256:精悍な騎士。空気を読まない魔法使い。
セラは首を回し、ヴェィルを睨み上げる。
ヴェィルは右手に摘まむ水晶を見つめながら、左手に水晶の球を現した。彼の両手ではそれぞれの水晶が等しく振動しはじめた。
ヴェィルは感慨深そうに、そして抵抗があるのか力強くその二つを近づけていく。振動は近付けるにつれて細かく回数を増やしていく。触れるギリギリになるときぃーんと高い音を発した。
そこでセラは気付く。
静かだったことに。
喉が壊れそうなほどの金切り声で叫んでいたズィードの声が、今はしていなかった。
いつ止まったのだろう。
今だ。水晶に高音を引き渡しかのように。
なぜ止まったのだろう。
疲れ切ったからではない。むしろ、ズィードの気配が紅き気迫を纏っているときよりも大きくなって、今、同じくそれに気づいて目を向けようとしたヴェィルの頬を蹴り飛ばした。
「だぁりゃ!」
円柱と球の水晶があらぬ方向へと転がっていく。
「なんだ、全然怖くなんかねーじゃん、ってカッコつけたいけど…………怖くないけど、勝てそうにはないな」
ズィードは別人のような雰囲気だった。快活に団員を引っ張ていくさすらい義団団長の印象、それがなくなったわけではないが、薄い。とても多くの苦難を乗り越えてきた歴戦の戦士のような、悟り落ち着いていて、それでいて荒い雰囲気がついて回っている。精悍な、安心感のある男がそこにはいた。
差し伸べられたズィードの手。セラはそこに手を置いて立ち上がる。
ここ数分でこんなにも変わるのかと、セラはその想いのままに疑問を零す。「なにがあったの、ズィード?」
「死んだんだ」
きっと的を射たことなのだろうが、あまりの説明の雑さにセラは小さく頷いて自分に言い聞かせた。「……ズィードだ」
「ん?」
「まだ覆らないか……」
ヴェィルが立ち上がった。そして、転がった円柱の水晶に向かって手を伸ばした。対してセラはすかさず、無窮を生み出す装置と思われる水晶の球に手を伸ばした。
黒と碧が同時に閃いて、それぞれの水晶がヴェィルとセラの手に納まった。
それから三人が動き出すかというところで、この場にはお世辞にもふさわしくない、小さな気配が現れた。セラ、ズィードの二人とヴェィルの中間だ。
空間を渦巻かせ、魔導書館司書が灰銀髪をふわりとさせて、アズの地に降り立った。
「……」
「……」
「……」
セラも、ズィードも、ヴェィルも、険しい表情のままヒュエリ・ティーを見つめた。当人はちらっ、ちらっと自身を挟んだ三人を見やると、ばたばたとセラとズィードの後ろに身を隠した。かと思うと、身体の前に抱えていた、大きな水晶がポンプで囲まれた装置を地面に置いて、弄りはじめた。どぅーしゅ、どぅーしゅとポンプが駆動して、その周りに魔素が溢れ出るのをセラは感じた。
セラは軽く身体を振り向かせ、視線をヴェィルから離さずに問う。「……ヒュエリさん?」
「完全幽体になるマカが完成しました。今、フェズくんそれを実行しました」
セラは完全幽体になるということがどういうことなのか考えて言葉を詰まらせる。「え、それって……」
「はい。フェズくんの身体は生命活動を完全に停止しました。けど大丈夫です、ジェルマド大先生がフェズくんが帰れるように、身体を保存してくれていますから」
「でも、完全幽体のマカが、今とどういう関係が?」
「フェズくんは世界に愛されし者。でも命を落としたのなら? 確証はありませんが、賭けてみる価値はあると思いませんか? なにより、フェズくん自身がどうしてもと……凄い怖い顔で迫ってきて……うぅ……」
ヒュエリは帝の顔を思い出したのか声を震わせた。しかしそれも束の間、彼女は一時作業の手を止めて芯のある声で告げる。
「フェズくんがずっと夢見てきたんです。外の世界への旅……叶わないなんてありえませんよ!」
「そうそう、俺なんだから叶わないことないんだよ」
その声は空気を読まず。
天才の登場を告げる。
透けた身体のフェズルシィ・クロガテラーがセラとズィードの前に現れた。
「えぇっ!?」
ヒュエリが一番驚いた。セラでも、ズィードでもなく彼女が一番。
「え? えっ? えぇ……? なんで……フェズくん……いるんですか?」
「えっと?……え?」
ヒュエリのあまりの様子にセラはヴェィルから意識すらも逸らして振り向いた。
「なにか問題があるんですか? これって成功ってことですよね? 世界を愛されし者でも、命落とせば外の世界に出られるって」
「そう! いえ、え? 成功?……でもだって……だってわたしはまだ、思念転写のマカを使っていません! それをしないと、瞬間移動のマカが使えないフェズくんが、いくら幽体であっても、来れるはずないんですよぉ! えぇっ、どうしてですか、なんでですかぁ~!?」
ヒュエリが発った禁書の中で、ジェルマド・カフは独り司書室を漂っていた。帝の身体はついさっき消えた。
「まさかこんな形で完成するとはな。研究者としては、納得しづらい。不本意だ」
「あなたの感情は、関係ありません。これで多くの空が救われるのですから」
白き閃光が部屋を照らしたかと思うと、彼の背後に予見者の女が現れた。
「あなたが100年前私に見せたあの未来。確かにあれは悲惨だった。無残にもほどがある。誰かもわからぬほどボロボロになって命を落としていたのは、あの渡界人の娘セラフィだったというわけですな」
「そうですね。感謝します、ジェルマド・カフ、あなたとご子息、そしてヒュエリちゃんにフェズルシィくん。あなたたちはわたしの大切な家族の命の恩人です」
「兄上の命を奪うことになるのではないのですかな?」
「……はい。しかしこればかりは仕方がありません。兄を止めるのも、家族であるわたしの役目ですから」
「なるほど、家族ですか。あなたの、いえ、あなたたち家族の未来、さぞかし幸運なものになっておるのでしょう。非礼を承知で、僅かばかりでもその未来、この目にすることは可能ですかな?」
「……」
返答がない。ジェルマドは振り返り、フェルの様子を窺いながら苦笑する。
「無理ならばよいのですが……ん?」
フェルは眉を顰め、遠くを見ながら呆然としていた。それは幸せとは程遠い顔だった。