130:最終確認
「ツリカは、いい女だ。俺の一目惚れだった。淑やかで控えめ、それでいて豪快。こんな俺を受け入れた心の深さときたら、この世界の地下洞窟より深いってもんだ」
「……それってどれくらい深いの?」
「さあな。底知れねえって例えだ。俺だってそんな深くまで行ったことは……って、ツリカの話だろ」
ごめん、イソラが前髪を揺らして謝ると、ノヅギンは話を再開する。
「さっきもそうだけどよ、俺はよくホルベとやり方の違いで喧嘩すんだが。その仲裁をするのはいつもツリカだった。あいつが入ると丸く収まるんだ。でもお前みたいに一緒に喧嘩して強さでどうこうってわけじゃねえぞ、イソラ。ツリカはちゃんと二人の言い分を聞いてくれて、それで、互いが納得するところに落としてくれるんだ。それがよ、どっちかの言い分を通すより全然いいように回るんだよ、これが」
「へえ、すごい頭がいい人だねっ。それで、家ではどうだったの?」
「ああ、そうだな。今思えば、俺が全部仕切ってるように見えて、その実ツリカがうまく俺を転がしてた。俺の機嫌が悪くならないように気を使って、ああ、そうだよな……苦労ばっか掛けてたんだよな、俺……。アビットのこともほとんどツリカに任せっきりだった。その方がいいんだとも思ってた。だってそうだろ、こんな粗暴な男が育てるより、頭のいい母親に育てられた方がアビットの将来のためになる。男は仕事に行く背中だけ見せてりゃ、それでいいんだとよ。格好つけだ。自分が満足することばっか。この間のメシのことだって、お前の言う通り自分勝手だったし。あぁ、もっとツリカのやりたいことも聞くべきだったんだな、俺は。だから、あいつはあの教祖のとこに……」
「ノヅギン!」イソラは洞窟に響き渡る声でノヅギンを止めた。「自分のことになってるよ! それにさ、これから変えてけばいいじゃん。上に戻ってから。家族みんな揃ったら、今言ってたこと伝えてあげてさ」
イソラの残響が消え入ると、沈黙の中を滝だけが何食わぬ顔で鳴き続ける。どれくらい待ったか、ようやくノヅギンが滝の出口のその先を見据えて、そうだなと呟いた。
「地上を取り戻せるならそれにこしたことはない。ホルベを筆頭とする残留派もそう考えているのは間違いない。だが、それ以前にそもそも戦いを好まないのが俺たちだ。俺たちの気質から言えば、ホルベたちが正道ともとれる」
ノヅギンとイソラが去って、町民たちが解散し、今は誰もいない広場。じっと窓から見て、ゴンヮドは安楽椅子の中で手を組んで言った。
作戦を組み立てている最中にもちらほらと耳に入っていた。教祖と幹部への攻撃を見送ろうとする住民たちの考え。あれほど協力したいと言っていた戦士たちの中にもその考えを持つ人がいた。一枚岩ではなかった。支援を受けて考えが緩んだのだろう。
だがそれにより作戦が実行できないということはない。テムもアスロンもそう考えていた。例えこの世界の住民の協力がなくとも、作戦はテムたち四人でも決行することができる。そういった内容の筋書きもしっかりと用意していた。
「俺たちはどっちにしろやる」アスロンは冷たいと思われても仕方がないほどはっきりと言う。「こっちも仲間をとられてるんでね。参加の意思がある人には参加してもらって構わない。揺動隊には当日に動きを伝えるから」
「明日の朝までに意思を確認しておこう」
ゴンヮドは腰を浮かせ、義足を鳴らして扉に向かう。作戦の決行は明日。礼拝の儀は昼下がりに行なわれる。つまり彼はこれから戦士たちのところを回り、考えを聞くのだろう。
「テム、ルピ。俺たちはイソラが戻ったら作戦の最終確認をしよう」
ノヅギンを追っていったイソラの気配は、町に近づいてきているところだった。彼女ならもう今の言葉が耳に届いたのではないかと思うテムだった。
どうやら作戦の最終確認をするらしい。
ノヅギンと共に洞窟を町まで戻るイソラの耳には、アスロンの声が届いていた。
「ゴンヮドさんが作戦に参加するかどうか確認して回ってるみたいだよ」
「確認? そんなの俺には必要ねえよ」
「もうすぐノヅギンの家の番だ」イソラは悪戯っぽく笑う。「にしし、いなかったら参加させてもらえないかもっ。急いだほうがいいよ~、」
「なっ、それは困るな。急ぐぞ、イソラ」
駆け出していく大男。イソラは伴わず、その後ろ姿を見送ると、鋭い眼差しで振り向いた。
「隠密失格じゃない?」
彼女の視線の先には黒装束の上に碧きフードを被った少女が今まさに現れていた。周囲にガラスを散らし、頭から徐々に姿を見せる隠密の者。
「気配消せてないよ、エスレ」
「わざと気配を漏らしたんだよ、おれは。花神さまはイソラに興味があるみたいでさ。一人になるのを待ってたの」
「?」
訝しむイソラに、頭巾から覗く虚ろな目が細まった。