160:ドルンシャ帝の過去
老執事ジイヤが恭しく手招く。
「ヒュエリ様から連絡はいただいております。どうぞ、こちらへ」
新設されたモノクロの建造物。帝居はズーデルによって開けられた穴の上に浮かんでいた。穴の縁と橋で繋がれてはいるものの、建物はどこも大地に接していなかった。
セラとユフォンはその新帝居ではなく、穴へと誘われた。壁に沿って階段が設置され、長く深く地下深くまで続いている。照明のマカで辺りを照らすジイヤに先導され、二人は潜っていく。そんな中ユフォンがジイヤに、恐る恐るといった様子で尋ねる。
「あの本当に僕も一緒でいいんでしょうか? セラはともかく、僕は陵墓に足を踏み入れる資格なんて……大葬にも赴かなかった罰当たりなマグリア市民ですし」
「なにを仰いますか、ユフォン様。あなた様は市民の避難という帝令に心血を注いでくださったお方です。大葬にお顔を出されなかったのも、セラ様という大事なお方のために奔走なされていたからでしょう。ドルンシャ様はそんなあなた様を責めることなど致しません。そうであったからこそ、今回あなた様にも御見送りの機会が与えられるべきなのです。なにより、ドルンシャ様にお二人に感謝の意を伝える機会をお与えください」
ジイヤの優しくも悲哀に満ちた声色に、セラとユフォンは目を見合わせて黙り込んだ。それから僅かな静寂ののち、揃って「はい」と静かに告げた。
大きな光を失い、今は照明の魔具でほのかに照らされる最深部は、ズーデルとの戦いの跡が未だに残っていた。
削られた地面や壁面を見ると、セラの脳裏には燃えかすのようになったドルンシャの姿が浮かんだ。兄との思わぬ再会が浮かんだ。自身の死が浮かんだ。
自然と胸元に手がいった。瞳を閉じる。鼓動を感じる。ノアの鼓動だった、今はもう、己の鼓動。
セラがゆっくりとサファイアを露わにすると、地下ではなく別の景色が飛び込んできた。緑豊かな、『竪琴の森』だ。
『やるな、ビズラス』
『そっちもね、ドルンシャ』
若き日のビズとドルンシャ。英雄と帝になる前の二人が、魔素や剣を交えていた。とても楽しそうに、じゃれ合う。それでいて、高い技術のぶつかり合い。
『こら! お前たちなにをやってるんだ!』
不意にしわがれた男の声が飛んできた。
その声にドルンシャが顔を歪めた。『カフ先生だ! 逃げるぞ、ビズ』
ドルンシャがビズの腕を掴むが、ビズは眉を顰める。
『渡界術だよ! ほら、早く』
『あ、ああ』
黄色い花が散ったのを、ヒュエリと同じものと思われるローブを羽織った男がやれやれと見つめる。
『まったく、世話を掛けさせてくれる。ギルディアークの血筋がそうさせるのか……』
そこで景色はじんわりと地下空間に溶けていった。
セラは笑いを零した。「わたしとズィーと同じことしてたんだ、あの二人も」
「なにがだい?」
「『竪琴の森』で組手してたのドルンシャ帝とビズ兄様。それで怒られた」
「どういうことだい? もしかしてドルンシャ帝と会えたのかい?」
「ううん、記憶が見えただけ」セラはそれだけユフォンに言うと、今度はジイヤに聞く。「あの、聞いていいことか迷うところなんですけど、ジイヤさん。ドルンシャ帝って、ズーデルと繋がってた都市ギルディアークとなにか関係があるんですか?」
「……」
ジイヤに反応はなかった。表向きは。表情には出さずに済んでいるが、セラにははっきりと感じられた。思考の波が揺らいでいる。だがそれは隠そうという感情と表情の相違からくるものではなく、悲しみや苦しみによって揺れているようだった。
「構いませんよ。そもそもユフォン様にお話しする予定でしたので、お二人にはお話しておきましょう。歩きながらでよろしいですかな」
今度は憂いを帯びた表情になって、ジイヤの思考の波が安定した。そして地下空間の横穴に向かって歩き出す。二人はそれに続く。
「ユフォン様。ドルンシャ様のフルネームは? と問われればなんとお答えになりましょうか?」
「え? それはもちろん、ドルンシャ・ド・マグリアーノです。マグリア初代帝の子孫だということは、マグリアの人なら誰でも知っていますよ」
「そうですね。しかし、ド・マグリアーノは母君の姓なのです。ドルンシャ様の母君メリーカ様は先代の、いや今となっては先々代のギルディアークの帝、ギアレント・ギルディアーク様の元へ嫁がれたのでございます」
「それってつまり、ドルンシャ帝はギルディアーク初代帝の子孫でもあるってことですか?」
「ええ」
「でも、ギルディアークは他の都との交流を好まなかったはずです。どうしてドルンシャ帝の母君が嫁いだんですか、というか嫁げたんですか?」
「ギアレント様は開都を望んでおられたのでございます。その最初の一歩がメリーカ様とのご成婚だったのです。そうしてドルンシャ様がお生まれになり、さらに開都へ向けて乗り出そうとしたそんな矢先のことでした。開都を嫌いこれまで通りを望んでいたギアレント様の弟君、ボリジャーク様が反乱を起こしたのです。メリーカ様の執事として共にギルディアークに赴いていた私は、幼かったドルンシャ様を連れ、マグリアへと逃れたのです。父君も母君も亡くされてしまったドルンシャ様は、それはもう手の付けようがない荒れ具合でした。血筋によって受け継いだ莫大な魔素と才、私とメリーカ様のご友人でおられたアルバト・カフ様の二人で毎日のように手を焼きました。ブレグ様をはじめ、警邏隊の方々には随分お世話になったことです。この話は結構有名なことですね。そんなドルンシャ様をお変えになったのが、セラ様、あなた様のお兄様でございます。ビズラス様との出会いを機に、ドルンシャ様の中に芽生えた力への責任。民を背負うという血筋への義務。それらの責務を持って、ドルンシャ様は帝となる決意をなされた。そこからは人が変わったように努められ、周囲の人々の見る目も変わっていき、ついには誰もが認める帝となられた。そして帝になる折、ドルンシャ様はこれまで隠していた自身の出生について打ち明けようとなさいました。しかし私とアルバト様は止めました。ギルディアークの名はあまりいいものではなかった。築き上げたものを一瞬にして壊しかねないと。しかし杞憂でした。ある時、一人の記者がドルンシャ様の過去を突き止め、その事実を確かめるために帝居に不法に押し入ってきたのです。ドルンシャ様は彼の不問にし、過去も偽りないもので、記事してもらっても問題ないと広い心を見せました。私はハラハラしたものです。記事が出てしまったら、どう揉み消そうかと。しかし一向に記事が世に出ることはありませんでした。もちろん記者の方はご存命です。フェフリーン様です、ユフォン様」
「そのフェフリーンさんって、ユフォンの記事がよく載る『フェフリーン&ヨロクナ社』の?」
「そうだね。記者としての熱意ももちろんだけど、それだけで非情になんでも暴くようなことはしない情に厚い人だよ。まさに今ジイヤさんが言ったみたいに」
「そっか……わたしも、ユフォンも意外なところでドルンシャ帝と繋がってたんだね」
「そうですね。そしてこれもなにかの縁です。ユフォン様、今回の件、後々本にまとめていただけませんか?」
「それが僕に話す予定だった、ということですか」
「ええ」
「でも、いいんですか? これまで明かさずに来たのに」
「ええ、ドルンシャ様の一生を、後世まで残したいのです。包み隠さず、全てを」
「……わかりました。今度しっかりと時間をとって、お話をお伺いしますね」
「はい。ありがとうございます。ドルンシャ様も、きっと喜んでいらっしゃる」
優しく顔に皺を寄せて言うジイヤの視線の先、モノクロのレンガで包まれた空間が広がっていた。