276:After Zero Point
フェルはあらゆる神々を訪ねて回った。
兄ヴェィルが神狩りをはじめること、それから遥か未来で異空が救われることを訴えた。神たちの協力が必要不可欠になることも。
直近で起こる神狩りについては事細かに話、彼らに十分な警戒をするようにと何度も言葉を重ねた。
そして傷を癒したヴェィルが神狩りをはじめた。
ただ、そこでフェルは気づくことになる。彼女が視た直近の未来と、実際に起きたことに差異があることに。
予見は条件によっては絶対ではない。
視たものと起きたことを照らし合わせ、彼女は予見の仕組みを徹底的に調べた。さらにはその折に、自分に予見を超える力があることにも気が付いた。
同時期に、ヴェィルの神狩りは終わった。
ヨコズナを狩ろうとし、返り討ちにあったヴェィル。弱った彼が母なる地に戻ったところで、封印の神となったヒュポルヒが造り出した無窮を生み出す装置によって、彼を世界ごと封じ込めたのだ。
それからは、待ちの時間だった。
フェルは異空を見た。
『彼』のように、ただ見た。ただ見ては、時折、予見の通りに動いた。
そうして久しぶりに兄と対面する。
遊界の民の血統である、渡界人の世界エレ・ナパス・バザディクァスだ。
精神体として封印を抜け出し、借りの肉体を造り上げたヴェィルと再会した。
「生きてたのか、フェル……」
彼は驚きの目を涙で潤ませた。
ミャクナス湖を覗く森の中、抱擁した。
フェルは泣いた。
そして彼女は想いのままに、彼の想いを改めさせようとした。そうはならないと知っていながら。
「兄さん、長い時間が経ちました」涙を拭い、真剣な眼差しで兄を見やる。「それはもう、とてつもなく長い時間が」
「ああ、そうみたいだな」
「世界はあのときより多様化して、いろんな文化が生まれた。世界同士で対立することもあるけど、多くの人が幸せに暮らしてる。ヴェィル兄さん、わたしたちも――」
「幸せに暮らす……」ヴェィルはフェルを遮って、覗き込むように見つめる。「できると思うか、フェル」
フェルは毅然と頷く。「できるよ。わたしと兄さんなら」
「俺とお前なら? それでいいと、お前は思ってるのか?」
「死んじゃった人は、戻ってこない。わたしたちだけでも、前に進――」
「友達を! 大事な人たちを奪われたんだぞ! 俺なら取り戻せる。あの時の幸せをっ!」
ヴェィルはフェルに背を向け、森の奥へと向かう。
「協力してくれないなら、それでいい。けど、邪魔だけはしないでくれ」
「……兄さん」
フェルの元から去ったヴェィルは、失意のままにエレ・ナパスをうろついた。
妹が自分の考えに賛同していない。その事実に打ちひしがれた。せっかくに生存を確認したというのに、台無しだった。
不意に、誰かにぶつかった。
ブロンドの髪と色素の薄い瞳を持つ女だった。フェルに似た雰囲気を感じた。それでいて、新鮮な感覚が沸き上がってくる。
そのまま呆然としていたヴェィルに、彼女は心配そうに尋ねる。
「あの、大丈夫ですか?」
クァスティアという女性は不思議だった。彼女へ抱く感情が不思議だった。
同じ時間を過ごしたいと思わせる。
そして実際に過ごした。
失意のヴェィルを慰めてくれた。
たった数時間が、とても長い日々に感じた。
打ち解け合った。
溶け合った。
だが、別れは早かった。
夜。独り満たされた気分で湖畔を歩いていると、ヴェィルの肉体は朽ち果てた。
明日も会おうと約束した。だから彼はもう一度肉体を造ろうとした。けれども精神だけ封印の外に抜け出した彼には、そこまでの力がなかった。
このままでは精神は封印の中に戻ってしまうと恐れたヴェィルは、肉体を求めた。ちょうどよく湖畔に座り込む流水色の髪の少年を見つけて、入り込もうとした。だが、少年は大きな力に護られていた。
その少年に触れた折、彼に連なる強い想いを感じた。
満ちていた気分が、さーっと引いていくような負の感情の塊だった。
「なにをやっているんだ、俺は」
目的を忘れていた自分が怖かった。一人で幸せを手にしようとしていた自分がいた。
「なにが、明日もまたここで、だ。俺の居場所はそこにはない」
感謝の想いを抱きながら、負の感情の塊を持つ者の元へ向かった。
ベッドで弱る少年を見つけて、入り込んだ。
敗北への恐れ、嫌悪。才能への焦り、嫉妬。自らへの怒り、疑念。
それらの無知なる感情は嘲笑に値したが、自身に目的を思い出させた少年の存在はこれからも戒めとして役に立つだろうと思ったヴェィルは、彼の意識を残し、身体も回復させた。顔にあった大きな火傷もきれいさっぱりなくなった。
意識を残したことでフェースという少年は、はじめヴェィルを拒んだ。だがそれも束の間、彼がフェースの持つ敗北への恐怖心や、あとから出てくる才能への焦燥感、それからそれに対処できない自身への怒りを解決できることを伝えると彼は肉体の共有を快諾したのだった。
『これが軸歴でいうところの、752年240日前後までの出来事。
そしてここから二十五年の月日が流れる。
運命に導かれた彼女が、ようやく僕のところに来ることになる。
あとは彼女が本当に象徴に値する存在かどうか、見極めるだけだ。』