第二話 旅立ちの前夜
「ああ、ノアさんちょうど良いところに」
コトナたちと丘から帰ってくると、村長宅の前でノトスが出迎えてくれていた。
ついに来た、良い話か悪い話か……どちらにせよここで逃亡したところで右も左も分からない土地で生き残れる自信はない、今は流れに身を任せるしかない。
俺は村長宅に入り、ノトスに促されるまま床に腰を下ろす。
俺が座ったことを確認すると、少し前方に、ノトスとオーベルが腰を下ろし、真剣な表情で話しだした。
「さて、今朝方話した件ですが」
緊張で体が強張る。
ちらっと家の入り口を確認するが、特に逃亡を警戒されている様子はない。
「ああ、そんなに緊張するな、別に悪い話じゃない」
俺がソワソワしているのを見て気が付いたのか、オーベルが声をかける
オーベルとは何度か酒を飲んでバカみたいな話をして盛り上がった事がある、多少気が許せる相手ではあるので
その彼が悪い話じゃないというのであれば、少なくとも最悪の状況にはならないのだろう。
そう考えると幾分肩の力が抜け、それを確認したノトスが続けた。
「実は、クラハルド伯爵からノアさんの引き渡しを求められていてな……この一ヶ月は移動のための段取りを整えていたんだよ」
クラハルド伯爵……
確かユミナからその名前を聞いたな、この辺を治めている貴族だとか、しかしそんなお偉いさんがなぜ?
一気に? マークで頭が埋まる。
推理しようにも不確定要素だらけで推理しようがない状態だ。
「順を追って話そう
二か月ほど前に、このあたり一帯を治めるクラハルド伯爵から、各村や町の代表者に向けて伝令が届いたのだ
内容は、ロシュフォーンの住人ではない特徴がある人間が突然現れた場合、保護してクラハルド伯爵まで連絡すべしというものだ。
最初は何のことか分からなかったが、うちのわら小屋でノアさんが見つかった時、このことだとすぐに分かったよ。
そして伝令と合致した人間を見つけたことをクラハルド伯爵に使いをやって伝えに行っている間、コトナとユミナをノアさんに付けて
言葉の練習をしてもらっていたんだよ。
ほら、最初は言葉が全く分からなかっただろう?いざ伯爵に引き渡す時に、言葉が分からないと不安になるだろうからね。」
「暴れるようなら引き渡しの日まで縛っておく予定だったんだぜ、まあそんなことをする必要がなくてよかった。」
「たった一ヶ月で思った以上に言葉が上手くなったのでびっくりしているよ」
「先生が良かったんですよ」
初日になにやら大勢で話していたと思ったが、あれは恐らく伯爵にこの件を伝えに行く人員を決めていたのだろう
これで話のあらましは分かった、だがまだ油断ならない点はある。
「それで、伯爵に引き渡された俺はどうなるんですかね」
「ふむ……」
ノトスは低くつぶやくと、険しい顔をしてあごのひげを触り始める。
何だ、いやな雰囲気だな。
「これは他に漏らしてはならぬと言われておったのだが……本人になら良いか」
ノトスは体を前に倒し、囁くように話始める
つられてオーベルも同じ体勢になった。
「なんでもノアさんを欲しているのは、ロシュフォーン王家らしいのだ
クラハルド伯爵はあくまで王都までノアさんを送り届けるのが仕事で、その先は分からぬらしい
ただ……客人としての扱いをせよという連絡を受けているそうだ」
それを聞いてこれまでの話を頭の中でまとめる
1、クラハルド伯爵から、俺のような外国人と思われる人間を確保するよう指示が来ている
2、その指示の大元はロシュフォーン王家である
3、送迎には客人としての扱いをせよと指示されている
「つまり、ロシュフォーン王家が俺を保護したがっている?」
「そういうことになるんじゃないかな……もちろん何故かなんて分からないがね」
「だが理由なんて分からなくとも、領内の村となれば伯爵、ましてや王家に逆らう訳にはいかないからな
だから……初日に縄で縛った事は内緒にしておいてくれよ」
オーベルが頭をかきながら言う。
そういやそんなこともあったな、もちろん問題にするつもりなんかない。
「気にしてませんよ」
「それはよかった」
「伯爵の迎えは明日の昼には村につくから、そこからは彼らと共に行動してくれ、王都までは徒歩でも恐らく五日もあれば着くと思うよ」
明日か、随分急な話だ
まあ昼頃に来るなら、それまでに世話になった人達には挨拶できるだろうし、何より二度とここに来られない訳じゃないだろうしな。
それで話は終わりだったようなので、俺はノトスとオーベルに軽く挨拶すると借りている個室に戻った。
羊の毛皮で作られている毛布のようなものの上に座り、まずは身の回りの整理をしてみる事にする。
といっても今のところ自分の荷物など何一つない、最初に身に着けていた服くらいのものだ。
これからのことについても多少考えてはみたが、コリーン村しか知らない俺にとっては、行った先がどういうところなのかなど、想像する事すらできない。
結局考えるだけ無駄なので、さっさと寝てしまうことにする。
「暗くなると寝るしかなくなるってのが不便だよな」
電気もガスも無いので、日が落ちると暗くなるだけだ
家の中央の暖炉に火が入っていればその周りは明るいが、他の場所を照らすには松明やランプなどを設置するしかない
家の中に松明を設置するのは危険だし、中に蝋燭を立てて使うランプも、ろうそくがそれなりの値段がする為常用はできないそうだ。
やることもないし寝てしまおう、そう考え毛皮の毛布に潜り込み目を閉じる。
人工物が立てる音が一切なくなり、虫の鳴く声が広がっていく……この感覚は好きだ。
布団があまり清潔とは言えないのが玉にキズだが。
……タ……ヒタ……ヒタ
ウトウトし始め、そろそろ眠りに落ちるかというところで、誰かの足音が近づいている事に気づく。
……ヒタ
足音は俺の寝ている部屋の前で止まった。
眠りに落ちようとしていた頭が急激に覚醒する。
誰かが部屋の入り口に立っている。
普通に考えれば家の人間の誰かなのだろうが、慣れない暗闇、慣れない環境の中では、それが何か恐ろしいものであるかのような錯覚を覚えてしまう
誰がいるのかを確認したいのだが体が動かない。
俺が動けないでいるとその足音は一歩、また一歩近づき、俺の目の前で止まった。
目の前に足がある、細くてやや小さい足……これは
「ノアさん」
頭の上から小さく声がする、声の主はユミナだった。
「……なんだユミナか、脅かすなよ」
「なに、ノアさん、暗いの怖いの?」
「慣れてないだけだよ」
怖くないとは言い切れず、歯切れの悪い返事になってしまう。
恐らくユミナは俺が不安や恐怖を感じている事に気づいているのだろう、部屋の前に人が立った時に何も言わずに縮まっていたのだからバレバレだ。
「それで、こんな時間に何なんだ?」
「……ノアさん、明日王都に行っちゃうって聞いたから」
オーベル辺りから聞いたのだろうか、声が若干湿っぽい気がする。
「いっぱいお話ししようかなって思って来たんだけど」
「ああ、別にいいけど、そんなに遅くまでって訳にはいかないぞ、声うるさいと迷惑だろうし」
「んーん、もういいや」
そう言うとユミナは俺の被っていた毛布をめくりあげ、その中に入ってきたではないか。
「お、おい、ユミナ」
「んー、ノアさん……ゆっくり眠れるようにするね」
俺が慌てて距離を取ろうとすると、ユミナは俺の頭を抱えて胸の辺りで軽く抱きしめた
ふわっとした何かの花ような匂いがする。
「汗……臭くないよね、洗ったし、香水もちょっとだけ付けたんだ、お母さんのだけど」
「ゆ、ユミナいきなり何やってるんだ」
「んー、ノアさんが怖くないように……私も子供の頃、夜怖いときはこうやってお母さんと一緒に寝たんだよ」
決してきつく抱かれている訳ではない、離れようと思えばすぐに離れる事はできる。
だが、俺は焦りつつもそれを振りほどこうとは思わなかった。
そのまま一〇分程度経つと、最初のショックも和らぎ、今はユミナの柔らかさといい匂いを素直に感じることができる。
しかしそのまま寝てしまえるほどまでは冷静ではなかった、心臓はドキドキしているし、恐らく顔も真っ赤だ、夜でよかった。
「ノアさん体熱くなってる」
「そりゃな、こんな若い女の子に抱きしめられるなんて……は、初めてだし」
「え、そうなの!?」
「悪いかよ」
「んーん、悪くないよ……私がじゃれるといつも赤くなったり青くなったりしてたから、そうなのかなーとは思ったけど」
「生憎とこんなナリで女には縁が無かったんでね」
「ナリって、どこか変なの?」
「いや……身長とか、顔とか」
こんなチビでブサキモい男が女にモテるわけが無い。
「それはおかしくないよ……もうちょっと力はあったほうがいいとは思うけど」
ユミナは俺のコンプレックスを聞くと、笑いながら「そんなの気にする人ここにはいないよー」と言う。
元の世界にいた頃に腐るほど聞いた形だけの慰めと内容はほぼ同じであったが、何というか……ユミナが言うとそうなのかなとも思えた。
「俺が以前いたところでは、そういうのを気にしてたんだよ」
「そうなんだ? でもここはそんな事気にしなくてもいいんだよ? ユミナ、ノアさんのいいところいっぱい知ってるもん」
「俺にいいところなんて無い」
「うそだよ、あるよ、皆が知らない事いっぱい知ってたじゃない、ドッジボール面白かったよ、花輪の作り方だってすごくきれいだったし」
微妙に役に立たないことばかりのような気がするが……
「ノアさんは細かいところを気にしすぎだよー、いい大人なんだからもっと堂々としてたほうが絶対いいと思う」
難しいことをさらっと言ってくれる。
だが、こんな風に誰かから肯定されたのはいつ以来だろう、悪い気はしない。
「努力してみるよ、もう十分落ち着いたからユミナも自分の布団に戻りな」
コリーン村最後の夜としては十分だ、少なくとも俺を応援してくれている人がいる事が分かった。
それだけで気持ちが軽くなるというものだ、だが、これ以上はいけない。
この状況に慣れて、これ以上を求め始まる前にユミナを帰そうとするが、ユミナは一向に出て行く気配がない。
「……やだ」
「ユミナ、俺だって困るんだから」
それでもなかなかユミナは離れないので、少し距離を取ろうと脇の辺りに手を添える。
ユミナは少し震えた後、ポツポツとここに来た本当の理由を話し出す。
「私ね……ノアさんとつながり作るために来たんだ」
「つながり?」
「ノアさんは王家に呼ばれて王都に行くから、出世するかもしれないから、つながりを作っておきなさいってお父さんが」
なんだそりゃ……思いっきり打算入ってるじゃないか
しかもつながり作れって言って寝床に娘を送るのはどうなんだ、体の関係を作っておけって事か?ユミナはまだ一二歳なんだぞ……
お父さんというからにはノトスの指示なのだろう、こういう事をするような男とは思わなかったが。
今まで感じていた熱が急速に冷めて、冷静になっていくのが分かる。
優しさも慰めも、その裏に打算があると分かれば虚しいものだ。
しかしここでユミナにその虚しさをぶつけても意味はない、彼女は命令されてやっているだけなのだから。
そしてそれに憤るのも何か違う気がする、少なくとも俺はずっとノトス達に世話になり続けてここまで来ているのだから。
「いいかユミナ、この村の人たちは、今までどこの誰とも分からない俺に良くしてくれた
つながりっていうならそれでもう十分なんだ、十分俺は皆に感謝してる、こういうのは何ていうか……逆効果だ」
「私も本当は、何か違うなって思う……でも、お父さんの指示には逆らえないし
でもね、ノアさんの事嫌ってわけじゃないんだよ、ちょっと年上すぎるなーっては思うけど、そんなに老けて見えないし、優しいし物知りだし
……ノアさんはユミナの事嫌い?」
俺はユミナの行動に文化的なギャップを強く感じていた。
この村、いや恐らくこの辺り一帯ではこのような価値観が普通なのだろうという事は、ユミナが特に抵抗なくノトスの指示を聞いている時点でも予想できる。
昼間に丘でコトナ達がと話した内容が蘇ってくる、結婚相手は親が決めるのが普通、ユミナもそのうち親の指示で適当な男の家に嫁ぐことになるだろうと言っていたが
そこに悲壮感のようなものは感じなかった。
だがそれが普通ですと言われて、はいそうですかと受け入れられる程、俺はまだこの世界に馴染んでいない。
「そういう事じゃない、この村ではそれが普通なのかもしれないけど、俺はこういう……なんて言うか
上手くいくかもしれないからとりあえず娘を当ててみようみたいな、人を使い捨てるような感覚に馴染めない」
「でも、ユミナはそれでもいいと思ってるんだよ、それでも納得できない?」
う……何だろうなこれは、振り切るつもりで突き放したのだが、その返しで心が揺らぐのがはっきり分かった。
俺でも良いと言ってるのか、一二歳の少女が、三二歳のチビブサでもいいと? 本当に?
にわかには信じられない、王都に行って成功するかもなんてそれこそ何の保証もない、取らぬ狸の何とやらだ。
しかし同時にこうも思う。
……いやまてよ、仮にこの先大したことにならなくても、今受け入れておけば、少なくともユミナを手に入れることはできるんじゃないか。
向こうから貰ってくれと差し出しているんだ、貰えるものは貰っておけばいい、その先にどうなろうと、ここで受け入れておくことにデメリットは無いんじゃないか?
女を好きにできるチャンスを逃していいのか?
結論は恐ろしく簡単に出た。
もともとこんな訳の分からない状態に置かれ、たまたま周りに恵まれていたから何とか平静を保っていたが
それでも今の俺は誰かの助けがなければ生きていくのは難しい状況、順調そうに見えても毎日がストレスの連続だ。
頼れるものなら何でも頼りたい、安心したい。
手に入れよう、ユミナを。
ユミナの肩に添えていた手を放し背中に回す、そのまま抱き寄せようと力を込めた瞬間
ビクッっとユミナの体が大きく震えた、俺は驚き、慌てて腕を引っ込める。
「ご、ごめん、急にだったから……びっくりしちゃって」
ユミナが慌てた様子でそう言うが、再度肩に触れると小さく震えている。
「ユミナ……」
「大丈夫だから、ね、大丈夫だから」
自分に言い聞かせるように繰り返しながら、ユミナは俺の手を取り体を寄せてくる。
そんな様子を見て、さすがに俺も今の状況に気づくことができた。
……馬鹿か俺は、大丈夫な訳がないじゃないか。
少し考えれば分かることだ、ユミナはまだ一二歳、この世界の文化がどうであれ、二回りも歳の違う男に抱かれて来いと言われて怖くないはずがないのだ。
自分の短絡思考にうんざりしつつ、次にどうすべきかを考える。
先ほどの不安と欲にまみれていた頭の中は、今はすっきりしていた。
「あー、ユミナ」
俺は先ほどのようにユミナの肩に手を添えて次の言葉を考える。
「ユミナの気持ちは嬉しい、俺もユミナの事は嫌いじゃない、かわいいし、元気だし、裏表がなくさっぱりした性格なので好感が持てる
自分の事を嫌っている訳ではないというのも分かる。
だが、やはりこの先どうなるか分からないし、無責任に受け入れて一二歳の女の子に余計なものを背負わせるような事はしたくない」
ユミナの肩から震えが取れ、その瞳は俺をしっかり見つめている。
俺もユミナの目をしっかり見ながら続ける。
「俺が王都に行って、そこで恐らく何かがあるんだろう、それがある程度落ち着いたらまたここに戻ってくる
だからその時まで待っていてほしい」
「……戻ってきてくれるの?」
「王都までは徒歩で五日程度だと聞いた、そのくらいの距離なら何とかなるだろう
ただ、王都で何があるのか分からないから、どのくらい先になるかって約束はしにくいけどな」
「……分かった、待ってる」
「俺のほうで時間がかかって、一年二年とか経っても帰ってこなかったら別に待たなくてもいいからな」
「ううん、待ってるもん……待ってる」
ユミナ体を密着してくる。
「お、おい」
「ねえ、これってユミナがノアさんのイ・イ・ナ・ズ・ケになったって事でいいんだよね?」
そうなるのか? ……なるのか
嫌な気持ちではないな
「ああ、そうだな」
「ふふ、やったあ……なんだから嬉しい。ごめんねさっき、びっくりしちゃって」
「いや、むしろあれで俺も冷静になれたよ、あのまま強引にユミナを抱いてもきっとロクな事にならなかったと思う、ユミナも怖いだろ」
「うん……ちょっとだけね、でも多分もう大丈夫だと思う」
俺はユミナの背中に手をまわして抱き寄せてみた。
ユミナは俺の胸に顔を埋めてゴロゴロしている。
「よし、じゃあ今日はもう寝ようか」
「えー、せっかく許嫁になれたのに、もっとお話ししたい」
「俺もそうだけど、明日は昼前に色々終わらせないといけないからな、ユミナも自分の布団に戻りな」
「やだ、今日はこのまま寝る」
ユミナは俺の胸元にくっついたまま動こうとしない。
「はぁ、分かった分かった、一緒に寝よう」
「はーい、えへへ」
予想外の事態はあったが、何とか欲望のままに行動せずに済んだ、そして恐らくこれでよかったはずだ。
しかし元の世界では付き合いらしい付き合いもしたことなかったのに、いきなり許嫁ができてしまうとは……
そこで俺はふとあることを考える。
この世界って、何歳から結婚可能なんだろう。
明日の朝にノトスにでも聞いてみればいいか、ついでに今回の件で文句でも言っておこう。
いや、かわいい許嫁ができたから文句を言う必要はないのか、なんだか掌で踊らされた感がすごいな。
短い間に色々なことがあったが、まずは王都へ行って状況確認を行う。
ユミナの事はもう少し余裕が出来たら整理するとしよう。
それにしても、一二歳じゃまだ胸はないな……コトナはそれなりにあるほうだと思ったけど。
俺は最後にユミナの双丘を少しだけ確認し、将来に期待しつつ眠りに落ちた。
――
朝起きるとユミナはいなかった、俺が寝ている間に自分の寝床に戻ったようだ。
「ノトスさん、ああいうのは困りますよ」
俺は起きると一番でノトスのところに行き、ユミナの事で文句を言う。
「なに、ノアさんなら娘を任せても大丈夫だろうと思ってね」
「そういうのは事前に話くらい下さい、なんでいきなり夜這いみたいな事をさせてるんですか」
「まあ上手くいったみたいだからいいじゃないか」
ノトスは全く悪びれた様子もなく、娘の行き先が決まってよかったなどとほざいている。
こういう感覚が普通なのだろうか。
「お、ノアじゃないか」
俺を見つけたオーベルが寄ってくる、なんだかいつも以上にフレンドリーな感じがする。
「聞いたぞ、これでノアも家族だな! 後でザインも呼んで祝杯上げようぜ」
オーベルは既に昨日の結果を知っているらしく、家族に男が増えたと喜んでいる。
まだノトスにしか言ってないのに、どこから聞いてくるんだ……それにまだ口約束の婚約だというのに気が早い。
もっとも、ここから一方的に反故にする勇気なんて俺にはないけど。
「おはようございます、ノアさん」
コトナがスープ鍋を置きつつ、俺に挨拶をする。
「あ、ああ、おはよう」
「ユミナから聞きましたよ、おめでとうございます。
良い家族が増えてうれしいです、これからよろしくお願いします。」
「よ、よろしく……」
どうやらユミナがさっそく言いふらし回っているようだ。
コトナに知られているというのがなんだか気まずい感じがして、どうしたものかと思っていると
顔を洗って戻ってきたユミナと目が合った、そして家族にかこまれている俺とコトナのほうをちらりと見てニンマリ笑う……こやつ。
「ノアさんおはよー」
コトナは俺の近くに来ると、腕を絡めて体を密着させて来る。
「ああ……おはよう、でもちょっとくっつき過ぎじゃ……ないか」
「そんな事ないよ、私はノアのお・く・さ・ん、なんだから、全然問題なしだよ」
女の子に懐かれるという経験が殆どない俺は、気恥ずかしさから一刻も早く腕を引きはがそうとするがユミナは俺の腕をがっちりキープしている。
そうしているうちに顔が熱くなり赤くなっていくのが分かる、まずい、みっともないところを見られてしまう。
「生意気言っていないで早く座りなさい、ノアさんは忙しいんですよ」
普段は笑顔でにこにこしており、あまり口を挟まないノトスの妻のシクラさんがユミナの頭を平手でスパーンと叩く。
ユミナはびっくりしたネコみたいな顔をしながら、そそくさと食事の場に座り込んだ。
「すいません」
「いいえ、ごめんなさいね、こんなせわしない子ですけどよろしくお願いしますね。」
あ、やっぱりそういう認識なんだ……着々と既成事実が出来上がっているようだ。
朝食はいつもより少し豪華なものが並べられていた。
スープの中の野菜が増量されていて、鹿肉が入っている。
「ノアさんのめでたい門出ですので、今日は少し奮発しましたよ」
「おお、こりゃいいな、では新たな家族の旅立ちの日を祝うとしよう」
ノトスは上機嫌で食事を始める、それを見た他の家族もそれぞれの食事を食べ始める。
いつもこうなので、恐らく食事に手を付けるのは家長が最初という暗黙の了解のようなものがあるようだ。
「しかし最初ノアさんが来た時はどうなるかと思ったが、一ヶ月経ってみればユミナの婿殿とは不思議な縁だな」
「少し早すぎのような気もしますけど」
ノトスが上機嫌でシクラと話している、そういえば聞きたいことがあったんだった。
「そういえばノトスさん、俺はこの辺りの常識には疎いんですが、一二歳で結婚するのは普通なんですか?」
「ん、ああ……まあ、ちょっと早いかもしれないな」
「普通は月の祝いを終えて一、二年経ってからだからな、早くても一三歳くらいか」
月の祝い?響きから何となくアレの事だとは思うが……
「月の祝いは女が子供を産めるようになった証を祝う行事だ、大体は家族内で済ますことが多いけどな」
俺が怪訝な顔をしているのを見て察したのだろう、オーベルが月の祝いについて補足を行う。
つまり初潮が来た女の子を祝うイベントらしい、いわゆるお赤飯の日だ。
いやまて、大体はって、家族以外も巻き込んで祝う事があるのか。
「貴族なんかは月の祝いにでかいパーティをやって、そこで婚約者を決めたりする事もあるらしいぜ、まあ、普通は家の中だけでやるよ」
何という羞恥プレイ、そんな事やられたら女の子は恥ずかしくて外歩けなくなるんじゃ……貴族、恐ろしい子
いやまてよ、という事はユミナは?
「私はまだだよ」
チラ見しただけなのに即答で返ってきた。
しかもそれに関しては恥じらいも何もないようだ。
「ユミナはちょっと遅めね」
「遅いほうが丈夫な子が生まれるんだよー」
「それは迷信でしょ」
女性陣が初潮についてあれこれ話している。
こういう話をタブー視する風潮は無いのか?無いんだろうな。
改めて常識の違いが大きい事を認識する。
そんな女性陣を眺めていた俺を見て何か勘違いしたのか、ノトスが改まった感じで俺に話し始めた。
「すまんなノアさん、本当はコトナをやれれば良かったんだが、あれはもう嫁ぎ手が決まっていてな」
このオヤジとんでもないことを言いよる、これでは俺がコトナのほうがいいと言っているようではないか。
……いやまあ、コトナは優しいし落ち着いてるし、どっちかと言われれば……いやいやいやいや!俺が乗せられてどうする。
「ノトスさん、そんなんじゃないですから、ここで無駄に戦火を広げるような事を言わないで下さいよ」
「えー!ノアさん、コトナお姉ちゃんの方がいいの!?」
遅かったようだ。
この後、ユミナの機嫌を直すために小一時間費やすこととなる。
その後、俺は世話になった村の人々に簡単な挨拶をして回った。
ザインの婿入りした家に挨拶に行った際、ザインは俺とユミナの事をとても喜んでくれた。
そして、「一家の主となる者が手ぶらでは格好がつかないだろう」と、一振りの短剣を餞別にくれた。
俺は礼を言って短剣を受け取り、ザインと別れた。
その際、彼の後ろにいた小さな子供を抱いたコトナより少し上くらいの年齢の奥さんが俺にお辞儀をする。
俺もいずれあんな風になるんだろうか……
そんな事を考えながら、俺は今まで約一ヶ月間住んでいた村長宅に向かった。
日は既に高く昇っていた。