151:碧い粒
碧と黒、そして湯気が漂う。
紅や黄を流す川の音だけが変わることなく継続する。
静かに親子の睨み合いは続く。
不意に黒が鳴りを潜める。
セラは訝しんでサファイアを細める。
「あの時とは違うようだ。恐怖がない」
「そっちこそ、その顔、嫌でも親なんだって思うよ」
青き瞳がセラの耳へ流れる。
「取れるもならこの機に取っておきたいところだが――」
再びサファイアを捉える青。
「――今はやめておこう」
黒き輝きを放って、ヴェィルは姿を消した。気配まで完全にこの世界から消えた。
セラはふぅと力を抜いた。「よかった」
そして彼女は振り返る。
想い人の顔を正面に捉え、にっこりと。
「ただいま、ユフォン」
「ははっ……」筆師は目の端に溜まった涙を指で拭って笑った。「また消えちゃったりしないかい?」
「う~ん……今のところは?」
惚けて見せるとユフォンは急に彼女に抱きついてきた。
「偽物でも、ないかい?」とセラの耳朶を優しくくすぐる。
「わたしはそうだと思ってるけど……もしかしたら偽物かも」
「ははっ……もし君が偽物だったら、抱きついちゃって、僕は本物のセラに怒られてしまうね」
「大丈夫だよ、ユフォン。ここにいるわたしは本物だし、本体だから」
「え?」ユフォンが身体を離してサファイアを訝しんで覗き込む。「本体って?」
現れたセラがすっとズィードとシァンに手をかざした。その動きに合わせて碧きヴェールが揺らぐのをズィードが見ると、次の瞬間には彼らは元に戻っていた。
怪我はもちろん、服も元通り。シァンに至っては鱗もなくなって、ズィードの上で意識を取り戻した。
「……ズィード? なに、どうなって」
「いや、それは俺に聞かれても」
「二人とも、ほら立って」
セラは二人に手を差し伸べていた。
「セラお姉ちゃん?」
「セラ? どうなってるの?」
「説明できる時間はないかな。分化なの、これ。とにかく、シァン。逆鱗花の葉っぱの使い過ぎは駄目だからね。みんなのところに戻ったら、ちゃんと今回のこと謝らなきゃだめだよ」
喋っているセラの姿は徐々に薄くなっていき、言い終える少し前には碧き粒となって消えてしまった。
エァンダの形をした黒い生物が、髪のような黒い触手をうねらせながら飛び掛かってきた。「今度こそ、お前を手に入れる!」
セラは剣を抜くことはなかった。
飲み込むように広がる触手。セラを包み込もうとしたその時だ。彼女の掌底が悪魔の胸部を打った。
「ぎゅあぁぁ!」
悪魔の悲鳴がどんどん遠のいていく。エァンダの身体を残して、背中側へ黒い液体が剥がれていく。大地にべっちょりと落ちる悪魔と、セラに支えられるエァンダ。
エァンダが気付く。「……セラか。分化で来るなんて、兄弟子への敬意はないのか?」
「ごめん、ユフォンの方が危なかったから」
「危なくなくってもそっち行くだろ?」
「……。自分で立てる? 立てるなら立って。分化が消える前に悪魔を消さなきゃ。それにサパルさんも治さないと」
「まったく、酷い妹弟子だ」
肩を竦めながらセラから離れるエァンダ。
セラは二人が会話をしている間からサパルへ向けてじりじりと動いていた液体に目を向ける。ただそれだけで、悪魔の液体が沸騰しはじめた。
「ヤメロッ、ヤメ、ァア゛ア! ビァヤアアアアアッ、ヤメッテ…………!」
「マカ?……現地人の域じゃないか、それ」
「まあね」
得意気にセラが言うと、悪魔は跡形もなく消えた。それは蒸発ではなく、完全な消滅だった。
続いてセラは倒れたサパルに向かって手をかざした。
「こっちの人は……」セラは動作の最中後方に倒れた男を一瞥した。だがその男の命は完全に閉じていた。「もっと早く来れてれば……」
「いや、いいんだセラ」エァンダは清々しく告げた。「ルファは俺が倒した。ここで終わりだ。偉大な最期を迎えたんだ、起こすなんて無粋だろ」
「……敵?……とは少し違うんだね」
「まあな」
エァンダは頷くとセラの身体を見て顎を小さくしゃくった。
「そろそろみたいだな」
セラは言われて、自身の身体が消え入っているのを確認する。
「うん。じゃあ、またあとで本体と」
「ああ」
「いったい、なにが……?」
何事もなかったように起き上がったサパルの声を聞いて、セラは碧い粒となって消えた。