156:契約
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「名前のないものを探すのは骨が折れる」
酒呑の宴会場。飲んだくれたちが騒ぎ立てるこの世界にも、落ち着きはらう空間がある。
喧騒を背に静かな晩酌を楽しむための移動式の屋台酒場。
コクスーリャはベルトの金具だらけの服に身を包む老人の隣に腰かけた。
老人が応じる。「酔った勢いで抱いた女でも探してるのか、若いの」
「『名無しの鍵』はそもそも盗まれていなかった」
コクスーリャは調べ上げた結果を、単刀直入に言い放った。
「名前のない鍵? 当然だ、鍵に名前なんつけるやつはいないだろ」と言って老人は杯をしゃくる。
「七封鍵の盗難事件。なかなか骨のある案件でしたよ。世界の伝統とその変革まで絡んだ複雑さ。けど、あなたにはその説明はいらないでしょう。プスケ・ドルモークさん」
「人違いだな、俺は――」
「ポルトー・クェスタ」コクスーリャは窺うように老人を見る。「に、なるはずだった。でしょ?」
老人は黙ってコクスーリャに横目を向けた。探偵を見定めるように、じっとして、それから口を開く。
「俺はレプスタ・マレルだ。にしても、なるはずだった、とは奇妙なことを言うな若いの。俺はそういう話を酒の肴にする趣味はないんだ。もう行く」
老人は勘定をカウンターに置くと、席を立った。
コクスーリャは矢継ぎ早に言葉を連ねる。
「トルカ・メーテ、メテレク・ポレント、マーサル・ゲムルプ、ルタレス・デム、サルプ・ススラ……もっと遡りますか?」
老人はさっきの勘定と同額をさらにカウンターに置き、店主に静かに告げる。「同じものを、もう一杯」
無駄のない動きで老人の前に差し出される杯。老人はそれに合わせて、勘定とは別の金をカウンターに滑らせた。それは二杯分の勘定の倍額以上だった。
店主が杯代とその金を受け取ろうとすると、コクスーリャは今しがた老人が出した金を引き下げた。
「こっちの代金は俺が出しますよ」と老人と同じ料金を代わりにカウンターに置いた。「俺が聞きに来てる側なんで」
店主は改めて杯代とコクスーリャからの金を手に、屋台から出ていった。「ごゆっくり」
途端、外の喧騒がまったくなくなった。二人だけの静かな場が出来上がった。情報をやり取りする探偵や、情報を売る情報屋には浸透しきった酒呑の宴会場の『裏路地屋台』。コクスーリャも何度か使ったことがあった。
「それで、探偵くん。君は一体どこまで知っているんだ?」と老人が切り出す。
「あなたに辿り着くまでです。依頼達成までの進行状況を言うなら、あとは『名無しの鍵』の場所を聞くだけだ。回転扉のことも、十三本の神の鍵、その中で『名無しの鍵』に与えられた役割のことも、全部調べました」
「凄い調査力だ……」
「心配しないでください。扉の森がザルなわけじゃないので。ただ俺たちが凄いだけなので」
「……。そこまで知っているのなら、『名無しの鍵』を求めなくてもいいとサパルに説明してくれればいいものを」
「それには、サパルを納得させるには、彼に彼も知らない彼の世界のことを話す必要が出てくる。場所を教えてくれるなら、俺の中に伏せておくことができます」
「どちらを取るべきか、か……。あの鍵の場所は誰にも知られていない方が安全だ。もちろん俺自身にも。だが、新しい時代への変革という意味では、サパルたちに任せるのが筋だともいえる。彼もあの鍵の危険性は承知しているだろうし。悪しき伝統を断ち切るには、ここでそのことに触れずに彼の手に渡らせる、これはいい機会なのかもしれない」
老人は杯に手を掛け、少し弄ぶと、口をつけた。
「しかし、俺の方法で今まで『名無しの鍵』が誰の手にも渡らなかったのも事実。知られていないこと、それこそが一番の鍵なのだ」
「まあ確かに、俺が実物まで辿り着けなかったわけだから、実際そうでしょうね」
「探偵くん、うまいことやってくれると約束してくれるか? そうしたら、俺すらも知らないあの鍵を探すための道具を渡そう」
「それはご依頼ですか?」
「そう捉えてもらっても構わない」
「なるほど、探偵にするには珍しい依頼だ。でもいいですよ、そうとなれば約束ではなく、契約を結びましょう」
コクスーリャは爽やかに老人に笑みを返す。
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