251:戦場はエレ・ナパス
義団と共に戦うゼィロスとサパル。義団の面々がそれぞれに連携を取り合うのを傍目に、ゼィロスはサパルの援護を受けながら赤紫の花を操り、多くの小石の兵隊をなぎ倒していた。
花の攻撃を掻い潜って接近してきた敵に対しては、サパルが鍵で動きを封じ、ゼィロスが斬り倒すという形を取った。
すでに町のナパスの民も戦いの騒々しさに気付き、ゼィロスたちが指示するより早く避難をはじめている。元々人数が多いわけではない、一族全員が家族のようなナパスの民だ。王城に拠点を置く役場の者たちを筆頭に、互いに声を掛け合い、色とりどりの光を放って故郷から跳び立っていく。
賢者として異空に目を向けるゼィロスはエレ・ナパスに顔を出すことはあれど、自分たちとの関りから不幸に見舞われる可能性もあるだろうと、多くを口出ししていなかった。それでも民の動き出しは早く、動揺も少なく見受けられた。きっと『夜霧』の襲撃から学んだものがあるのだろう。集合地が再び戦場となった時の行動を事前に決めていたようだ。避難するべきだとわかるとすぐに跳んでいく民たちを見ると、避難先として第二の集合地を決めているのだろうと思う。
民の命が安全だとわかるだけで、充分に心の支えとなった。
だが、心の支えだけでは戦いには勝てない。ナパードの光に実体を持たせる影の秘伝は疲労が激しい。老いたる肉体ではそう長くはもたない。そもそも影の秘伝は異空に害をもたらす身内のナパスを暗殺するための技術だ。相手に触れ、跳ぶと共に切り刻み命を奪う。その一瞬だけ実体化させれば充分なのだ。それを戦闘、特に多体戦に使えると新たな使用法を生み出したのがエァンダだった。弟子を真似してゼィロスも練習し身に着けたはしたが、どれだけ扱えるようになっても疲労を軽減させることはできなかった。こんな状況でなければ使わなかっただろう。
汗が酷い。呼吸も荒い。ヴェファーを握る指先の感覚が鈍い。
「ゼィロスさん」サパルがゼィロスに寄ってきて心配の声をかけてくる。「一度治療室に入りましょう」
「駄目だ、義団だけでは手が足りないだろ。己惚れでも、自世界ためだからというわがままでもないぞ……今、これだけの広範囲攻撃は俺しかできないっ」
強がって言ってみても、身体は正直だった。頭がくらっとしてゼィロスはよろける。それをサパルがすぐに支える。
「言ってるそばから……」サパルは鍵束から鍵をちぎった。「あなたは連盟の要です。ここで倒れられるのは困ります。それにエァンダの尊敬する人です。傍にいながらなにもしなかったらあいつに怒られる」
「エァンダが? 俺を?」
ゼィロスは首を横に振って苦笑する。
「さっきも言ってたじゃないですか。偉大なナパスの導師だって」
「あんなの、建前だろ……」言いながらゼィロスはサパルが正面に向けた鍵を降ろさせる。「あいつは俺より強いんだぞ?」
「強さと尊敬の相関関係はないと思いますけど。ほら、セラだってあれだけ大きくなってもあなたのことを慕ってる。その点に異論はないんじゃないですか?」
「……異論はないが……はっきり言ってくれるな。さすがはエァンダの友だ」
「あぁ……ごめんなさい」
「いや、責めてはいない。セラが俺を超えたことは事実だ。それに、そのことを師として誇らしく思っているからな」
「じゃあ、言うこと聞いてくれますね。セラのためにもあなたはまだ前を歩かないといけないんですから」
「いや。だからこそだ」
ゼィロスはサパルを押しやり、前に出る。
「?」
「だからこそ、俺はここで立ち止まらない……! セラの前を歩くということは、そういうことだ!」
赤紫がその量を増す。天を覆い、地を這い、小石の兵士を飲み込んでいく。
「うぁおおおおっ……!」
ゼィロスは身体中から振り絞るように叫んだ。
サパルが驚きの声を上げる。「ゼィロスさん、髪が……!?」
赤紫の髪が根元から、白くなっていく。
誰かの能力だろう、ミャクナス湖が大きく膨れ上がり、水の巨人を生み出した。大鎌と翼の男スジェヲをはじめとした近接戦闘に親しんだ者たちの相手をしているエァンダに、水の拳が影を落とす。
エァンダは群青の花でそれを受け止めて上へ押し返し、地上では激しく敵を捌いていく。不用意にその命を奪ったり、戦闘不能な状態にすれば、他の者のヴィクードで振り出しに戻されかねない。だから、彼は手加減しながら、愛剣の準備が整うのを待っていた。兄弟子フェースの命に終わりを与えた、絶命連穴。命を奪うために生まれた刃の最高到達点。対象の命を確実に終わらせるために斬るべき斬り筋が見えるのだ。
とはいえ、大抵の剣が真に力を発揮するのは人に握られたとき。意思を持ち、自身のみでその刃を振るえる刀剣であっても、完成形には届かない。
剣士と刀剣。両者の意思の疎通が完璧だからこそなせる一撃必殺の剣術なのだ。
「タェシェ、まだか?」
『三十人近くいるのよ、急かさないでほしいわ。失敗は許されないんだから』
「俺が疲れ切ったら元も子もない」
『もう疲れてるの?』
「そん――」
問われたそばから、エァンダは頬に落ちて来た水滴に否定できずに閉口した。疲労は明らかだ。彼が上空で水の巨人を止めている群青たちに目をやると、まばらになり、空が覗いていた。
巨人が両手を組んで大きく振り下ろしてくる。群青は散り消えて、ついに再び水塊が影を落とす。
さすがにナパードでその場を離れようとしたエァンダであったが、敵がそれをさせまいと攻撃の手を激しくする。巻き添えをいとわないらしい。きっと熟練した記録術によって仲間だけの再現をするつもりなのだろう。
影が濃くなる中、混雑する攻防の末エァンダは数の暴力に屈する。薄衣の男が離れたところから外在力によりエァンダの足を掬うと、鋭利な四肢を持つ男がエァンダに覆いかぶさった。さらに畳みかけるように湖畔の砂が蠢き、彼の手足の自由を奪うと、誰かの呪詛が耳に届きナパードまで奪われた。
『エァンっ!』
タェシェの心配する声にエァンダは笑んで、小さく息を吐いた。
次の瞬間には水の拳が見えない壁を殴っていた。エァンダへの拘束も、彼を護るように敵をさらっていく嵐のような衝撃波にすべて解けた。そして彼は天を見上げながら呟く。
「タンクの魔素でここまで……いや、違うな――」
「そうだ、エァンダくん。今、エレ・ナパスには魔素がある」
倒れるエァンダに差し出される、逞しい腕。エァンダはそれを掴み、立ち上がる。彼らの後方ではジュメニ・マ・ダレとドード・ワンスが大きな水晶をポンプで囲んだ装置を置いていた。離れたところでも魔闘士が同じ装置を設置している。
「ただ、その準備のために遅くなってした。すまない」
ブレグ・マ・ダレ。
頭を下げる鎧の魔闘士に、エァンダ肩を竦め飄々と笑う。
「謝る必要があると思ってるのか? これだけの戦士を連れてきておいて」
エレ・ナパスに、五百を超える気配。ミャクナス湖畔から丘の上まで、埋め尽くすのはホワッグマーラの魔闘士だけではない。瞬間移動のマカで一斉に連盟の戦士を移動させたのだろう。そしてそれは今も続いていて、さすがにエァンダでも細かく感じ取れないほどだった。
なにはともあれ、増援だ。