしの想いが弱い?」
セラは低く言って、ハットの奥の瞳を下から射抜く。すでにィエドゥの懐に入り込んで、フォルセスを引いていた。
そして振るう。
「いいやそうではない……」
ィエドゥはナイフを袖口から出すと、フォルセスを軽々と受け止めた。
「君の想いは決して弱くないだろう、舞い花。彼の想いがただ果てしなく強いんだ。己の願いだけを純粋に追い求め、邪魔をする者は慈悲もなく排除する。それが愛する妹であってもだ。その覚悟が君にあるか?」
「そん……それは」セラは言い淀む。そして頭を振ってィエドゥを睨む見返す。「それは間違ってる。さっきも言ったでしょ。ヴェィルも、ズーデルも……周りの人を、無関係な多く人を不幸にしたっ」
「自らの絶望から立ち上がり覆す。それは偉業ともいえる。君もそうだっただろ。君も、ヴェィルさんの部下の命を奪い、きっとその家族を不幸にしている。なにも変わらないのだ」
「だから!」
セラは表情を歪め、叫んだ。フォルセスに掛ける力も弱めて。
「それは違うって! わたしは、違う!」
「ふん、それがヴェィルさんとの差だ。彼が故郷を取り戻し、君がその阻止に失敗した」
「……っ!」
あの敗北がセラの脳裏に色濃く浮かび上がってくる。敗北感が憤りになって、フォルセスが小刻みに震える。
ただそれも束の間だった。
ユフォンの手が、彼女の肩に置かれたのだ。
「セラ」
呼びかけと共に、セラとユフォンの身体は歪み、そして消えた。
「ユフォン……ありがとう」
無彩色に波打つ迷宮のどこかに移動すると、セラはユフォンに感謝を口にした。
「ううん、気にしないでいいよ。僕にはこれくらいしかできないからね。あーあ、それにしても、あの柱のところまで跳ぼうと思ったんだけどなぁ……」
苦笑しながら中央の光の柱を見やるユフォン。光の柱との距離は、さっきまでと変わっていなかった。同円周上で移動したようだった。
「これも、『彼』の仕業かな?」
「……彼って、さっきの声?」
「あぁ……うん」ユフォンは少しバツの悪そうな顔をしたが、それでも続けた。「幽体で過去に移動して行き着いた先にいたのが『彼』なんだけど……ごめんこれ以上は、ああ……僕もあまり理解できてないんだ」
ぎこちなさがあった。嘘だろうなとセラは思ったが、エァンダにしたみたいにレキィレフォの力を使うことはしなかった。勘がするべきではないと強く告げていた。
「それより、君のことだよセラ。もちろん僕も君が立ち直ってないことくらいわかってる。みんなの手前、前向きに歩いている姿を見せてるってね」
ユフォンは壁に背をつけ、腰を下ろした。隣に座るように、床を叩いてセラを誘う。
セラは躊躇う。離れたとはいえ、安心はできない。バーゼィとィエドゥの気配はまた探れなくなっていた。目の前にいた時、壁の振動を手で感じて少ししたあたりからは気配を読めた。つまりこれはこの迷宮の影響だとセラは結論付けた。程度はわからないが、あまり離れると全く気配を感じ取れなくなるのだろう。
気を張っていれば、感じ取れる範囲に敵が入ったらわかるか。セラは頷いてユフォンの隣に座った。
「うん。でも、少し違うのかな」
セラが座ると、ユフォンは上目で試行する仕草を見せた。
「負けたことを言われる前から、君の調子は狂ってた。……君は、ヴェィルがしていること、したことを否定したいけど、できないでいる。明確な違いが見いだせない。違うかい?」
「……」
セラは頷けなかった。ユフォンの問いかけは正しい。けれど、頷けなかった。
頷く代わりに、膝を抱える。
「わたしはやっぱり、ヴェィルの子だ」
「……」
ユフォンが小さく吐息を漏らすのが聞こえた。なんてことを言うんだと叱責しているようで、それでいてやりきれない思いに悔しがるようで。
「わたしは……ヴェィルと一緒だ。ううん、徹底して心を鬼にしたヴェィルの方が――」
「違う! 断じて!」
ユフォンが強引にセラの肩を掴んで、向かい合う形になった。セラが顔を上げると、すぐそこに彼の顔がある。真に迫った顔だ。
「抽象的になっちゃうけど、絶対に違うと思うんだ、僕は。ヴェィルの過去を見て、彼の心中に理解できる部分もあるけど、君と彼は僕の中では確実に、決定的に、なにかが違うんだ! 明確に言い切れないのが不甲斐ないけど、歯がゆいけど、そのなにかは絶対に、見つかる! セラなら、見つけられるさ!」
不意に涙が溢れてきた。その涙と共に、彼の名を口にする。
「ユフォン……」
誰かにヴェィルとは違うと断言されることが、これほどにも心の荷を軽くするのか。いいや違う。きっとその言葉をくれたのがユフォンだったことに意味があるのだ。彼が言うように明確な答えは出ていない。それでもなにかが違うということがわかった。今はそれでよかった。
「ああっ、ごめんよ。痛かったかい?」
セラの涙を見て慌てて手を離すユフォン。その姿にセラは思わず笑ってしまう。
「ははっ。わたしがユフォンの力で痛がるわけないよ」
「あぁ、ははっ、確かにそうだ」頬を掻くユフォン。「不甲斐ないね、本当に。なにが違うのか、ちゃんと言ってあげたかったよ」
「ううん。大丈夫。なんかすっきりした」
涙を拭う。
立ち上がる。
天を見上げる。
「考え続けるよ、わたし。ユフォンが絶対見つかるって言ってくれた、ヴェィルとは違うなにか」
セラは自身を見上げるユフォンに手を差し伸べた。
「さあ、行こう。今はあの柱に向かって前進あるのみ。ゼィグラーシス」
彼女の手を取って彼が立ち上がる。
そして二人は前に進む。