133:イソラ・イチ
イソラが知る一番古い記憶の光景が彼女の目に映っていた。
上空から降下し鳥居の高さまでくると、その眼下には赤子を抱いて山を登るザァトの姿があった。
「あたしと、お父さん……」
「違うと言ったでしょ」フュレイが冷たくい放つ。「あれはあなたでもなければ、ザァトはあなたの父親ではないのよ」
「嘘だよ。だって、あたしこれ覚えてるもんっ!」
「それはイソラ・イチの記憶」
「あたしじゃん!」
フュレイは興奮するイソラをあしらうように肩を竦めてから言う。
「ここは玉の緒の神であるザァトが最後に作り出した『送魂の山』。愚弟はせっかくヴェィルから逃れることのできる術を、自分ではなく半血の娘に使った。魂を繋ぐ力。これによって、ザァトは娘イソラ・イチの魂を遠く遠く、時空を超えた先の人間に繋げたのよ」
「それが……あたし?」
イソラが疑問を口にすると、景色がまた変わる。
ヒィズルの山にある廃れた神社だった。イソラが幼い時を獣のように生きた場所。鬼の子とまで呼ばれ、最終的に剣士に追われることになった。しかし、それが師ケン・セイとの出会いに繋がる。
その社の中で眠る小麦色の肌の幼子。それが自分だ。
「そう、これがあなたよ。名すらも持たない、捨てられた赤子だったようね。ザァトも弱っていたから、生気溢れる人の子に娘の魂を繋げることができなかった。そこで選ばれたのがあなた。あなたはイソラ・イチの魂が繋がったことで、赤子にしながら命を落とさずに生きながらえることができた。そうして次第に自我が生まれはじめて、自分自身をイソラ・イチだと思いはじめたってところね」
景色が流れる。これまでのイソラの体験が残像まみれに、流れていく。そして、真っ赤になったかと思うと、最初の鳥居に囲まれた意識の底へと戻った。
「わかったかしら。ザァトの子の魂が紐づいているあなたにとっては、直接的ではないけれど、わたしが伯母だっていうこと」
「……あたしはイソラじゃない?」
不意に底知れぬ混乱と不安が押し寄せてくる。そんな彼女の肩にフュレイが手を置いた。
「そう落ち込まないで。大丈夫よ。わたしの声を聞いて。あなたがどこの誰かなんてわたしは気にしないわ。あなたにはあなたの役割があるのだから」
赤い鳥居が灰色めいてきた。イソラ自身の色もだ。意識の底から色合いが失われはじめていた。
「あたしの役割……」
「そう。玉の緒の神の力があなたの中には眠っているの。さっき使っていたあれよ。無意識ではあったけど、魂を他人と繋いだ。それは一端に過ぎないわ。うまく使えるようになれば、みんなのためになる」
フュレイの声が心地よく耳朶を震わせていた。意識の底は完全に色を失っていた。
「みんなのため……」
「わたしが教えてあげる。導いてあげる。さぁ、手を取って。あなたがいるべき場所へ、連れて行ってあげる」
優しく差し出された白い手。不思議となんのためらいもなく、イソラはその手を取った。途端、鳥居たちが悲鳴を上げ、崩れ倒れていく。その音がイソラには心地よく感じた。
「そしたらまずは、その力でわたしを助けてくれない? わたしもその力が、あなたが必要なの」
「うんっ。もちろんだよ、セラお姉ちゃん!」
意識の底においては光を取り戻していたイソラの瞳が、虚ろに笑んだ。
イソラ失踪から日が変わった。
ゴンヮドの小屋に有志の作戦参加者が集まった。そこにむさ苦しさはなかった。最初の集まりの人数の半分を割っていた。
ノヅギンが声を上げた。「おい、イソラは?」
「イソラの穴は俺が埋める」アスロンが応えた。「それで作戦に支障はでないから、安心してほしい」
「いや、そういうことを聞いてるんじゃねえよ」
「別に大したことじゃないよ」とルピが口を開く。「ちょっと用ができてここを離れただけ。連盟の仕事だから、口出しは無用だよ」
当然、テムたちが用意した嘘だった。しかしノヅギン、ゴンヮドをはじめとした参加者たちはより深くは聞いてこなかった。自分たちも知らぬ間に忽然と姿を消したと話せば、動揺も走るだろう。そこには疑問が生まれ、追及も避けられない。だから異空連盟の用事だと言うことが、この場をややこしくすることなく話を進められる一番の案だった。
本当にしろ、嘘にしろ、作戦はイソラ不在で行なわれる。
しかし不安要素はそこにはない。アスロンが言うように、彼女が欠けたとしても、その道の熟練者である彼がその穴を埋める働きをすることはそう難しいことではない。一人目と二人目の時間差で生まれる警戒も、戦士たちの揺動で乱すという意味では、むしろ四人の時よりも彼らが大きく関わることができる。強く参加を希望する彼らにとっては、その想いをうまく消化することができるだろう。
もちろん、作戦が描いた通りに進んでいくという条件はつくが。