208:探偵と手品師
「……はて、なんのことでしょう?」
マスターはカウンターの中で柔和な顔を装い、コクスーリャにようやく返答してきた。
「ふぅん、じゃあ質問を変えます。その前に、どうぞ飲んで下さい。俺からの奢りですから」
「お客様のご厚意とあれば……仕方ないですね」
空のグラスと布を傍らに置き、マスターはコクスーリャが差し出したグラスを手にした。
「そうこないと。で、質問ですが……」
コクスーリャはマスターが置いた布に手を伸ばす。白い布だ。その途中で未だに酒に口をつけないマスターにもう一度勧める。
「あ、どうぞ、飲んで下さい」
「え、ええ……」返事をしながらも、マスターはグラスを口につけようとはしない。コクスーリャが手にした布を見たまま動きを止めている。「お客様、それでなにを?」
「ふぅん、そうですね。ちょっと手品でも披露しようかと」
「……手品」
コクスーリャとマスター、細められた二人の視線がぶつかる。
「はい。ご興味がありますか?」
「ええ、まあ、人並み程度には」
「ところで、やっぱり気になりますね。さっきまでいたお客さんたち」
「えっと、あのさっきからなにを? お客様がご来店なさるまで、閑古鳥が鳴いてましたよ」
「それはおかしいですよ。俺は声を聞いてここに来たんですから」
「声? 誰もいないのに声がするわけないと思いますが」
「そうですか。おかしいですね……もしかして、この布の中とかにいたりして」
「布の中に? 面白いことを言いますね、お客さん」
「そうですか、ありがとうございます。それより、飲んで下さいよ。俺からの酒は飲めませんか?」
「そういうわけではないですが……」
「まあいいですよ。じゃあ、披露していいですか、俺の手品、と言いたいところですが、もう実ははじまってるんですよ」
「それはそれは、いつのまに」
「と言っても、俺のショーは手品じゃなく推理ショーだけどな」コクスーリャはマスターを鋭く睨んだ。「ィエドゥ・マァグドル」
「そうか。では聞かせてもらおう。どうやってここに辿り着いたのかをな。コクスーリャ・ベンギャ」
言いながら、顔に手を掛け、身体の背後に手を回したマスター。その顔が剥がされ、変わるように身体の背後から出てきたハットを深く被った。
「気づいててしらばっくれようと考えていたなら、なめられたものだな」
「それはこちらの台詞だ、探偵くん。さすがの学習能力だが、俺に対してその技術力ではな」
ィエドゥはグラスをコクスーリャの方へ押し返した。
「やっぱりばれていたか」
「包みの技術はこうやるんだ」
言うとィエドゥはグラスから離した手を引きながら、どこからともなくカウンターに立方体を出現させた。その手には異空環はない。純粋に手の中に隠していたということだ。まったくそうは見えなかったが。
コクスーリャは肩を竦めて言う。「お見事」
「では、そちらも披露してもらおう。もちろん、酒に混ぜたものがなにかなどとは聞かない。『真実の口』だということは想像がつくからな」
「まったく、ユフォンには困ったな」コクスーリャは爽やかに肩を竦めた。それから不敵に笑む。「まあ、それだけで困るようじゃ探偵は成り立たないけどな」
ここで少し間を開けてから彼は続ける。
「まずこの世界には、消える寸前のセラたちの気配を目印にして来た。これは説明するまでないか? そして探偵の七つ道具の一つ『暴露の耳栓』を使って声を聞いた」
コクスーリャは右手の人差し指を示して見せた。そして右耳の穴を塞いだ。
「爪に塗ってある薬のことなんだが、こうすると周辺の人の声が一斉に耳に入ってくる。俺はその中から騒然としているものをいくつか探し出して聞いたんだ。直前に騒動が起きていれば人はざわめき、そのことについて会話する可能性もある。そして、いくつかあった候補の中の一つの声が急に消えた。とはいっても悲鳴などは聞こえなかったので、暴力の気配はないと思った。セラたちが消えた後に他の人間も消えたとなれば、そこが目的地になるのは当然だろ?」
「なるほど。だがまだ拍手をするには早いな。確かにそこまでわかったうえでここに来たのなら、消されていない俺が客たちを消した張本人であることは容易に判断できるだろう。だが、どうして俺の正体までわかかる?」
「『君、ショーがはじまるんだ、そんなものはしまうべきだ』」
「ん?」
「キノセとの通信が消える直前に聞こえた声だ。こんな言い回しをする人間は現在の『夜霧』ではあなたくらいなものだ、手品師さん」
「セラフィは俺のことを知らなかったようだが、キノセ・ワルキューは知っていた。連盟の情報共有もずさんなものだ。『碧き舞い花』は主戦力で、さらに言えば俺たちの目的でもある。敵の情報は教えておくべきだろう」
「ご忠告ありがとう。今回帰ったら、ちゃんと教えるさ」探偵は口角を上げる。「まあでも仕方ないさ、彼女は主戦力ゆえに多忙でね。息つく間もなく動いてる。それに、もう狙われて簡単に落ちる姫じゃない」
「ふむ、確かに」
ィエドゥは一瞬視線を逸らして納得の声を上げた。対してコクスーリャは爽やかでいて鋭い声で言う。
「さあ、もういいだろう。ここからはどっちの手が早いかだ。俺が布を開いてセラを出すのが先か、あなたがその箱を使って俺たちを閉じ込めるのが先か」
「ほお、箱のことも知っているのか」
「まだ連盟でも俺たち二人しか知らないけどな」
「おっと、その手には乗らない。俺がその連れを気にした瞬間に動くのだろう?」
探偵は白い布を、手品師は箱を。互いに相手の挙動を窺いながら、自分が動ける機を探り合う。
「どうだろうな。彼の存在はちゃんと気にしていた方がいいかもしれない」
「言葉の綾だ。気にはしている。ただ意識を取られることはしない。それより、それが煌白布で、その中にセラフィがいる保証がどこにあると?」
「セラはキノセともう一人に遅れてその気配を消した。それはつまり別の方法、別の場所に囚われたと考えるのが妥当だ。その箱は閉じ込めた者を殺す道具だ。とりわけ神をな。だからこそ、一度閉じ込めた神を出して逆襲を受けないように、解放の術をネゴードから聞いていないんだろ。というよりも解放をする方法があることすら聞いていない。違うか?」
「やっぱりネゴードが情報源か。まさか彼から情報が漏れるとは。さすがはコクスーリャというべきか?」
言いながらィエドゥは箱に向けていた手をカウンターを滑らせるように引いていく。それをコクスーリャは注意深く観察する。
と、その時だ。
コクスーリャの懐で音が鳴った。通信機の音だ。
気配のないものが唐突に出した音に、コクスーリャの注意が逸れてしまう。その瞬間だ、引いていた手をィエドゥが返した。
手品師の掌には、カウンターに置かれたものと全く同じ箱がもう一つ乗っていた。光を放って。
光に輪郭がぼやけていく中、コクスーリャは口角を上げた。