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碧き舞い花Ⅱ  作者: ユフォン・ホイコントロ  訳:御島 いる
第四章 黄昏の散花
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200:小さな研究者の大きな隠し事

 チャチ・ニーニは行き詰っていた。

 研究がうまくいかない。

 この日、気分転換に博士の研究室に忍び込んだ。なにかいい刺激を受けられるかもしれないと。

 博士の行なっている霊長生物の研究にはあまり興味はなかったが、そういうところから得られる刺激はあるだろう。なにより、博士が研究に取り組む姿勢を見ることも意欲が湧いてくることに繋がる。

 ――ふーん……これがプロトタイプですね。

 熱心な博士は忍び込んだチャチに気付かない。彼女はじっくりと試験管に入った黒い液体を観察した。

 ――霊長生物ってことは、異空を移動することもできるのでしょうか……。

 自分が研究していることと結び付けられるかもしれないと、チャチは試験管から小人の指先程度の黒い液体を、携帯していた自分の試験管に拝借した。

「こら! なにをしているんだ、チャチ!」

「うあ!」

 チャチは咄嗟に試験管をしまい、いつの間にか後ろに立っていた博士に応える。

「研究で、行き詰っちゃいまして、それで気分転換でもしようかなぁ、って……」

「俺の研究室に勝手に入るなと何度も言ってるだろ。今回はなにも触ってないだろうな?」

「はい、なにも。ただ見てただけですよ」

「本当か? 異空間航行装置の試作品はそう言ってまんまと持ち帰られたからな」

「今回は、大丈夫ですってば。そんな人を盗人みたいに言わないでくださいよ、博士」

「いや、お前は盗人だチャチ」

「え……酷いです……」

「最後まで聞け。いいか、研究とは他人が積み上げてきたものの上、もしくはその横に添うような形で進めていくものだ。他人のアイディアを受け、自分がどうそれを生かし発展させるか。それが研究の大部分を占めるのだ。当然、なにもないところか全く新しいものを生み出す研究者もいるが、これは稀なことじゃ。だから盗み、自分のものにし大きく進展させる能力というのは往々にして大事なものなのだ。そしてそれをお前は持っておる。盗作だ、他人のアイディアだとほざく輩など、発展させた研究で捻じ伏せてしまえ」

「……はい」

「ま、だがな、試作品のことはもうとよかく言うつもりはないが、物を盗むのは本当の盗人だからな。どれだけ研究に必要だからといっても、今後するんじゃないぞ」

「……はい」

 高説を受けて、頷きも見せ、申し訳なさが浮かんできたチャチだったが、彼女はこの時、霊長生命のプロトタイプを返さなかった。

 些細な嘘で済ませていた。

 この時は些細な嘘で終わったのだ。

 だがこれが今となっては、今でも打ち明けられていない大きな隠し事になってしまうのだ。

 嘘を吐いたことを申し訳なく思ったチャチは、拝借した霊長生命のプロトタイプを調べて自分の研究に使うことはしなかった。そうして装置の試作品の改良に没頭している間に、その存在すら忘れていた。

 思い出したのは、セラたちがそのことについて博士を訪ねて来た時だった。それから一人になった時にプロトタイプの入った試験管を探したが、見当たらなかった。

 チャチはプロトタイプが、博士の怪物のように飛び出して行ってしまったのだと思うと、誰にもそのことを打ち明けることができなかった。そろそろ打ち明けたい。打ち明けて楽になりたい。その方が異空のためでもあるのだから。

 しかし、彼女にはできなかった。

 どこかで楽観視もしていたからだ。異空には飛び出してはいない。プロトタイプだから、小さく分かれた液体は蒸発して消えてしまっただけだと。

 苛まれる。

 繰り返し苛まれる。

 打ち明けるべきだと思う義務感や使命感と、気にすることはない、思い過ごしだという楽観の間で心が揺さぶられる。

 ただそれも、何度も繰り返しているうちに、頭の中から消えていっているようだった。



 今となっては違和感の覚える左腕の重み。

 青年だった。

 ヒィズルで敵なしと謳われた、正道を行く剣士だった時代だ。

 外の世界に強者を求めた武者修行の旅。

 シオウ・ヴォナプスと出会った。

 震える出会いだった。

 全く歯が立たなかった。

 教えを乞うた。

 無下にされ、ついには利き腕を失った。

 それでも諦めなかった。

 そのはずだが、腕を失うその場面までをただ繰り返すばかりだった。

 腕を失った時、絶望した。

 ――だが、俺は諦めなかった。心は、折れなかった。

 渡界人の弟子の言葉を借りぬのなら、ゼィグラーシス。

 まやかしに屈する気は毛頭ない。

 何度目かわからないシオウの切断の手刀。

 ケン・セイは壊した。

 強い意志を持って、自ら、左腕を刀で切り落とした。

 まやかしに、打ち克った。

「俺の過去、感情……勝手に、決めつけるな」

 芯のあるケン・セイの瞳に、正しき過去が今に向かって流れる。



 酒樽が積み重なってできた塔の前、コクスーリャは不意に足を止めた。

『葡萄の街道』にあったキノセとイソラ・イチの気配が消えた。そのあと、セラの気配も途切れた。

 コクスーリャが気配を見失ったことに気付いた様子で、ネゴードが小さく笑む。

「どうやら手遅れだったようですね。まさか特殊な繋がりで捜し出せるとは思いませんでしたが、その人物も閉じ込められてしまっては、もう捜しようはないな」

「フィアルムの探偵をなめてもらっては困る。気配が消えようとも人捜しはできるさ」

 セラが遅れて消えたことが引っ掛かる。きっとそこに糸口があるのだろうとコクスーリャは思案を巡らせる。

「お手並み拝見といきますか」

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