142:知らない
アズの光注ぐ森の中。
隔離部屋を出たエァンダはタェシェを抜いた。黒き剣はルファの剣を覚えている。たとえ持ち主が気配を隠せようとも、剣同士ではその限りではない。剣には剣の繋がりがある。
エァンダはその場でタェシェを一振りする。すると空間に亀裂が入り、ぱっかりと割れた。『空裂き』。剣を用いた『剣響』の異空移動法。とはいえ剣ならばなんでもいいというわけではない。強さに関わらず、剣が意思を持っていることが第一条件として挙げられる。
『記憶の羅針盤』が光を反射する兄弟子の墓標に目をやる。
「影の最後の仕事……と言いたいとこだけど、フェースもいるからな。……まあ、行ってくるよ。ビズラス」
空間の穴に向かい歩みを進めるエァンダ。なびく流水色の髪。と、穴に踏み入る前に、彼は足を止めた。そして髪を身体の前に垂らすと、タェシェを軽く振るった。
森の光に煌びやかな糸たちが舞った。
軽くなった。
頭も、右腕も。
あとは心か。
自嘲気味に鼻を鳴らして、エァンダは踏み込む。
景色は唐突に豊かさを失う。
荒んだ大地に白雲に霞む空。そもそも空気がかさつき、霞んでいる。遠くの緩い稜線は薄っすらとして、焦点を合わせることを許さない。そんな中、エァンダのエメラルドがはっきりと捉えるのは、かつての師であり、影が追うべきナパス。
「こんななにもないところでなにしてるんだ、ルファ」
「お前を待ってたのさ。それより、そりゃ俺の知らねえ技術だな」
エァンダの背で穴が塞がる中、彼の正面でルファ・ウル・ファナ・ロウフォウが虎の目を細める。
「生意気だなチビ公」
「もうチビじゃないって、前にも言ったばかりだろ? それともやっぱ歳か?」
「おめおめと逃げたくせに」
「状況が違う。今は守るものもないし、ペットもいない」
「ペット?」
「万全ってことだ」
「万全なら勝てると思ってんのか?」
「思ってる」
「俺の動きも読めなかっただろ」
「それはもう大丈夫だし。きっとだけどさ、俺の知らないあんたより、あんたが知らない俺の方がいっぱいいると思うぜ」
「はっ、そんなことがあるわけねえだろうが」ルファが爪のような剣を構えた。「俺の教えを受けなかった時点で、お前は俺に勝てる実力を手にする機会を失ってんだよ、エァンダ!」
「空は広いんだぜ? ルファ」
二人の渡界人がそれぞれに、一歩を踏み出した。
「ガキが空の広さを語れるかっ」
「これでも『異空の賢者』の弟子なんでねっ」
無音の衝突。そして鍔迫り合い。
「『虎の目』の弟子の方が響きがいいだろーがよ!」
強くエァンダを押すルファ。剣の弧をタェシェが滑って両者が逸れると、そこから剣舞がはじまった。白刃と黒刃の残像が無数に飛び交う。エァンダから出る衣擦れと風切りの音。
「っへ~」ルファが感心したとばかりに声を発する。「本当に騙されてないな」
「なんだ使ってたのか、認知誘導」
「白々しいな。破り方を知っただけだろ」
「まあな」エァンダは余裕に笑む。「けどたったそれだけのことが、大きい」
「っち、いっちょ前に。生意気だ!」
「生意気ついでに、破り方も説明した方がいいか?」
「ふんっ」
二本の剣が触れた一瞬。群青と孔雀石が舞って、二人のナパスは離れたところに姿を移した。虎の目はエァンダの手にするカラスに向いていた。奪ったはずだと、その目が主に尋ねてくる。
「奪われるより早く跳べばいいだけ」
「そんなこたぁ、教えてねえぞ」
「これもあんたが知らない俺ってことだ」
ルファの剣を握る手に青筋が浮かんだ。