210:紐引き
「わたし、いつまで待ってればいいんでしょう、あひょあっ!?」
キノセの状態は極度の疲労状態だと見たセラは、トラセークァスではなくスウィ・フォリクァへと跳んだ。ヒュエリの疲労回復のマカを頼って。
密売人のネゴードはコクスーリャに捕縛されている状態だったため、『酒樽の塔』に残されたが、それでもセラを含めて七人だ。急に彼らが目の前に現れたことに、小会議室に一人でいたヒュエリは一瞬だけ身体から幽体を出して驚いた。
「…………セラちゃ~んっ、驚かさないでくださいよぉ~……」
「ヒュエリさん、キノセに疲労回復のマカをお願いします」
「え? は、はい!」
セラがすかさず言うと、ヒュエリはばたばたとテムに肩を借りるキノセの元へ。
「えっと、すぐ眠ってしまうので、横に」
指示通りにテムがキノセをその場に寝かせると、ヒュエリはその手を温かい光に包んでキノセにあてがった。すっと指揮者が寝息を立てはじめた。
「イソラの方は……」
ケン・セイが抱きかかえる自分の顔をしたイソラ。彼女の方は単純な疲労とは違った印象を受ける。気配は健康そのものだ。起きていないのがおかしいくらいに。
「俺、ゼィロスに報告。テム、来い」
イソラを降ろしたケン・セイ。そこでチャチがオルガの手を挙げさせた。そしてなにやら神妙な声色で言う。
「わたしも伝えなくてはいけないことがあるので、一緒にゼィロスさんのところに」
「じゃあ、セラ姉ちゃん、イソラ。ここは頼んだ」
部屋を出て行く三人を見送り、セラはイソラに心配そうに手を握られたイソラを見やる。
「…………」
しばし考え、一人頷いた。そして二人のイソラに触れて、ヒュエリに声をかける。
「ヒュエリさん、キノセをお願いします」
「え? セラちゃんたちはどこに――」
セラは申し訳ないと思いつつも、説明せずに跳んだ。
すり鉢状に穿たれたくぼみが数多存在する大地。そのくぼみの底の一つにセラはナパードしてきた。くぼみの中は霧に満ちていて、触れていなければイソラたちのことを見失ってしまう。奪われてしまう。この霧がいくら彼女たちにとって近しいものであっても、正体が明るみになるまでは手を離してはいけない。これは死の雰囲気なのだから。
「セラお姉ちゃん、ここは?」
ヒィズルのイソラが尋ねてくるが、セラは彼女には応えずに霧に向かって声を上げる。
「卑怯なのかもって思ったけど、イソラを起こせる可能性がある人はあなただけかと思って」
イソラが不思議がるのが感じられる。セラは触れる手に力を込めて返すことで、安心していいことを伝える。
「ザァト」
「ザァト……? イソラの、お父さん?」
霧がくぼみの最下部、セラたちの前に集まってくる。それは次第に人の形を成し、ついには額に角のある顔がはっきりとそこに現れた。
「ここは時の樹の洞だ。蔦に生きる者がそう易々と立ち入っちゃいけねえ」
ザァトは呆れるように首を振り、肩を竦めた。だが次の瞬間には一転していた。彼は倒れるイソラと膝を着くイソラに向かって駆け寄り、膝を折ると盛大に両手を大きく広げてから抱きしめたのだ。
「けど! いい! ぜんっぜん問題ない! 娘二人に会えたんだからよお!」
「……」
セラは神を呆然と見下ろした。確かに彼は神にしては人に近い存在だと認識していた。だが、もう少し威厳を持って戒められるものだと思っていた。
「はあ……ははっ」
溜息交じりながらも、セラは笑った。それも仕方なしかと。親子の再会なのだ。状況も建前も関係ない。そういうものだ。
ただいまは和んでいるばかりではいられないのだ。そうしてセラがザァトの肩を叩こうとしたところで、先にヒィズルのイソラが声を上げた。
「あの、あたしはあなたの娘じゃ、ないよ……それに、今はイソラを!」イソラはザァトを強く押して身体を離した。「セラお姉ちゃんがここに来たってことは、あなたならイソラを起こせる! そうでしょ!」
「娘じゃないなんて言うなよ……と、まあその前に、そうだな、こっちの寝坊助さんを起こさねえとか。話はそれからだ。二人も力貸してくれ」
言いながら倒れたイソラに触れると、彼女の身体からザァトの手に従うようにして複数の糸が溢れ出てきた。それらは撚りあって、一本の紐となった。
その紐を先導するザァトの手が、ヒィズルのイソラに触れ、次いでセラにも触れた。すると二人からも同じように紐が出てきて、ザァトが導いていたイソラの紐に結ばれた。
それを見届けてザァトは言う。「さ、引っ張れ」
「え?」とイソラ。
首を傾げるセラ。「引っ張る?」
「そうだ、ほら早く」
促す神にセラとイソラは互いに目を合わせてから頷き合う。イソラが立ち上がると、それぞれ自身から伸びる紐をしっかりと掴んで引きはじめた。
「さ、引いた引いたぁ! よぉ、せいっ! よぉ、せいっ!――――」
ザァトは懐から取り出した二つの扇子で二人を盛り上げる。セラはその姿に、案外抵抗のある紐を引きながら聞く。
「ザァトは、一緒に、やらないの……?」
「よぉ、せ……ああ、俺は神様だからな。宴はやるが、力仕事はしねえ」
今度ばかりは本当に呆れ返るセラ。「そう、なんだ……」
「どれくらい」イソラが額に汗しながら聞く。「引っ張ればいいの?」
「さてなぁ…………ああ、イソラが起きるまで!」
しばし思案したかと思うと、ザァトは思いついたようにそう言った。結局のところわからないということだった。
「とにかく、引っ張るしかないみたいね」
「うん、頑張ろうセラお姉ちゃん!」
「うんうん、いい心構えだ。きっとイソラも応えてくれるだろうな。よぉよぉ! よぉ、せいっ! よぉ、せいせいっ! よぉ、せいっ! よぉ、せいっ! よぉよぉ、せいっ!――――」
ザァトの掛け声を聞きながら、二人は紐を引くのだった。