163:入れ墨の姉ちゃん
ペレカ・エウロブは連盟の異空移動装置を盗んで、スウィ・フォリクァを抜け出した。不安でいっぱいだった。それでも、父を探したいという気持ちが勝った。
ペレカの母を武器街の誤爆で亡くし、自分にも行かないようにと言っていたのに、そんな父が武器街に行くはずがないとペレカは思っていた。それでも、仕事を持つ大人だ、立ち寄る用事があったのかもしれない。万に一つでもそうだったとして、母と同じく武器の誤爆で亡くなるなんて、作り話もいいところだ。
父は絶対生きている。
どうしてユフォンが嘘をついたのか。彼がなにを隠しているのか。
知りたい。
会いたい。
「お父さん……」
ペレカは募る想いと、押し寄せる不安に言葉を零した。
願えば叶うと、飛び出したのは間違えだったのかもしれない。異空に散らばる数多くの世界もビュソノータスとさほど変わらないものだと思っていた。
甘かった。異空が、異世界がこれほどまでに険しいものだったなんて。
ぐるるるるる…‥。
巨木の影にへたり込むペレカの耳に猛獣が喉を鳴らす音が届いた。息遣いはすぐ後ろだ。どすん、どすんとゆったりとした足取りが、彼女の脈拍を逸らせる。
そしてついに、たてがみに覆われた猛獣の顔が歯茎をむき出しにして、ペレカを覗き込んだ。
「ひぁ……!」
「ガァアアアア」
咆哮に巨木が揺れ、木の葉がひらひらと落ちてきた。
「ァァ、ァ……」
ガクンッ――。
「……ぇ?」
猛獣が突然、倒れた。
「なぁ、こいつがシシシシシでいいんだよな?」
「違うってズィード。シシシジシだ」
「あってんじゃん。探してたのこいつだろ?」
「いや、そうなんだけどな……。ま、いいよ。早く縛って連れて行こう……って、子ども?」
猛獣の影から、四角い瞳孔の男がペレカを覗いた。続くように、牙の生えた男も。
猛獣という危機が去った、その安堵感に緊張がふっと途切れ、ペレカは気を失った。
信者たちの祈りの言葉が機械的に繰り返される。
張りぼての教祖を立て、自らを崇めさせる。人の形から解放されたことで、姿を保つには信仰が必要不可欠となった。しかし信仰を集めるために自らが信者の前に立てば、目的のために注げる時間が減ってしまう。
異空に君臨する唯一の神へ。その道のりは次の段階へ向かう。
フュレイは張りぼての花神と信者たちと隔たった壁の向こうで、三人の神官を前に静かに語る。
「色々な方法があるでしょう。ですが、わたしは興味深いものを見つけました」
三神官が神の言葉を待つ。
フュレイは数部の新聞を手にしていた。その一番上の一面には『ホワッグマーラ消滅!? 一体なにが!?』の見出しがあった。
セラとユフォンは服が乾くと、ディル・ミャクナからエレ・ナパスへと移動した。
セラの故郷。神聖なるナパスの民の集合地は、湖の世界とは打って変わって太陽が高く昇っていた。ミャクナス湖がきれいに晴天を映し出している。
「やっと帰ってこれたって感じがする」
「二年以上だもんね、なんだかんだで」
「ホワッグマーラの方が行ってるんだよね、なんだかんだで」
「ははっ、確かに。……さあ、ご両親に婚礼の挨拶しに行かないとだね」
「そうだけど、違うでしょユフォン」
「アレス・アージェント。彼女はなんでここに?」
「とりあえず、みんなに被害はないみたい」
言いながらセラは振り返った。それと同時に彼女を呼ぶ声がした。
「おーい、セラちゃん!」
湖畔を大手を振って駆けてくるのは赤髪の男。かつての想い人の面影が見受けられる快活な笑顔が近づいてくる。
「おじさん。こんにちは」
ズィプガル・ピャストロンの父である。少々息を切らし、セラたちの前に来ると、不思議そうに言う。
「家で待ってろって、言っただろうに。なんで出てきてるんだ。……あれ、ホワッグマーラの人じゃねえか。あの入れ墨の姉ちゃんはどうしたんだい? 見守り交代か?」
「え? えっと、まあとりあえず、お久しぶりです。ピャストロンさん」
ユフォンは要領を得ないままの様子だった。それはセラも同じだ。ただ二人の中に入れ墨の姉ちゃんという言葉はしっかりと留まった。そしてその人物のほかにもう一人、『セラ』がいるということも。
「おじさん。わたしたち今来たばかりなんだけど……どういうこと?」
「はあ? なに言ってんだ。また記憶なくしちまったかよ、セラちゃん。今からノォソスとウェイダを連れて小せえ頃の思い出話を聞かせるってところだろ?」
「記憶をなくした? 彼女が?……それって」
ユフォンが訝しみ、セラと視線を合わせる。
セラは彼に頷き返す。
「おじさん、わたしはその入れ墨の人と一緒に来たの?」
「おいおい、本当に言ってるのか? そうじゃないか。入れ墨の姉ちゃんがセラちゃんがなにも覚えてないから、昔の話をしてあげてくれってよ」
「今、おじさんの家にいるんだよね」
「いや、それはこっちが聞きてえな。家で待ってろって言ったのに出てきたのはセラちゃんの方じゃないか」
「おじさん、落ち着いて聞いて。その入れ墨の人と来たっていうわたしは、わたしじゃない」
「はいい?」
ズィーの父は素っ頓狂に顔を歪めるのだった。