132:教祖の正体
洞窟でエスレに触れられた。それだけでイソラは跳ばされた。まるでナパードだった。『ガラス散る都市』の人間にそんな移動法はないはずだった。きっとこれも教祖の力なのだろう。
姿を現しただだっ広い人為的に作られた洞窟。セラの姿をした教祖が、壁際の石を彫って作った椅子に収まっていた。エスレはイソラを教祖の前に差し出すと、二人を残して消えた。
教祖が立ち上がり、イソラに歩み出した時。イソラには彼女を呼ぶテムの声が聞こえた。近くに彼の気配はなかった。だが彼女はその場で叫ぶ。
「テム。あたしは大丈夫! 教祖のとこ、っぐ――」
イソラは不思議な力に吹き飛ばされ柱に激突した。わかったのは吹き飛ばされる前に目の前の女に睨まれたということだけだった。ただそれだけで、彼女は理解した。
「まさか使えるとは思わなかったわ。無意識だろうけれど、擬きにしてはすごいのね、イソラ。テムへの想いからかしら?」
花を散らして移動してきた教祖。柱の前に落ちたイソラを覗くように妖艶に笑む。イソラはそれを睨み返す。そして思い浮かんだ考えの真偽を確かめる言葉を口にする。
「……神様ってやつなの?」
イソラにその体験はないが、セラの体験を彼女は知っていた。目で見ただけで吹き飛ばすのは神の力だ。身体が捻じれるような感覚はなかったが、この教祖がどこか手を抜いていたように感じる。
念話とは違う、今、イソラ自身も信じられなかったがテムと通じたその力。彼女がそれを使った瞬間、教祖は驚きと喜びを表してからイソラを吹き飛ばした。教祖はこの力に興味を持ち、欲しているようにも思えた。
「宗教って神を崇めるためのものよ」
「外から来たくせに」
「外? 違うわ。ここはわたしの世界。わたしは帰ってきたのよ」
「この世界の神様なのに、わざわざセラお姉ちゃんの姿で? 悪い神様だったんだ。帰ってきても歓迎されないから――」
「違うわ」
教祖はイソラの言葉を静かに遮った。そしてセラの姿を脱ぎ捨てる。そして露わになるのは、裸体。赤々しくただれた肌。頭皮に僅かに残った純白の髪。口唇が裂けてむき出しになった歯列。だらりと眼孔から垂れる白い瞳。生きているのが考えられない裸があった。
「……!」
実物は当然イソラの目には映っていない。ただ、感覚が描くその姿から受ける印象はおぞましいものだった。身を引いてしまうほどに。
「目の見えないあなたがそうなってしまうんですもの。この姿で帰ってきたら、それこそ悪神だわ」
そうしてまたセラの姿に戻る教祖。
「この姿なのは、そうね。セラにはお世話になったし、これからもお世話になろうとしたのよ。『碧き舞い花』の名を使っていれば、そのうち、あの子がまたわたしの前に花を散らしてくれて、そして最愛の従者の恨みを晴らし、わたしが真の場に帰るための礎になってもらおうと思ったの。でも今は従者の恨みはあとね。セラは来なかったけど、面白い子が来てくれたんだもの」
すっと手を差し伸べられるイソラ。それを受けず彼女は聞く。
「もしかしてあなた、ネルお姉ちゃんのところにいた……えっと……白い子…………」
「フュレイよ。直接的ではないけれど、あなたの伯母でもあるんだから、覚えてほしいわ」
「……?」理解が及ばずに呆然としてしまうイソラ。ただフュレイの言葉を反芻する。「伯母……!?」
「ふふっ」フュレイは母性を思わせる笑みを浮かべた。「教えてあげるわ。なにもかも」
パチン――。
フュレイが指を鳴らした。するとイソラの目が光を捉えた。突然にして、洞窟は姿を変えた。
彼女の瞳には赤い鳥居が映った。
イソラとフュレイは、放射状に広がる無数の鳥居たちの中心に立っていた。
「ここはあなたの意識の底。でもあなただけのものではないのよ」
イソラは身構えながら隣に立つセラの姿をした神を、その目で窺う。
「イソラ・イチ。ザァトと人の子の娘」
「…‥やっぱり、あたし神様の子」
「いいえ、違うわ。あなたはただの人の子よ」
その言葉を合図に、赤い鳥居たちが高速で周回しはじめた。轟音と共に風を吹かし、イソラの前髪を躍らせる。見える世界のすべてが赤くなったかと思うと、イソラの耳に一つの声が届いた。
「さらばだ、ザァト」
それは走馬灯の中で見たヴェィルの餞別の言葉。そしてそのあと世界が消えるのだ。
コォンと小気味いい音が響くと、景色が留まった。
赤い鳥居が連なる山を、イソラとフュレイは上空から見下ろしていた。