第三話 王都への道
村人に挨拶して村長宅に戻ると、家の前には見慣れない馬車が止まっていた。
これがクラハルド伯爵の迎えなのだろうか。
始めて見る馬車は、観覧車のかごのようなものに四つの車輪がついた車を二頭の馬が引くタイプのものだった。
カゴの中には人が乗るのだろう、中は前後で向かい合うように椅子が配置されており、大人が六人程度乗れる広さがあった。
また、乗車スペースとは別に小さな荷台が後ろについている。
馬車の周りには茶色のプロテクターのようなものを付けた男が六人おり、そのうちの一人がノトスと何やら話していた。
「あ、ノアさんが帰ってきました、こっちですよ」
ノトスは俺の姿を見つけると手招きする。
よく見るとノトスの後ろには家の人々が集まっていた。
「この方々が王都までノアさんの護衛をして頂く方達です、こちらは護衛隊の隊長のガドラスさん」
ノトスはそう言って、先ほどまで話していた護衛の男を紹介する。
「ポロニア守備隊で隊長をやっているガドラスだ、短い付き合いだろうがよろしくな」
ガドラスと名乗った男がそう言って手を差し出してきた。
顔に刀傷のようなものがある三〇歳くらいの長身でがっしりした体格の男だ
刀傷のある顔など初めて見るので正直かなりビビっていたのだが、ユミナ達が見ている前なので努めて普通に振る舞う。
「よろしくお願いします」
出された手を握り返し、握手する。
その手はごつごつしていて大きく固い、まさに男の手という感じだった。
「随分ナヨっちいな、学者さんかい」
話し方がくだけた感じで聞き取りずらいが、何となく馬鹿にされたような気がする。
「え、ええ……まあそんなところです」
「そうかい、途中でぶっ倒れないようにな、馬車とはいえ慣れていないときついぞ、あと野宿も何回かする必要があるからな」
「分かりました、お手数かけますがよろしくお願いします」
まずいな……
何とか話せてはいるが、微妙に理解が不完全な部分がある。
コリーン村の人達であれば、気を使って簡単な言葉で話してくれるが、外の人間はそんな事情知らないのでそうはいかない。
相手は普段通りに話しているのだろうが、まだ言葉への理解が不完全でこちらの理解が追い付かない。
「ガドラスさん、ノアさんは遠い国の出でこちらの言葉に慣れていない為、ご配慮頂ければと」
微妙な顔をしている俺を見たのかノトスが助け舟を出す、こういうところはさすが村長、気配りが利いていてありがたい。
「んん、そうか?多少舌っ足らずな感じはするが、これだけ話せれば大丈夫だと思うぜ、それよりももう少し体を作っておかないと、移動で苦労しそうだな」
ガドラスはそう言って俺の肩をバンバン叩く。
痛い痛い!骨が外れる!!
「それじゃさっそく行こうか、予定では何もなければ四日程度で王都だ、まあ、あんたが途中でへばるようならもう少し見ておく必要があるな」
「へばるって、馬車に乗っていくのではないんですか?」
「そりゃ乗っていくが……やっぱりあんた素人だな、これは楽しみだ、せいぜい頑張れよ」
俺はガドラスの言っている意味がよくわからず首を傾げた。
ガドラスはニヤニヤしながら部下に出発の準備を指示する。
「別れの挨拶でもしてきな、こっちの準備はすぐにできるからよ」
ガドラスに促され、ノトスの方を見る。
一ヶ月間世話になった家の前に皆が集まっている、それを見ると何だか感慨深い気分になってきた。
たった一ヶ月間だけど初めての経験ばかりで、人生で一番濃い時間だったと思う。
「それじゃ皆さん、今までありがとうございました……行ってきます」
姿勢を正してノトス家の皆に向かって一礼する。
「二度と会えない訳じゃない、一息ついたら顔を見せに来てくれよ」
「はい」
ノトスに挨拶を済ませると、俺はコトナとユミナのほうに移動する。
この二人には一番世話になった、しかも片方は今や俺の許嫁だ、なんだか今考えても夢みたいな話だな。
「コトナ、今までいろいろとありがとう、コトナが言葉を教えてくれたおかげで何とかやっていけそうだよ」
「いいえ、ノアさんが頑張った結果ですよ……いってらっしゃい、体には気を付けてください、ノアさんはその、あまり丈夫ではないようなので」
最後まで心配されてしまった。
村の男たちと比べたら確かにモヤシみたいな体格だけどね……さて後は
「ユミナ、行ってくるよ」
「……うん」
ユミナはうつむいたまま短く返事をするだけでこちらを見ない。
何だ、寂しくなっちゃったのかこの子は、まさかな、いつも元気なユミナだし。
俺はこの一ヶ月で見た色々なユミナを思い浮かべる。
言葉が全く分からなかった当初、何かと飛びついてきてはメチャクチャなボディランゲージで俺を困らせてくれたユミナ。
次第に言葉が分かってきたと思ったら、変な言葉を俺に言わせてはケタケタと笑っていたユミナ。
色々な面でコトナに追いつきたくて精一杯背伸びをしていたユミナ。
俺の記憶の中のユミナはいつも元気で、笑っていた。
意味の分からない状況におかれた俺が、不安ながらも何とか毎日を過ごせていた要因の一つは間違いなくユミナの笑顔だと思う。
「何だよ、急に元気がなくなったな、朝の勢いはどうした」
そのまましばらくユミナを見ていると、ぱっと顔を上げてにっこり笑う、いつものユミナだ。
「大丈夫、大丈夫だよノアさん、いってらっしゃい、王都でがんばって……きて……ぅぇ」
しかしいつものユミナはそこまでだった、笑顔のままの目にみるみるうちに涙がたまり、あふれ出してしまう。
「だい、じょう、ぶ……だからぁ、はやく……はやく……」
昨日から今日にかけてのスピード婚約、しかも相手は一二歳、正直俺はいまだに婚約したなんて実感は薄い。
恐らくユミナもそうに違いない、何となくコトナと同じ立場になれた為にはしゃいでいるだけだ。
そう思っていた。
だが、それは違っていたようだ、少なくともユミナは
俺は思わずユミナを抱きしめる。
ユミナも俺に抱き着き、嗚咽を我慢しようと必死に耐えているようだ
しばらくして、少し落ち着いたらしく、小さく話し始める。
「ノアさん……わたし……ノアさんの奥さんに……なるんだよね?」
「そうだよ」
「ノアさん……王都で……頑張って……あっちの女の人と結婚しちゃ……やだよ」
「大丈夫だ、俺がそんなにモテるように見えるか?」
「……ううん、見えない」
ハハハ、こやつめ
「はやく、帰ってきてください……」
抱きしめていた腕を緩め、ユミナの顔を見る。
涙で濡れて、赤く腫れた頬が目に入った瞬間、俺は沸き上がる衝動を抑えられなかった。
「!!」
俺はそのまま奪うようにユミナの唇にキスをする、がつっと歯と歯が当たったので慌てて角度を変えてみる、よし、うまくいった、この角度だ。
仕方ない、俺だってキスなんて初めてなんだ。
ユミナは一瞬びくっと体を震わせたが、特に抵抗することもなくそのまま俺に身を委ねている。
そのままどのくらい経っただろうか……息が苦しくなってきた。
あれ、これ息継ぎってどうやるんだ!?
ユミナの唇は柔らかくて、このままずっとこうしていたいくらいだったが、息ができないのは如何ともしがたい、名残は尽きないが唇を放すことにする。
「ぷは」
「はぅ」
唇を放してユミナを見ると、ぽーっとした顔で俺を見ている……見ているよな?
「……歯、当たっちゃったね」
「すまない、初めてだからな」
「そう……なんだ、もちろん私もだよ……もっとしてたかったな」
「息ができなくてな」
「鼻ですればいいんだよ?」
「!?」
衝撃だった、目から鱗とはこの事だ。
じゃあもう一度……と思ったところで、ここが家族とその他大勢の目のある場所という事を思い出した。
沸き上がる衝動が抑えきれずにやってしまったが、これはかなり……やっちまった感じなのではないだろうか。
俺は恐る恐る周りを見渡す。
ノトス達は、さもありなんといった表情でこちらを見ている……ものすごく気まずい。
コトナが若干ショックを受けているようだ。
ガドラス達は……馬車の方で何か作業をしている、良かった、気付かれた様子はない。
「ノアさん、第二弾、第二弾」
すっかり元気になったユミナが赤く上気した顔でアンコールをせがんでいる。
「いや……これ以上はやめておこう、本当に離れたくなくなっちまう」
「ぶー」
「戻ったらこの先の事を真剣に考えよう」
今の一瞬で俺はユミナと結婚する事を固く決意した、何ともチョロすぎる三二歳であるが
しかしここで流されすぎるのはよくない、全ては必要なことを済ませてからだ。
少し真面目な感じでユミナを諭すと、ようやくユミナも納得した。
「ノアさん、待ってるから……いってらっしゃい」
けなげに手を振って俺を見送るユミナ、先ほどの余韻か、赤くなった頬が若干の色気を漂わせている。
くそ、すごく離れたくない、しかしいつまでももたついている訳にもいかない。
断腸の思いで未練を振り切り、俺はユミナに手を振りながら馬車のほうへ向かった。
――
馬車に乗ってコリーン村を出た俺と護衛隊は、街道を南に向かって移動している。
配置は俺が馬車の中央、左隣に護衛役が一人、対面にガドラス、馬車の御者役として一人、馬車の両脇と後ろに一人ずつといった配置になっている。
一定時間ごとに配置を変えて、馬車に乗っている間がちょっとした休憩時間のような形になっているようだ。
「なんで南に進むんですか?王都は西だったはず……」
「そりゃお前、街道を通るからに決まってるだろ、いくら時間が短縮されるといっても道を逸れて進んだりはしねえよ」
ガドラスの説明に、馬車の外を見てみる。
舗装されているとは言い難い、人や馬車が通るから草が生えていないという程度の道が伸びている、これが街道か……
しかし街道を逸れた先に広がっている草原を見ると、そう状態が悪いようにも見えない、十分ショートカット可能に見える。
「道を逸れると何かまずい事が?」
「……お前さん、何も知らないんだな」
ガドラスは、道を逸れると野生の獣や盗賊、魔獣といった脅威と遭遇する可能性が高くなること
舗装されていない道を通ると、馬車が痛み、最悪の場合は故障することなどを教えてくれた。
「盗賊なんているんですか」
「そりゃな、だが街道を護衛付きで歩いてりゃ、そうは襲われねえよ
あいつらだって護衛付き襲って被害を出したんじゃ割りに合わないからな」
「獣は分かるんですが、魔獣って何ですか?」
「マナを吸って強化された獣だったり、昔の戦争で強化された獣が増えたものだったり、どっかのバカが作ったキメラだったり、まあ色々だよ、滅多にはいないがな」
急に分からない単語が出て非現実的な内容が含まれ出してきた。
マナって何だろうか、キメラって……??
「なんだぁ?そんな事も知らねえのか……あんた学者じゃねえな、何モンだ、それともおちょくってるのか?」
ガドラスが怖い顔をして俺を睨んでいる。
まずい、何と言ったら良いのだろうか、会ったばかりの相手に本当の事を話しても理解されるとは思えないし……
そう考えていると、ガドラスは急におどけた態度を取る。
「冗談だ、冗談、大体王家が絡んでる依頼だ、まともじゃねえのは初めから分かってる、言いたくないのか言えないのか、どちらかは知らんが、余計な詮索はしねえよ」
「まともじゃないんですか?」
「そりゃあそうだ、雇い主のクラハルド伯爵から、あんたを護衛するときはくれぐれも失礼のないようにと言われている
なのに護衛として選ばれたのは、しがない街のいち守備隊の面々、さらにこの護衛の報酬は金貨一枚だ」
金貨一枚がどの程度の価値があるのか良くわからない。
金なので高そうではあるが……そんな俺の良くわかってない顔を見てガドラスは続ける。
「金貨一枚っていやあ、俺達の給料のざっと三か月分だ、王都までの護衛は片道四日、往復八日……帰りはカラだろうからもっと早いかも知れないな
要するに、一週間程度の護衛報酬としては破格もいいところなんだよ、そりゃなんかあるって思うだろ?」
「何かって、何ですかね」
「そんなの分からねえよ、あんたなら何か知ってるかもと思ったが、話してみりゃとんと常識に疎いようで……
見たところ貴族って感じでもねえしな、変な服着てるし」
詮索はしないと言いつつも俺のなりから色々と推測をしていたようだ。
確かに今の話だけ聞けば、何となくうさん臭さはあるが……
「でもなんで受けたんですか、そのうさん臭い仕事を」
「そりゃお前、金がいいからに決まってるだろ、それにな、伯爵からの直々の依頼を断ったりしたら俺達の昇進は永遠に無くなるってもんよ」
「つまり半分脅されはしたけど、金に釣られて引き受けたと」
「まあ、そういう事だな」
ガドラスは、ふん、と胸を張ってそう言った。
どこかに誇る要素があっただろうか。
「ところでさっきの話の続きなんですけど」
先ほどガドラスが俺の事を常識に疎いと言ったように、俺はこの世界の事を何も知らない。
コリーン村の中は平和だったけど、外はそれなりに危険がある世界のようだ、これから先の為にもこのガドラスという男から
聞けるだけの事は聞いておいたほうがいいと感じ、世間話ついでに疑問に思ったことを聞いて見る事にした。
幸い、馬車の旅は長く退屈で、ガドラスは暇つぶしに俺のどうでもいいような質問にも丁寧に答えてくれた。
この男、見た目に反して面倒見は良いのかもしれない。
ちなみに、出発前の俺とユミナのキス騒動はしっかりと見られていたらしく、散々からかわれた。
――
体が痛い……気持ち悪い……
「だから言ったろ、慣れてないと結構きついんだよ、馬車もな」
やはりなと言った感じでやれやれとかぶりを振るガドラス。
あれから日没まで馬車で移動して、現在は街道の脇で野営を行っている。
馬車の旅が苦にならなかったのは最初の二時間程度だった。
街道とはいえ、アスファルトなどで舗装されている訳でもない、人が良く通るから土が踏み固められているだけの道。
そして馬車も、ゴムタイヤやサスペンションなどという上等な仕組みがない木の車輪を鉄で補強したものがコロコロ回るだけのもの。
つまりものすごく揺れるのだ。
最初の頃こそ物珍しさが先に立っていたが、次第に揺れで尻が痛くなっていく。
そして次に来るのは乗り物酔いだ、元の世界で車酔いなんてなったことが無かったので問題ないと思っていたが、この馬車の揺れは勝手が違った。
ならばと馬車の外を歩いてみたりもしたのだが、護衛の面々と体力的な違いがありすぎて、あっという間にバテてしまう結果に……
結局、速度をなるべく落としつつ、乗り物酔いをなんとか我慢しながら日没まで移動してきたのだが
野営に入る手前で俺は完全にグロッキー状態になっていたのだった。
「とはいえここまで体力が無いとは思わなかったぞ」
「……都会育ちなんで」
「うそつけ、都会の事なんて何も知らないだろうが」
ぐ……確かにこちらの世界の都会の事なんて知らない。
違ってないのに言い返せないのがつらい、もっとも今は口を開くのも億劫なのだが。
「隊長、彼は一般人でしょう、仕方ないですよ」
そう言いながら水を含んだタオルを顔にかけてくれているのは、弓兵のカッツだ。
身長は自分とそう変わらない、小柄で穏やかそうな顔をしている青年である。
しかしこのカッツ、先行偵察とか言いながらもう一人の弓兵のダグロさんと交代で、すごい速さで走っていくのを何度も見た。
そして今も大して疲れた様子はなく、テキパキと野営の準備をしたり、俺の世話を焼いたりしている……すごい体力だ。
それでもガドラスに言わせると、まだまだ未熟者の下っ端らしい。
どんだけ超人なんだよ守備隊員……
「一応、荒事を商売にしてるからね、体が使えなきゃ給料もらえない訳ですよ」
「……頼りにしてます」
カッツから貰った干し肉と水で腹ごしらえをし、再び横になる。
「見張りは俺達でしっかりやるから、ゆっくり休んでくれよ」
と、長剣の手入れをしながら声をかけてくれるのは剣士のエバルトだ、元は農民だったらしい。
他には斧と盾を得意とする巨漢のサム、寡黙な剣士のグインがこの護衛隊の面々だ。
俺は護衛隊の面々に感謝しつつ、道中ガドラスから聞いたことを思い出していた。
――
「マナってのは、世界中に漂ってる空気みたいなものなんだってよ
大昔は無かったらしいが、天族と魔族が戦争を始めた頃から世界中に広がりだしたんだと
そんで、魔術とか魔法とか、そういうものを使うときに、このマナってのを利用するんだ
まあ、こんなの言うまでもない事なんだけどよ、俺でさえ知ってるんだから」
「ガドラスさんは魔法を使えるんですか?」
「使えたら剣持って守備隊なんてやってねえよ。
魔法が使えるのは基本的にはお勉強のできるエリート達だな
俺には理解できないが、魔法を使うのに式とかなんとかってのを組み立てるんだってよ
あとは、稀にだが難しい事は何もわからなくても、才能だけで魔法を使えちまう奴がいるらしい
そういうのは大抵デタラメな能力を持ってるって聞くぜ、実際に見たことはねぇがよ」
――
「天族と魔族ってのは、大昔から顔を合わせりゃ戦争ばかりしてる迷惑な連中だよ
奴らが戦争をおっぱじめる度に、世界がめちゃくちゃになったって話だ。」
「実在してるんですか?おとぎ話とかではなく?」
「ああ、実際にいやがる
五〇〇年位前に最後の戦争をやって、そん時に両方ともかなり無茶したみたいで、それ以来、多少大人しくなったらしいな
天族は天界、魔族は魔界っていう自分たちのパラダイスを見つけて、そこに引っ越したんだと
上位の連中はそこに引きこもってて、今この世界に出張ってくるのは下っ端連中が殆どだって話だ
ただ、それでも純粋な天族や魔族は、人間じゃちょっと太刀打ちできないレベルでヤバイらしいぜ、会ったことねえから分からんけどな」
「何だ、ガドラスさんも見たこと無いんじゃないですか」
「そりゃ純粋な天族や魔族なんてそう滅多にその辺をうろついてる訳じゃないからな、ほとんどの一般人は一生見る事もないだろうぜ
そういうのを見たいなら南にあるラギウス帝国に行ってみろよ、あそこには竜王セシルの部下がいるらしいからよ、運が良ければチラ見くらいはできるかもな」
竜王セシル……どこかで聞いたことあると思ったら、コトナと一緒に読んでた子供向けと思われる絵本に出てきた竜族の王だ。
確かタイトルは、「聖王と竜王」だったな、まさか実在する人物だったとは。
暗黒騎士じゃないの? と聞いてコトナにものすごく微妙な顔をされたからよく覚えている。
同じネタをガドラスにも振ってみると、ものすごく微妙な顔をされた。
「……何でそういう発想になるのか良くわからないが、間違ってもラギウス教徒の前でそんなこと言うなよ、あいつら冗談が通じねえから」
ラギウス教とは、南の大国である神聖ラギウス帝国を中心とし、天族の王の一人である聖王ラギウスの教えを教義とするこの辺では最大の宗教だ。
かつて天族と魔族が争った時代に、魔族の戦士であった竜族を改心させた人間の聖女アルティシアと、竜族を天族の一員として迎え入れた聖王ラギウスの物語は
様々な書物になって語り継がれているほど有名な話だ。
かくいう俺も、その物語を絵本という媒体で読んだので、大体のあらすじは知っている。
実際にあった話だとは思わなかったが……
――
「よう、調子はどうだ」
日中に聞いたことをしっかり理解する為に目を閉じて思い返していると、近くでガドラスの声が聞こえた。
ゆっくり目を開くと、あたりはすっかり暗くなっているようだ。
そして次に俺の目に飛び込んできたものは、一面の星空
真っ黒な夜空の中で白く輝く星々に圧倒され、俺はしばらく声を失う。
自分が夜空を見て何か思うような繊細さなんて持ち合わせているとは思っていなかったが
遮蔽物のない大地から見上げるこの世界の星空は、俺が今まで見たどの空よりも美しかった。
「どうした、まだ気分が悪いか?」
空を見て口を開けている俺を見て、ガドラスが珍しく心配そうに声をかける。
やはりこの男、基本的に面倒見はいいな、見た目はヤクザだけど。
「空が……すごい」
「空?」
つられてガドラスも空を見上げるが、すぐに視線をこちらに戻す。
「別になんもねえぞ」
ガドラスにとってはいつもの当たり前の空なのだろう。
「いや、こんなすごい夜空初めて見た」
「……そうか?変な奴だな、まさか本職が詩人だなんて言わないだろうな」
「俺の知ってる空はもっと……何ていうか、狭いんですよ」
気の利いた言い回しも出てこないので、どう説明したものかと思っていたが
よく考えるとガドラスとこんな話をするのは何だか恥ずかしいな……思春期かよ。
「空なんてどこでも同じだろ、まあ、お別れにあんな情熱的なムッチューを披露してくれるくらいだから、案外ロマンチストなのか?」
「ぶ」
このネタで俺はいつまでからかわれるんだろうか。
「ははは、まあ元気そうで良かった、明日も似たようなもんだからな、これ飲んで寝ておけよ」
そういって差し出したカップの中には酒が入っていた。
「ありがとうございます」
そのカップを受け取ろうと目を動かす、そして偶然、その先合った見知ったモノが目に入る
ガドラスからカップを受け取ろうと伸ばした手は、そのまま空を掴む。
ガシャンという音がしてカップは地面に落ちた。
「おいおい、何やってんだよもったいねえな」
隣でガドラスの声が聞こえるが、今の俺には耳に入らなかった。
俺の目の先には夜空、そして満点の星空が広がり……
「……あれは、オリオン座……なのか?」
その星々は俺の見知った星座を模っていた。