100:虎の目の男
「他人ん家の前で騒がしいと思えば、ほぉ、エァンダか」
エメラルドに似た花が散る中、金褐色に黒い縞が入った瞳がエァンダを猟奇的に見つめた。そして鍔と平行方向に緩やかな弧を持つ、まるで爪のような独特な形の剣を振り下ろす。
――。
エァンダはタェシェでそれを受け止める。
「ゼィロスは元気かよ?」
「まさかあんたとはね。『虎の目』って通り名があるだろう、ルファ。『碧き舞い花』なんて名乗って、なんの冗談だ」
「俺のナパード見て勝手にそう呼んでるだけだろうが、存在を隠せるなら利用するまでのこと……それよか、俺の質問に答えろよ、チビ公……!」
ルファは低く唸るような声でエァンダを威圧した。エァンダは一瞬顔を引きつらせてから答える。
「……ゼィロスか。そりゃまあ、病気とかしてないから元気、でいいじゃないか」
「あっそ、興味ねぇなっ!」
――。
タシェを剣の弧でうまく滑らせるルファ。エァンダが前のめりになると、その顔に膝が飛んでくる。
エメラルドの瞳に迫る膝。その速度が、なくなる。
刹那。
トラセードによる空間拡大は終わりを迎え、エァンダはルファから離れ、ログハウスの扉の前に足を動かすことなく回避していた。
それだけではない、彼はルファの後ろのキノセ、そして彼の後ろにいたユフォンも別々に空間を操作して自身の傍らに移動させたのだ。
「なんだそりゃ、ナパードじゃねーな……なんで俺の知らないもんをお前が使える? そりゃ、おかしいよな、チビ公」
「そんなことないだろ、もう俺はチビって歳じゃないわけだし。そういうことだってあるさ、ルファ」
「……そうだな、ははは」ルファはあっけらかんと笑った。「生きてりゃ、いろいろあるのが人生だもんな。なにもおかしいことはねーわな」
人のよさそうな笑いにエァンダは油断しない。ルファを睨み、距離を詰めながら、仲間たちに指示する。
「行け、ユフォン、キノセ。サパルは援護を――」
言いながら、エァンダはルファがちらりとキノセを一瞥したのを見逃さなかった。敵の登場に身構えているが、きっと、耳のいい彼でも気づけない。
ルファのナパードは静かなナパードを超える。
音の概念がない。
気配や闘気の流れ、生命の波の揺れを感じ取れれば、対応はできる。だがキノセは気配よりも耳に頼るだろう。
エァンダはキノセに背中を合わせるような形で、彼の後ろのナパードで移動した。そして予期しなかった出来事に声が漏れる。
「なっ…‥!?」
「なにもおかしいことはねーぞ、チビ公。友の死なんて、人生じゃ日常茶飯事だ」
ルファがその切っ先を差し向けたのは、キノセではなくサパルだった。
ユフォンが叫んだ。「サパルさん!」
「ラッキー……か」
拘束が解けたアレスが転がって離れ、両手の平をぴたり合わせたかと思うと、すっとわずかに上下にずらした。すると彼女の身体が二つにずれながら消えていった。
膝をつくサパルの胸が赤く染まっていく。「ごめ、ん……エァンダ」
「ぬぁっ!」
エァンダはサパルの後ろで血の滴る剣を持つルファの後ろに跳んだ。そしてタシェを振り抜く。当たらないのはわかっていたが、それでも友から敵を離すことはできる。
後ろからサパルを支える。「サパル、まだ平気だろ?」
「……どう、かな。でも、お前、が、言うなら、そうなのか……?」
「悪い、悪い」ルファが彼らの前を悠然と歩く。「まだ死んでなかったな。俺の教訓が台無しになっちまう」
振り上がる爪のような剣。
が、ルファの背中に火炎が爆ぜた。
「っつ……」
ユフォンとキノセだ。二人がそれぞれ、手の平と指揮棒をルファに向けていた。
「はいはい」ルファが感情のない顔で二人を振り返る。「先に死にたいんだな」
その瞬間に、エァンダはトラセードで二人を引き寄せた。手を伸ばし、二人の身体に触れると、四人揃って跳んだ。
まろやかな匂いが立ち込める、露天風呂。
トラセークァスの城の中だ。
エァンダが服を着たままのサパルをゆっくりと、黄色いお湯に浸からせる。
キノセはそんなエァンダに問う。「エァンダ、あの渡界人、知ってる奴なのか?」
想い人との僅かな対面、友の窮地。ユフォンもエァンダも気持ちがフラットではないのは理解できるが、キノセは聞かずにはいれなかった。
音を感じない人間だった。心音も、衣擦れも、なにもかも。
音に関して言えばセラや目の前にいるエァンダにすら勝る鋭敏さがある。それなのにだ。
「ルファ・ウル・ファナ・ロウフォウ。ゼィロスの親戚で、俺の剣の師で、『虎の目』って呼ばれた暗殺を主にする大量殺人鬼だ。いや……気になってるのは音のことか」
「あ、ああ」
「ゼィロスと一緒にナパードの騒ぎを抑えて、ナパードを交えた剣術を考案した男だ。そもそもナパードの質は高い」
「ジルェアスやあんたのナパードは静かでも音がする。それにあいつは身体から全く音が出てなかった。剣と剣がぶつかった時もだ」
少し苛立ったエァンダの声が返ってきた。「最後まで聞けって」
「……悪い」
「いいか、あいつは膠着の護り石を使ってる。振動が空気を伝わって耳に届くのが音だろ。その振動を自分から離れないように留めてるんだ。当然、喋ってるときは別だけどな」
「そういうことだったのか」納得し、そのうえでキノセには疑問が残っていた。「でもなんでエァンダは俺の方を守ったんだ。別にこの状況を責めてるわけじゃないんだけど、音はなくても気配で追えるだろ?」
「視線も気配も、お前を狙ってた。俺もなにがなんだかだよ」
エァンダはそう言うと立ち上がり、サパルから離れる。
「キノセ、ユフォン。サパルを頼む。俺はネルと話してくる。あいつがなにをしたのか、知識が欲しい」
「待って、僕も行くよ」ユフォンがエァンダに並ぶ。「セラを見つけたこと、ネルに教えてあげないと」
「……ああ、そうだな」
そう言ったエァンダの声色がどこか硬いのをキノセは聞き違えなかった。そうして思い出すのは、セラを見つけた時、彼だけが疑問符の音程だったことだ。
セラがいるとは思わなかった。彼女を発見できたことの驚きや喜びよりも、その思いが強かったのだろうと、あの時キノセは考えた。
しかしよくよく考えれば、あれがセラならば、あの場には強い気配が三つ無ければおかしかったのだ。
アレス、ルファ、そしてセラ。
しかし二つだったことを考えると、あそこにいたのは大したことのない偽物の『碧き舞い花』だったのかもしれない。
「エァンダ」
キノセは浴場の入り口にユフォンと向かっていくエァンダを呼び止める。彼が振り返るのを待って、続ける。しかし、そうしようとして、口を閉ざした。
なにも言わないキノセにエァンダが先を促す。「なんだよ」
「……いや、なんでもない。サパルが治ったら俺たちもいく。それだけだ」
「いや、ネルを連れてくるから待ってていい」
「……そっか、わかった」
会話は終わり二人が湯気に消えていく。
――あれはジルェアスだったのか?
その問いは飲み込んだ。エァンダの隣にいるユフォンが目に入ると、言い出せなかった。声を硬くしながらも、否定しなかったエァンダ。彼の中でも確信はないのかもしれない。
ナパードは碧き花だったし、自分たちの姿を見て反応していたし、ユフォンのことも呼ぼうとしていた。
それらは本人を示すもの。
それでも性別まで感じ分けるほどの気読術を持つエァンダの中には疑問があった。
本物か偽物か。
絶対と言い切れないのなら、それならば、仲間の希望を打ち砕くかもしれないことはしない方がいいだろう。今は望みを持って、碧き希望を探す方がいい。