第三十五話 二人だけの秘密
体がだるい、節々が鈍く痛む。
俺はぼやけた頭で周りに手を伸ばす。
フカフカした感触、ここはベッドの中のようだ。
手が届く範囲には特に何も触れない、近くには誰もいないらしい。
確か俺は昨日、感情が昂ったままシエルを押し倒して随分と長いこと彼女を弄んだ。
シエルは特に抵抗したりすることもなく、ただ淡々と俺を受け入れていた。
俺も相手の反応など気にする余裕がなかったから、自分の思うがままに随分と好き勝手にやってしまった。
冷静に考えると、かなり酷いことをしてしまったような気がする。
しかも、良くわからない婚約のようなものをしてからすぐにだ、何故シエルがそんな俺を受け入れたのか疑問だが
今ここにいない事を考えると、既に荷物をまとめて出ていってしまっていてもおかしくはない。
それくらいのことを俺はしてしまった。
頭に血が登っていた昨日とは違い、ある程度冷静に考えられるようになってくると、俺は急に怖くなってきた。
家にはフェリス達が帰ってきた様子は無い、いくらなんでも俺に何の連絡もなくフェリスとユミナが家を空けるなんて考えにくい
そうすると、昨日、あの後にマリアベルから話を聞いて呆れられたか
もしくは、実は帰ってきていた事に俺が気づかなかっただけで、俺とシエルの情事を見られていたとか……
だんだんと考えが恐ろしい方向に進んで行き、俺はいてもたってもいられなくなってベッドから飛び降り、一階へと駆け下りた。
「おはようございますノア様」
「おはよう……って何で裸なの……」
一階にはシエルが食事を用意しており、丁度メイアが朝食を取っていた。
俺は幾分ほっとしたのと同時に、自分が素っ裸だった事に今更ながら気がついた、道理で寒いはずだ。
慌てて部屋に戻り着替えて再度リビングへと降りる。
「ノア様どうぞ」
俺が降りると同時にシエルが俺の分の朝食を出す、相変わらず絶妙なタイミングだ。
「あ、ああ……ありがとう」
礼を言って受け取るが、俺はシエルの様子が気になってそれどころではない。
シエルは怒っていないのだろうか、見た感じはいつも通りの無表情だが……
「ノア、ずっとシエルの事見てどうしたの?」
「あ、い、いや……」
朝食も食べずにシエルを見ていた俺を変に思ったようだ。
メイアは俺の事を訝しげに見ている。
「そう言えばシエル、昨日は私の事呼びに来なかったよね、おかげで朝までがっつり翻訳作業できちゃったけど」
「申し訳ございませんメイア、昨日はノア様と性行為を行っておりましたので」
「ぶっ!」
シエルとメイアの会話を聞いて、飲みかけた水を盛大に噴き出してしまう。
驚くと本当に吹き出すんだな……
「何よもう、汚いなぁ」
メイアが文句を言い、シエルが雑巾でささっとテーブルを拭く。
だが俺はそれどころじゃない。
「シエル、ちょっとまって……」
「いけませんでしたか?」
「いや、そういう訳じゃないけど、ちょっと表現がストレート過ぎるというか……シエルは平気なのか?」
「事実でございますので」
シエルは昨日のことを特に気にしている様子もない。
随分と酷いことをしてしまったと思ったのだが……
「え、シエルやっちゃったの、こいつと?」
「はい、昨日結婚を申し込まれましたので、お受けいたしました」
「ほー、珍しいこともあるもんだね、おめでとさん、でも私の研究を蔑ろにしちゃ困るよ」
「そちらは今まで通りですので問題ありません」
シエルとメイアはまるで昨日あったちょっといい話程度の気軽さで俺との事を話し合っている。
なんだこの軽い感じは。
もしかしてこういうことはよくあるのか? でも昨日は、結婚したことないとか言ってたような……訳がわからん。
「シエル……なんでそんなに平然としてるんだ、メイアも、なんだか一人で悩んでた俺が馬鹿みたいじゃないか」
「んー、驚いてるよ、シエルが結婚とかありえないよね、まあでも私は考古学の調査を続けられればそれでいいし
それにシエルがノアと結婚したってことは、ここ私の家ってことだよね? いい拠点ができたなーって感じ?」
「ノア様、メイアは細かいことは気にしませんので問題ありません
ですがメイアの発掘調査などにはこれからも付き添わせて頂きたいと思います、よろしいでしょうか」
「あ……ああ、もちろん良いよ……」
なんだかこの二人の感覚について行けそうにない、細かい事なのか……そうなのか……
しかも妹を娶ると俺の家が姉のものになるという理論が良く分からない、よく分からないがそれはまあどうでもいい、何しろ既に住み着いてるんだし今更だ。
とにかく俺がシエルを嫁に貰うことについてはメイアは異論がない、それだけ分かっていればいい。
「ところでシエル、昨日は誰も帰ってきてないのか?」
「はい、フェリス様もユミナ様も戻られておりません」
シエルも知らないという事は、本当に戻ってきていないのか。
マリアベルが言っていた話だと、フェリス達は俺の代わりに国王と迎賓館で会ったのだろう。
という事は、昨日は迎賓館に泊まったのだろうか……マリアベルとあんな事になっちまったから、とりあえず一晩置いて頭を冷やそうみたいな話になったのかもしれない。
俺はフェリスとユミナを迎えに行きたかったが、国王との会談をすっぽかした上に、マリアベルと喧嘩別れしてしまった事もあり
いますぐ城の方へ向かうというのは抵抗があった。
「何もしない人間は、誰からも必要とされない……か」
昨日のマリアベルの言葉は正直堪えた、今思い返しても胃が痛くなってくる。
話の中でマリアベルは俺の逃げ道をことごとく見抜き、俺が逃げようとする度に先回りして潰してきた。
あれで一五歳なのだ、俺などよりも遥かに格上である事は間違いない。
そんな相手に対し、子供だからという意識を最後まで捨てられなかった自分の馬鹿さ加減が嫌になってくる。
そこまで考え、昨日の事を思い返しても、思った程腹が立たないことに気がついた。
昨日のシエルとの夜戦が良かったのだろうか、体を動かしてスッキリすると停滞していた考えも再び流れ出すという事なのか。
男とはなんと単純な生き物だろうか……いや俺だけかもしれないが。
そういえば俺は昨日何回したんだ、いくら三〇過ぎてから女を知った遅咲き男だとしても、普段は二回もすればもう限界だ。
だが昨日は覚えている限りでも六回以上は吐き出したはず……六回なんてマンガの中だけの話だと思っていたが、俺の体はどうなっているんだ。
そんな取り留めのない事を考えながら、俺はシエルの出してくれた朝食を食べ終えた。
頭がすっきりし腹も膨れたところで、ようやく普段の冷静さを取り戻した頭でこれからの事を考えてみるが
昨日から今日にかけて俺が引き起こした数々の問題をどうやって終息させるか、そのうまい方法は全く思い浮かばなかった。
俺が城に行って平謝りすれば、少なくともフェリスとユミナは許してくれる。多分。
でもそれだけではきっとダメだ、マリアベルは納得しないだろう、国王やクローディアからの心象も悪いままになってしまう。
よく考えるんだ、俺はこの国に居たいのだろうか、それともフェリスとユミナだけがいればいいのだろうか……
答えは明白だ、居たくないはずがない、俺はここに来て既に様々なものを手に入れているのだから。
色々な人達と出会った。
そして皆俺に良くしてくれた。
彼らは何故俺に良くしてくれたのだろうか。
それは、俺が彼らが望むものを持っていたからに他ならない。
それは金であったり、モノであったり、人脈であったりするのだろう、何もない人間にずっと世話を焼いてくれる者などいない……
例えばこの場に物乞いが来て、俺に助けを求めたらどうだろうか。
今の俺には金銭的に余裕があるから、一回位は助けるかもしれない。
でも助けた後にその物乞いからのリターンが何もなければ、きっと二度目は無いだろう。
助けた物乞いが、世の中への不平不満を口にするだけで同じようにまた施しを受けに来たら、ふざけるなと言って追い返すだろう。
見返りを求めない善意なんて存在しない。
見返りはカネでもモノでもなくとも、助けた相手がその後しっかりやってくれるという期待、つまり助けた相手の再起を誰しもが願って人を助けるのだから。
「自分で何もしないくせに常に被害者ヅラしてたら、そりゃ呆れるよな」
「どうしたの? さっきから下向いて暗い顔してたと思ったら急に笑いだして」
自分のバカさ加減を思い返していたらどうしたことか笑えてきた。
そんな俺の様子を見て、食事後の読書をしていたメイアが訝しげな顔をする。
「自分がどれだけ間抜けだったか再確認してたんだよ」
「ああ……」
メイアは俺の返事を聞くと、特に興味もなさそうに本に目を向け直した。
本当に自分の好きな事以外には関心が薄いな。
もっとも、こんなところで一人いじけているオヤジになど関心を持つ奴のほうが少なそうだが。
「悩むならもっと楽しい事で悩みなよ、昔の失敗なんかいくら思い返したってちっとも楽しくないんだからさ」
そう思っていると、メイアが本から目を離さずに、独り言のように呟く。
これは……慰められているのだろうか。
「ああそうだな、ありがとうメイア」
俺が礼を言うと、メイアは「ふふん」と満足げに鼻を鳴らした。
何だかんだ言っても、俺の周りの人間は俺のことを色々と気にかけてくれている、俺は幸せだ。
そう、幸せなのだ、あの無味乾燥だった元の世界にいた頃とは違う、皆が俺を気にかけてくれる。
それだけで幸せなはずなんだ……
俺はとりあえず前向きに生きてみようと心に決める。
……とにかくまずは恥でも何でもいい、城に行って頭を下げてこよう。
そう心に決め、俺は何となくメイアの読んでいた本を覗き込んだ。
久しぶりだったからだろうか、最初は何が書いてあるのか分からなかった。
ここいらではあまり見ない文字だ、何が書いてあるのか分からない、そんな風に思っていたのだがすぐに俺は目を疑う。
そこに書かれていたのは、この世界でよく目にする文字に似てはいるが明らかに違うもの、そしてかつて俺がよく知っていた文字
……英語だった。
「メイア! これ!」
「わっ、な、何よ、何!?」
俺は驚き、メイアの手にしていた本をさらに覗き込む。
メイアの頬に俺の顔がくっつくが、そんなの気にしていられない。
本に書いてある文字を目で追う、英語など学生時代以来殆ど勉強する機会も無かったので、スラスラ読めるという訳ではないが
その中には意味の理解できる単語が数多くあった。
俺は興奮してメイアに詰め寄ると質問を浴びせかける。
「メイア、これ何の本だ!? これ英語じゃないか!? 何で英語の本がここにあるんだよ!」
「え、ちょっとまってノア、これ読めるの? これ古代語だよ」
「古代語……?」
「そ、遺跡なんかから発掘される、旧人類が遺した書物、色んな言語で書かれたものが見つかってるけど、この言葉で書かれたものが一番良く見つかるの
言語体系も今の時代のものと似てるし、文字もそんなに複雑じゃないからわりと一般的な古代語だけど、考古学者でもない人間がそう簡単に読めるものじゃないよ」
メイアが俺の顔を手で押し返しながら、本について説明をする。
俺のよく知る英語が古代語? どういうことだ?
「ち、ちょっとよく見せてくれ」
「なに? ちょっとやめてよ、私が読んでるんだから、研究の邪魔しないで」
メイアに押し返されてしまった、仕方なく俺はメイアの正面に周り、本のタイトルを見てみる。
“after school angels”
「エロ小説じゃねえか!」
「なっ! エ、エロちがう! 古代の思春期の少女達の家庭や性に対する葛藤を描いた作品よ! ていうか本当に読めるの!?」
「英語なら何とか意味くらいは分かる、さすがに本をスラスラとは読めないけど……日本語なら」
「ニホンゴ?」
「こんな感じの字で……簡単なひらがなとカタカナっていう文字と漢字っていう難しい字を組合わせて使う文字だよ」
俺はコップの水を指に付け、テーブルに“あいうえお”“月火水木金土日”と書いていく。
メイアは目を丸くしながらそれを見ていた。
「これ……見たことある! 何が書いてあるか殆ど分からない、最高に解読が難しい文字の一つよ」
そうなのか、確かに日本語は難しい言語だって聞いたことはあるな。
しかしメイアが見たことがあるということは、日本語も存在するのか……古代語と言っていたな。
俺の中に一つの仮説が生まれる。
それは、この世界は異世界などではなく、俺の住んでいた世界の遥か未来だというものだ。
そう考えれば、今まで見てきた元の世界との類似点にも納得がいく。
そうだとした場合、ここは一体地球のどの辺りなのだろう。
季節はもうすぐ冬になろうとしている、太陽は南側にある。
という事はここは北半球のどこかという事か……
気候的には日本に似ていなくもない、でも俺の知る日本より温暖で雨が少ないように感じる。
しかし、もし時代が変わっているなら気候も変化しているかもしれない、何せ過去に大きな戦争が何度もあったのだ。
そしてこの世界の変わりよう……俺の知っている文明など何一つ残っていない、あった痕跡すら無い。
どれだけの時間が経過すれば、こんな世界が出来上がるんだろう。
そうなったらもうそれは、同じ世界と言えるのだろうか。
「ノア、あなたもしかして古代人の生き残りなの?」
隣でメイアが興奮したように俺の顔を覗き込んでいる。
俺が古代人? そうなのか? ここが俺の住んでいた世界の未来だと言うならそうなんだろう、生き残りというのは語弊があるが。
だがまだ完全にそうと決まったわけじゃない。
「……分からない、確かに俺はこの辺の出身じゃないけど」
「でもあの字を読めるんだよね? どこで教えてもらったの? 生まれた時から読めるわけじゃないんでしょ?」
「どこでって、普通に学校で……」
まずい、このままだと俺が召喚者だって事を言わなくてはいけなくなる。
なんだか今更のような気もするが、メイアとシエルはそれを聞いたらどういう反応をするのだろう。
ここで言ってしまってもいいのだろうか。
「メイア、ノア様が困っておいでです、後にして下さい」
俺が言い淀んでいると、シエルが助け舟を出してくれた。
「えーでもなんかノアすごいんだよ、あの難しい古代文字読めるんだって!」
「ノア様にもご予定があります、後で時間のある時に教えて頂きましょう」
「……んむー、仕方ないなー、ノア、後で絶対教えて、読みたい本がたっくさんあるんだから!」
メイアは目をキラキラさせながらも不満そうな顔で引き下がった。
メイアの中の俺株が一気に上がったようだ、先程とは俺を見る目が違っている。
世の中何が幸いするか分からないな。
思うところは色々あるが、まずはもう一度マリアベルに会ってしっかりと話しをしよう。
そして国王に謝って、フェリスに謝ってユミナに謝って……クローディアにも謝らないとな
はは、謝ってばかりだな俺は。
だが仕方ない、俺がガキみたいなことばかりしているから周りに迷惑をかけてしまった、その尻拭いくらい自分でしないとな。
しかしふとこうも考える、もし俺がクローディアの目に恐れず逃げ出さなかったら、シエルとはこうはならなかったのだろうなと。
部屋に戻り外行きの服に着替える、ベッドを見るとメチャクチャだ、白い綿の布団には生々しいシミがついている。
やっちゃったな、これはフェリスにも言い訳が出来ない、何とか吸血二リットルくらいで勘弁してもらわないと俺の命が危ういな。
とりあえずベッドを整えようと上の布団を引っぺがす、その下にあるベッドは所々にシミが付いており、中央には赤い血が飛び散った真新しい跡がついていた。
そこで俺の思考は固まる。
あれ、これは何だ、血? 血か? 誰の血だ?
フェリスはもう血が出るような体じゃない、ユミナとはまだだ……俺か? どこか切ったのか?
俺は自分のグソグムシを確認してみるが、特に変わったところはない。
「こちらにおいででしたかノア様」
「おひゃっ!?」
突然後ろから声をかけられ、自分のグソクムシを確認している体勢で変な声が出てしまった。
慌ててズボンを履き直し振り返ると、そこには洗濯物をまとめたシエルがいた。
俺が血の付いた布団に目を移すと、シエルもそちらのほうに視線を向ける。
「申し訳ございません、初めてでございましたものですので、すぐに洗濯致します」
「……え? 初めて? そうなのか!?」
「はい、何かご不明な点が?」
「いや……だって、かなり余裕があるような感じだったから」
あの時のシエルは、自暴自棄になっていた俺の乱暴な扱いを平然と耐え、俺が疲れてくると優しく労るように全身を包んでくれていた。
とても初めての女とは思えない貫禄だった……と思う。
「性行為は子を成す為の行為という他にも、心の安定を図る為に行うという事もあるのだと聞きました。
あの場合のノア様は後者であったかと……ですので不慣れな身ではございますが、お心のまま楽しんでいただけますよう、回復の魔法などを使用しながら
どのような形がノア様にとって良いものであるか研究をさせて頂きました」
回復魔法……いつも以上に体力が続くと思ったら、そんな事をしていたのか。
「何か不手際がございましたか?」
「……いや、無い、無いよ、シエルのおかげで助かった、冷静になって、何をするべきかおぼろげながら分かってきたよ
シエルのおかげだ、ありがとう……そしてごめんな、無茶な事をしてしまって」
「妻の役目であると心得ておりますので問題ありません」
「妻……妻か、つい昨日、成り行きみたいな流れでなっただけの関係なのに、何でそこまでしてくれるんだ」
「ノア様であれば私の求めるものを見つけて頂けるかもしれないと考えたからです」
「それは……何だ?」
「一言二言では表せないものです、これより先の永き生の中でご理解して頂ければと思います」
シエルが何を欲しているのか、今の言葉からでは全く分からない。
だが俺に何かを期待している事だけは分かる。
正直、まだシエルを好きだとか愛しているとかいう感覚は薄い、我ながらひどい話だとは思うが……だが感謝はいくらしてもし足りないくらいしている。
シエルが俺に何か期待しているなら、できるだけその期待には応えようと思う。
「城へ行こうと思うんだけど」
「お供いたします」
俺はとりあえずこれ以上の詮索は止め、まずは目の前の問題を解決する為に動くことにした。
城へ行くことを告げると、シエルはすぐに同行を申し出た。
シエルがベッドのシミを謎魔法で洗濯している間、一階に戻りメイアに留守番を頼む。
程なくして戻ってきたシエルと俺は、フィガロ城に向けて出発した。
フィガロ城に向かう途中、市街地を通る。
今日は黒王もいないのでシエルと共に徒歩で向かっている。
フィガロ城までは直線にすれば二キロメートル程度だが、町に入った後に山道を蛇行しながら登っていくので、実際に歩く距離は五キロメートル程度になる。
その間を俺とシエルはただ黙って黙々と歩いていた。
最初こそ俺からそれなりに話題を振っていたが、シエルからは一回で完結した回答が返ってくるので、話がそれ以上続かないのだ。
そしてシエルから俺に話題を振って来るようなことも無い。
まあシエルは見た感じ、楽しいおしゃべりやイチャコラを欲するようなタイプにも見えないので、別に気にしなくても良いのかもしれないが……
「退屈させてしまっているようで申し訳ございませんノア様」
俺がチラチラとシエルを見ていたのが気になったのか、俺に詫びの言葉を入れる。
「いやそういう訳じゃないよ、ただシエルはキレイだなって思ってただけだ、身長も高いしモデルみたいだな」
「そうですか、あまり自身を省みたことはありませんので、よく分かりません、ですがノア様がお気に召しているのであれば幸いです」
そう言ったシエルの頬が少し赤くなってる。
お、これはなかなか……
「演技です」
「演技かよ!」
「殿方とのコミュニケーションでは、恥じらいというものが大切であると書物に記載されておりましたので」
……どんな書物なんだそれは。
「実際の所、殿方とのこういった交流は過去にも例がないので試行錯誤を繰り返しているところです。
おかしなところなどがあればご指摘頂けると幸いです」
「別にいつも通りにしてくれてればいいよ、変なところで予想外の行動を取られるよりもずっといいから」
「ですが婚姻関係を結んだ以上は、解除されないように気を配る必要があると考えます。
より一層、ノア様の嗜好に合った存在になる努力をせねばなりません」
無表情で何を考えているのか良くわからないシエルだけど、これはこれで俺の為に色々と努力してくれているということだろうか。
そう考えると何とも嬉しい気持ちになってくる。
理由はどうあれ、他人が自分のために何かしようとしてくれているのは良いものだ。
「私はノア様ともっと親密になりたいのです……」
シエルがそのエメラルドグリーンの目を少し潤ませ、こちらを覗き込む。
シエルのほうが背が高いので、上目遣いとはいかないが、これはこれでそそるな……
「演技です」
「演技かよ!」
……一体何なんだろうこのシエルという女性は、全く掴みどころが無い。
何を考えているのか分からないし、本心がどこにあるのかも分からない。
本当にやりにくい。
「ですがノア様と親密になりたいと申しましたのは演技ではありません」
いつものような無表情でそんな事を言うシエルを見て、俺の顔は少しだけ熱を持った。
こちらに来てから、他人から好意を向けられるという事を経験し、多少は慣れたつもりだったが、やはりこういうストレートなのは恥ずかしい。
「それは演技でしょうか?」
「……いや違うから、俺のは全部素だから
それと以降演技は禁止な、シエルが何かする度に演技かどうか疑ってたら間違いなく家庭不和になるだろ、それこそ離婚まっしぐらだ」
「それは失礼致しました、以降演技は致しません」
どうやら分かってくれたようだ。
しかし俺としてもシエルと親密になりたいとは思う、さて、とりあえず何をすれば良いのか……
その時俺の頭に名案が閃いた。
「そうだシエル、二人だけの秘密を持つってのはどうだろう」
「秘密……でございますか」
「そう、しかも二人だけのだ、この世界で知っているのは俺とシエルだけ、誰にも言っちゃいけない秘密さ、それが要するに絆みたいなものになるって訳だ」
「秘密……二人だけの……絆」
シエルは俺の提案を反芻しながら何やら考え込んでいる。
秘密と言っても大したものじゃない、軽い暴露話なんかをこっそり教えあって、それを周りに漏らさないことで一種の連帯感を持とうという事だ。
内容なんてなんでも良い、二人だけが知っているというものであればなんでも良いんだ。
「わ、分かりました、お願い致します」
シエルは真剣な顔をして俺に了解の返事を返す。
よく見ると僅かに興奮しているのか、顔が上気しているように見える。演技は禁止だと言ったからな、これは素なのか?
「じゃあ俺からな……えーと」
俺はそこまで言って少し考え込む、二人だけの秘密ってわりと難しいな……俺が異世界人ってのは確かに秘密だけどシエル以外にも知っている人間はいるし
元の世界の話なんかしても訳が分からないだろうし、こっちに来てからの秘密……何かあるか? 実は陥没乳首が好きだとか……いやいやいや、女性にそれはまずい
シエルにとってマイナスにならない内容じゃないといけない、それでいて秘密を持っていることが感じられる内容……あれ、無いぞ、まずいな、墓穴掘ったか?
よくよく考えてみると、俺には人に話せそうな秘密など殆ど無い事に気がついた。
ちらりと隣を見ると、シエルは露骨にワクワクした様子で俺の言葉を待っている。
言えない、今更やっぱり止めたとか言えない。
俺はこの世界に来てからの事を順番に思い出し、その中で秘密にしたかった事を洗い出していく。
そして俺の中で不意に、コリーン村で平和に過ごした記憶と、黒い剣を持った少女の姿が浮かび上がった。
「俺は、数ヶ月前にコリーン村っていうロシュフォーン王国の小さな村に滞在していたんだけど、そこで世話になった少女が一人いたんだ
名前はコトナ、今俺の家にいるユミナの姉だ」
「ユミナ様の姉はフェリス様ではないのですか?」
「それはまあ義姉というか、師弟みたいな関係だけど、コトナはユミナと血が繋がった姉なんだ。
それで俺がコリーン村を出ていく時に、そこの村長にユミナを許嫁にって言われて、それを俺は承諾したんだけど
その時に本当に欲しかったのはコトナの方なんだ、彼女は本当に親身に俺に接してくれた最初の女性だった、だからかな……」
「それはユミナ様には言えませんね」
「そうだな……もちろん今はユミナの方が大切だし好きだよ、でもまあ当時はそうだったっていう、誰にも言えない思い出ってやつ?」
きっとあの、俺を襲ったコトナが言っていたあの言葉が、俺のこんな気持を掘り起こしてしまったんだろう。
コトナは完全に俺の敵になってしまい、今更どうなるというものでも無いが……それでも俺はコトナを憎いと思えずにいる。
殺されかけたというのに……
俺の告白が終わると、シエルは胸に手を当て、今の言葉を飲み込むように目を瞑って何度も頷いた。
「ノア様の秘密、確かに受け取りました。それでは今度は私ですね……」
シエルはそう言うと足を早め俺の前に立ち、向かい合う。
俺は足を止めてシエルの目を見た。
体に緊張が走る、女の子の秘密とはどういうものだろうか、怖いような、ワクワクするような不思議な感覚だ。
シエルの口が開き、俺に、俺だけに、彼女しか知らない秘密を伝える。
「私の真なる名はシエラザード、地上に住む種族の間では暗黒竜と呼ばれる存在、その分体です」
彼女の秘密はとびっきりだった。




