166:酷い友達
故郷は滅びていない。異空図を眺めるアレスは、一つほっとした。断定できないがあの『紅蓮騎士』によって攻撃され、炎に包まれはしたが、世界の命は尽きていない。沈静化したら、みんなと帰ることができる。帰る場所がある。
セラがナパードで跳んだ先は、赤く焼けた空に砂塵舞う世界だった。
光沢のある幾何学的に組まれた長方形の石で、人工的に造られたと思われる建造物。その中でアレスたちは砂塵を逃れていた。今もセラが往復して、息のある者を連れてきている。
それでもがらんとした建造物の内部。入り口で外に身体を向けるアレスの背後で、集落の人たちは無事を確かめ合い、失ったものを確かめ合い、薄い喜びと濃い悲しみを分かち合っている。子どもたちは静かだ。なにが起こったのか、理解していない子がほとんどだ。けれど、大人たちの不安と哀感に、押しつぶされそうになっていた。
アレスにはそんな子どもたちを励ますことはできなかった。自分に余裕がないのもそう。不用意に勇気付ける無責任もそう。人殺しとは思えない、繊細さが自分の中にあったことに驚く。自分のこととなるとこうも、痛むのか。
「アレス」
不意の声に、振り向くとセラが疲労の色を含んだ顔で立っていた。
「探せた人は、全員連れてきたよ。あと、あの男はもういなかった」
「おう、ありがとう」
隣に来るセラに、アレスは告げる。
「セラがいてくれたおかげで、助かった。おれだけだったら、あいつにすぐ殺されてただろうし、みんなも見つけられなかった」
「うん」
「本当にありがとう、セ――」
「アレス」
セラはアレスが呼ぶのを遮った。さっきまでエレ・ナパスにいた不安定な彼女はそこにはいなかった。本物のセラに会って、世界が焼けるのを見て、みんなを助けて回った。その経験と行動が急速に、彼女をセラに近づけたようにアレスは思った。
だから覚悟した。終わりだ。
「……わたし、セラじゃないんでしょ?」
どこか申し訳なさそうに告げられた二の句に、アレスは目を伏せる。
セラは続ける。「セラはエレ・ナパスで会った、あの人」
気づいてしまった。
騙すつもりはなかった。むしろ騙していたのはアレス自身のほうだった。彼女が憧れの英雄で、自分はその友達なのだと、思いたかった。
「フォルセスに」アレスは打ち明ける。「いや、セラが背負ってるその剣にさ」
彼女の言葉に合わせて、セラは背中の剣を抜いた。それが証明になることをもう知っているのだ。アレスは目を伏せたまま横目で一瞥する。
露わになった刃。
ごく普通の刀身。
そこに『碧き舞い花』の証しはない。
「神の鳥の意匠がないのを、組手で見た時におれは気づいてたんだ。あの時さ、咄嗟にウェィラと同じで奪われてるなんて言ってさ……無理があったよな、ならウェィラの時に一緒に言えって話だろ?」
自嘲するアレス。セラは優しく笑い返した。
「ふふっ、確かに、なんでいまさら言うんだろうって思った。でも色々お世話してくれてたし、忙しくて伝え忘れちゃったのかなって」
「お世話、か。そんな優しい言葉にしないでくれよ。おれはセラを、自分のものにしようとしたんだ。記憶をなくしたことをいいことに、セラの過去に割り込んでさ……」
「うん、それは酷いよね。ほんと酷い」
「軽蔑してくれていい。そして、もう……おれに関わらなくていい。セラじゃないって、お前も気づいたんだし……もう、用ないしな」
「セラじゃないから、消えろって?」
「セラじゃなくても、ナパードはできるだろ?」
「セラじゃないけど、友達でしょ? アレス」
「……ぅっ」
「そんな辛そうに涙流しながら言われたって、説得力ないんだから」
「泣いてなんか、ねぇよ……」
目頭が熱い。涙が流れてるなんて信じたくなかった。自分で自分を偽って、満足していただけだ。なにも感情が動くことなんてないはずだ。セラがセラではないと知っていて、本物が現れればこの時も終わるんだとわかっていた。
いつか、そんな時が来たら、開き直って彼女のことを見捨てられると思っていた。『碧き舞い花』を語る悪人の命を奪うのと同じように冷酷に。
なのに、重い。
セラがアレスに寄り添った。
「アレスがわたしに『碧き舞い花』の物語を思い出を交えながら話してくれたこと。わたしが忘れたいろんな戦い方も教えてくれたこと。アレスができないことも、物語に書いてある内容から、こうじゃないか? ああじゃないか? って真剣に二人で悩んだ。その思い出は本物のセラにはない、わたしの本物。でしょ? そしてそれはアレスの中にもある本物。その日々はなかったことにできないよ、アレス」
「たった三日そこらだ」
そうだ。セラがアレスのもとに来てから、そう長い時間は経っていない。自分で言って、驚いた。涙するほどの時間を過ごしてはいないはずだった。
セラにはアレス自身のことを混ぜ込んで『碧き舞い花』の冒険を語った。長い時間一緒に旅をしていたと。
それを信じたのが彼女で、信じ込んだのがアレス自身だったということだ。
我ながら愚かだ。とんだ茶番だった。
「……あ、そっか、話してくれた思い出、嘘があったんだ」セラが隣で視線を落とした。「アレスは、昔からの友達じゃなかった……」
「そうだ、わかったろ。おれはお前の友達じゃ――」
優しい掌がアレスの顔を包んで言葉を遮った。二人はサファイアを向き合わせる。そしてセラは親指でアレスの涙をぬぐった。
「なかったことにはできない、大切な三日間。今のわたしの中で、一番大きな思い出。話に聞いた物語は、どこか他人事だった。まあ、本当に他人事だったけどね。だから、アレス……友達じゃないなんて言わないで。本物の前でわたしのこと友達だって言ってくれたこと、嘘にしないで」
アレスは息を呑んだ。
「セラじゃないわたしは、セラとして友達にはなれないけど、わたしとして、アレスの友達だから」
「セラ……」
セラは困ったように笑う。「だからセラじゃないって」
「……」
「……あー、とりあえずはセラでいいかな。なんて呼べばいいか、わからないもんね」
「セラ……」
「アレス」
「ぅぅ、セラっ……」
アレスはセラに抱きついた。そして我慢をやめて、涙と熱い吐息を心のままに解放する。
「ふふっ、アレスにもこんな一面があったんだね」セラがアレスの銀髪を撫でた。「なんか新鮮」
「一生の恥だ、忘れろよ……」
「えーやだよ。これも大事な思い出なんだから。絶対に忘れない」
「……酷い友達だな」