165:ピクニックでもしようか
夢だ。
セラは黒の中に、一人佇んでいた。
ヨコズナの試練を終えてから三回目の就寝だった。前回までの二回と同じ。だから夢だとわかる。
ただ黒い空間にいる。
黒と、自分だけ。
悪夢なのかと問われれば、肯定も否定もできない。
故郷を奪われたあとの悪夢のような苦痛はない。そもそもこの夢に感情は付随していない。
ただ、セラは思う。
これはきっと、未来を暗示したものなのだと。
彼女には想造の一族の血が流れていて、前例もある。ズィーの死を眠るたびに目にした。そして実際に、ガフドロとの戦いの中で、彼は命を落とした。夢との相違はいくつかあっただろう。しかし現実に起きた。予知夢だった。
さらに言えば、ノアがホワッグマーラに現れたのも彼が夢を見たからだった。エムゼラが調べると言っていたのはその予知夢のことだ。
そしてなにより、叔母であるフェルは予見者として未来を知る。
黒と自分だけ。
あまりにも情報が少なすぎる。この夢がどういう状況を報せているのか、完全に読み解くのは難しいだろう。
あまりにも情報が少ないのに――。
セラはそんなことを頭に、ぐっと黒を見据える。
そして目覚めへと向かっていく。
目覚めは悪くない。やはり悪夢ではない。
跳ね起きることもなく、静かにサファイアを露わにし、隣で髪をぼさぼさにした想い人を映す。微笑むと身じろぎして、身体を起こす。麗しい肌が差し込む朝日に眩しく白む。
「……んー、セラ……早起きだね…………ははっ」
寝ぼけた掠れ声が耳に届いた。
セラが個人的に今すぐに取り掛からなくてはならないこと。
想造を使いこなせるようになることは時間を掛けてやっていくこととして、彼女がいま近々にやらなくてはいけないことが、なくなった。
ゼィロスやエァンダ、ノアとも話せた。『名無しの鍵』も返し、旅をさせた。幽体と記憶のことも聞いた。アレスの短剣も返した。
そこでセラはユフォンにペレカ捜索に参加しようと提案した。ウェル・ザデレァの方はテムの作戦があるし、装置によって解放される水晶を持ったセラが赴いたのでは、もしもの事態が起きかねないと判断した。
「うん、そうしよう。でも、少しくらいここでゆっくりしていっても、誰も怒らないよ」
それがユフォンの返答だった。
こうしてセラはユフォンと共にエレ・ナパスでの休息をすることになった。
王城は役場となったが、セラの部屋が残されている。だから今朝、彼女は久々に記憶にある一番古いベッドの上で目覚めを迎えたのだ。
レオファーブをはじめとしたセラの家族が命を落とした現在、代々受け継がれてきた王家の血筋は絶たれたことになる。エレ・ナパスが『乖離の鍵』から解放され時軸の上に戻った時、セラは民に自身にレオたちとの血の繋がりがないことを打ち明けた。
しかしそれでも、民はセラを姫だと認めた。
そう、王ではなく姫だ。ナパスの象徴としての姫だ。
民たちはセラを心の支えとした。そうして自分たちで復興に尽力し、その後も世界の内側と外側におけるやりくりを自分たちで行っているのだ。
だから城も役場になった。
もとより王族と民の距離が近かったこともあり、一族という括りでの認識が強かったナパスだ。王城に勤めていた者を中心に行なわれたこの変革にも、いざこざは生まれなかったし、ぎこちなさもなかった。
「トトスの森でピクニックでもしようか」
着替え終えたユフォンが言った。
「そうだね。久しぶりに自分で薬草を採るのもいいかも」
「えっと……それってピクニックかい?」
「大丈夫だよ、リョスカ山じゃないんだし」
「あー……ははっ、わかった」
「わっかんねー!」
『紅蓮騎士』はその紅い髪をガシガシと掻いた。
空気を伴った拳に吹き飛ばされたアレスは、セラと支え合いながらそれを見ていた。追撃はない。あれが本物の『紅蓮騎士』かどうかはさて置いても力の差は圧倒的だった。隙があるのなら逃げるべきだと考え至る。だが、アレスは燃え盛る故郷から出たくなかった。みんなを置いて行きたくなかった。
「勘が当たったと思ったのに、なんか、今はお前がセラじゃないって勘が言ってる。どう見たってセラなのに」
ズィプガルはセラを指さすと困惑と苛立ちを見せる。
「どうなってんだ!?」
アレスは強気に鼻で笑う。「はん、あんたこそ紛いもんじゃないのかい、あんちゃん?」
「なに言ってんだ、お前。俺が紛い物? 誰の?」
「そんなの『紅蓮騎士』ズィプガル・ピャストロンだろ。憧れた英雄なんだろ? ならもう死んでることぐらい知らないのか?」
「俺が? 死んでる? ふざけんな、俺はこうして生きてる!……生きて……は? 死んでる!?……うぐっ」
突然頭を抱えて膝から崩れ落ちた『紅蓮騎士』。そのまま苦悶の声を漏らしながらうずくまってしまう。
「なんだ?」
「アレス、なにが起きてるの?」
「わからない……とにかく、今はここを出よう、セラ」
「え? メランやデン、他の子どもたちはどうするの! まだみんな生きてるよ!?」
「! ほんとか、セラ!」
燃える故郷に動転して気配をうまく感じ取れなかったらしい。みんな死んでしまったのだと思っていた。しかし今の彼女の言葉は不幸中の幸いと言えた。
「うん! みんなを助けてここを出よう」
セラがアレスの腕を心強く握ってきた。その顔を見て、アレスははっとする。やはり、そこにはセラがいた。憧れの存在セラフィ・ヴィザ・ジルェアスが。
「やっぱ、セラだな」
「え?」
「なんでもない、みんなのところに頼む」
「うん!」
そうしてアレスはセラのナパードで『紅蓮騎士』の前から去る。最後に、苦しそうな『紅蓮騎士』が「セラっ……」と二人に向けて腕を伸ばしていた光景を目にして。