第十六話 別れは新たな出会いの始まり
盗賊のアジトに設置されていたテントは殆どが盗賊達の住居であったが
一番大きな六角形のテントに入った時、その凄惨な光景に目を疑った。
中には複数の女達が捕われており、皆ボロ布のような服を着せられ、鎖につながれていた。
暴行された後のような娘もおり、テントの中は異様な臭いが充満していた。
「奴隷部屋であるな」
フェリスが口元を押さえならが入ってきた。
そういえば盗賊達が、人を売るの売らないのの話をしていたような気がする。
「売れそうな女達を捕まえて飼っておるのだ、後でまとめて奴隷商人にでも売るつもりであったのでろう。」
集団内の雑事などに使え、男達の性処理役としても使える。
奴隷商人が来れば売り払って金に変える、戦時ではよくある事だとフェリスは言った。
「奴隷ってもっと大切に扱われるものじゃないのか……」
「人によるな、奴隷商人であればもうすこしマシに扱うであろう、売れなければ商売が成り立たぬからな。
じゃがここの盗賊共からすれば、最終的に売れれば儲けもの程度の話であろう、使い捨ての消耗品と大差ない」
見渡すと健康状態はそれほど良くはないようだ、皆痩せこけ、瞳に絶望の色を湛えて黙りこくっている。
たった今外で大きな戦闘があったばかりだと言うのに、動こうとする者すらいない。
「とりあえず鎖を外さないと……あれ、鍵がかかってる」
周りを見渡すと、入口近くに置いてある椅子の上にそれらしい鍵が無造作に置いてあった。
なんて雑な管理だ……
俺は鍵を手に、つながれている女達の枷を外して回る。
一応声はかけてみるが、あまり良い反応は返ってこなかった。
部屋の中には六人の女がおり、最後のうつ伏せになっている女の枷を外し、肩を抱いて引き起こす。
体には生々しい暴行の跡があり、恐らく俺達が乗り込む直前まで嬲りものになっていた事が覗えた。
「おい、大丈夫か、しっかりしろ」
「……ぅあ」
その女はのそりと体を起こし、こちらを向いた。
その顔は俺のよく知っている顔、何も知らなかった俺に色々な事を教えてくれた少女……コトナだった。
コトナは虚ろな目で俺を見、そして俺が声をかける前に目を大きく見開いた。
「あああああああああああああああ!」
気が狂ったかのような絶叫の後、俺の顔に強い衝撃が走る。
それがコトナに殴られたせいだと気付くのに数秒を要した。
俺は後ろに倒れ、その上に目に狂気を宿したコトナが馬乗りになって俺の首に手をかける。
「おまえが! おまえがああああああああああ!」
コトナの手に力が入る、女の力とは思えないほど強く、容赦のない力が俺の首にかかった。
「がっ、こ……とな」
首を押さえられて息ができない、何で俺が襲われてるんだ。
いや今はこの手を何とか振りほどかないと……
そう思った瞬間、コトナの体が後方に投げ出される。
視線を移すと、俺の隣にはユミナが立っていた、ユミナがコトナを押し返してくれたようだ。
「ご主人様に何するの!」
「やめろ! ユミナ!」
ユミナはそのままコトナに追撃をしようとするが、すんでの所で俺の命令が間に合ったようだ。
追撃をやめ、俺の腕を取り立ち上がる手助けをする。
コトナは起き上がり、俺の隣りにいるユミナを信じられないような目で見ていた。
「ユミナ! ユミナなの!?」
「……私はユミナ、ご主人様の忠実な僕です」
「ユミナ!?」
コトナはユミナに声をかけているが、当のユミナはコトナに何の反応も示さない。
「ユミナ、コトナの事を覚えてないのか?」
「……わかりません、見たことがあるような気は……するけど」
「お前の本当の姉さんだよ」
「……そうなのですか、でも分かりません、それよりもご主人様に危害を加える人は敵です」
そう言ってユミナの目は赤く輝く、ユミナはコトナに関する記憶を失っているようだった。
それを見たコトナは言葉を失っていた。
「お前! ユミナに何をしたんだ!」
以前のおっとりしたコトナからは想像もできない、憎悪に満ちた声で叫ぶ。
いやそもそも何で俺がこんなに恨まれてるんだ、一体コトナに何があったというんだ。
「コトナ、まず聞かせてくれ、何でコトナは俺をそんなに憎んでるんだ、俺はコトナを助けに来たんだぞ
そりゃ、遅かったのは……謝るしか無いけど」
「ふざけるな! お前が王女を殺したから、村は……皆は殺されたんだ!」
コトナの話はこうだった。
俺が王女を殺したため、俺を初めに受け入れたコリーン村にも反王家の勢力がいるとみなされた。
だがそんなあやふやな理由で軍は送れない、だからクラハルド伯爵の子飼いの盗賊団をけしかけた。
盗賊団にはコリーン村に対する略奪御免が与えられているから、何をやってもポロニアや国からの討伐隊は出ない。
そういう話をコトナはこの数日間、ずっと盗賊達に犯されながら聞いていたそうだ。
「召喚の事実を全て消し去りたかったのであろうな」
いつの間にか俺の隣にフェリスが立っている。
「コトナと言ったな、我が主は召喚者である、お主も覚えがあろう
そして主を呼んだ召喚術を使用したのは王家である、王家はこの事実を万が一にも外に漏らさぬため
無理矢理な理由をつけて、主に関わったものを消そうとしておるのじゃ。
お主の聞いた話は王家のついた嘘である、主は王女など殺害しておらぬ、全ては濡れ衣なのじゃ」
フェリスが俺に代わり、俺の弁護を行ってくれている。
その線は俺も考えたが……しかしたかが召喚術の隠蔽で村一つ潰すなんて、そんな事があり得るのか。
「魔族の言うことなんて信じない!」
しかしフェリスの説明も、コトナには届かなかった。
コトナは相変わらず俺を射殺しそうな目で睨んでいる。
「では信じずとも良い、しかし我が主はお主らを救出しに来たのじゃ。近くの町まで送らせてはもらえぬかのう」
「いらない! 出て行け! 今すぐ出て行け!!」
コトナはこちらの呼びかけに全く応じる様子もなく、狂ったように叫びなら俺を睨んでいた。
フェリスは首を振り、俺に小さく話しかける。
「ダメであるな、憎悪に心が支配されておる、今のままではどのような言葉も通じぬ」
「じゃあどうするんだ、このまま置いていくわけにもいかないぞ」
「実際問題、妾達がぞろぞろ引き連れていく訳にもゆかぬであろう」
確かに頭の痛い問題だ。
非戦闘員を六人も連れて町まで移動するというのは想像するだけで大変だということが分かる。
しかもこの経緯で考えるとポロニアに送れば良いというものでもない、何故ならコリーン村を襲わせたのはクラハルド伯爵の指示だと言うことだからだ
敵のお膝元に逃げ込むわけにも行かない。
「亡命するしか無いな」
「ふむ、それが妥当であるか」
ここはロシュフォーン王国とベンガルド共和国の国境付近だ、であるならこのままベンガルド共和国に逃れて身を隠す以外に無いのではないか。
俺がそう考えると、フェリスからも賛同の言葉をもらえた。
「コトナ、今はわかってくれなくても良い、だがここにこのままいるわけにはいかない
荷物をまとめてベンガルド共和国に亡命する、話はそれからだ」
俺の言葉に、コトナはしばらく何か考えていたようだったが、結局はその提案も受け入れられる事は無かった。
「私達は私達だけで行く! お前の力なんか借りない!」
この緊急事態とも言える状況下で全く進まない話に、俺は段々と苛立ちをつのらせていた。
コトナやコリーン村には申し訳ないが、俺だって被害者なのだ、その中で皆を助けたいと思って行動しているのに、何故分かってもらえない。
「おい、いい加減に……」
「うるさい! ユミナを魔族に変えた奴の言うことなんて信用できない!」
交渉を続けるべきだとは思った。
数日経てば、もっと冷静に話し合えるはずだとも思った。
しかし、ここでも俺は持ち前の短気で機を逃すことになる。
「この殺人し!」
コトナに人殺しと言われた瞬間、胸から上が沸騰するような感覚に襲われた。
これはまずい時のアレだ、だがもう止まらなかった。
「俺は……俺は助けに来たんだ! コトナがさらわれてるかもしれないって聞いたから!
だから来たんだ! 助けるために殺した! ユミナだって仕方なかった! あのままユミナも燃やせば良かったのかよ!」
そのまままくし立てようとする俺の腕に手が添えられる、フェリスだった。
おかげでほんの少しだけ冷静さを取り戻した。
コトナの目には相変わらず憎悪の炎が宿っている、本当にもう何を言っても無駄なのだろう、正直俺ももう疲れた。
「……盗賊の持ち物で金になりそうなものは残しておく、それを使って何とかやってくれ、俺も少しは貰うけどな
行くぞ、フェリス、ユミナ」
そう言って俺はコトナに背を向けた。
「ユミナ!」
後ろでコトナがユミナに声をかける、しかしユミナは少し振り返っただけで、コトナと向かい合うことは無かった。
俺はコリーン村で過ごしていた頃のコトナを思い出し、そして、理解されないことへの苛立ちと無力感を嫌というほど噛み締めていた。
「この馬車は使えそうであるな」
フェリスは馬一頭引きの貨物馬車に目を付けた。
俺が王都に行く際に乗ったものとは違い、御者用の席と後方の荷台のみという、行商人がよく利用するタイプの馬車だ。
幌も付いているので多少の雨風も凌げる、移動する簡易宿泊所としても機能しそうだ。
少なくとも地べたで寝るよりはマシになるだろう。
「馬もまあまあじゃのう、どれ妾の血を分けてやろうぞ」
おもむろにフェリスが馬の首に牙を立て、一〇秒ほどして離した後、足元に魔法陣を描く。
馬はヒヒーンと一鳴きすると、徐々にその体が赤黒くなり、目に見えて筋肉が増量されていった。
数分後、そこには軍馬と見まごうほどの立派な雄馬が立っていた……
「ふむ、こんなものじゃろう」
いやこんなものかじゃねえよ、何してくれちゃってるんですかこのちびっこは
何で吸血馬とか作っちゃってるんですか。
「フェリス、あまりやたらにヴァンパイアを増やしすぎるのは……」
今までの流れからして魔族だとバレると色々と厄介な事になるのは間違いないのだ。
普段は擬態でごまかせるが、数が増えればどこでボロが出るか分からない、リスクは少ない方がいい。
「それは承知しておる、じゃがな主よ、妾達は今わりと追い込まれておるのではないか?」
フェリスにそう言われ、今の状況を再確認してみる。
王女殺しの犯人として手配書が国中にばら撒かれ、ポロニアでは実際に包囲され俺の生存が有力視されてしまった。
唯一のつながりであったコリーン村は先手を打たれて潰された。
「さらに言えば、ここの伯爵子飼いと思われる盗賊団を潰したことで、それなりの戦闘能力持っておる事がバレるのも時間の問題じゃな」
「あれ……この流れで行くと次は軍が出て来るんじゃないか」
「良い読みであるのう、そうであるな、さすがに大軍は出ぬであろうが、盗賊団の調査という名目で精鋭を送りつけられるじゃろうな
無論そんな者達に遅れは取らぬが、それを倒せばさらに妾達を脅威と見なすであろう
そのような事を繰り返せば王宮に潜入する事もどんどん難しくなろう」
王宮に潜入する、それの意味するところを俺は何となく分かっていた。
フェリスからその言葉が出るとは思わなかったが……
「お主の中におる魂の娘を開放したいのであろう?」
「……気づいてたのか」
「何故妻である妾が、良人の愛人の心配をせねばならんのかとは思うたがの」
フェリスは俺の顔を見てから、ふぅとため息をつく。
「まあ仕方がない、主が色々と世話になったようであるし、ここは妾の懐の広さを見せねばなるまい」
フェリスの物言いには苦笑いを返すしか無かったが、フェリスがそこまで考えていてくれたことが嬉しかった。
「フェリス、ありがとうな」
「よい、良人の願いを叶えることが妻の役割である」
フェリスは完全に変身が完了した馬に荷馬車を取り付け、ユミナは換金できそうなものを持ってきては荷台に詰め込んでいた。
本当にフェリスはなんでも出来るな。
俺が褒めるとフェリスは得意そうに胸を張った。
「……であるからな、まずはこの国の追及をまかねばならぬ、そのためにはまず一度外国へ退避するのじゃ、急がば回れということであるのう
その際に金品が無くてはまた要らぬ騒ぎを起こしかねぬからな、まずは金子の確保、そして強い移動手段の確保じゃ。
馬は便利であるが運用にコストがかかる、今の我等では馬の手入れ一つとっても至難であろう。
その点、我が眷属となったヴァンパイアホースであれば、妾がマナを補充するだけで済む。
さらには普通の馬よりも能力が上であるし、御者無しでも運用が可能じゃ、多少のリスクは負う事になるが、十分割に合うものであるぞ」
多少のリスクを取ってでも必要なものを素早く揃える。
安全安心、石橋を百回叩いてからしか渡らないような選択しかしてこなかった俺にはできない事だ。
しかし俺は相変わらずやる事がない、楽ではあるが、見た目小さい子供がせっせと作業しているのに
俺がただ見ているだけというのは何とも居心地が悪い。
そんな事を考えていると、大きなテントから六人の女達が出てくるのが見えた。
どうやらあちらも行動を開始するようだ。
だが六人とは言え女ばかり、旅の準備もおぼつかないだろう。
しかしあれだけ言った手前、こちらから声をかけるのはためらわれるな……そうだ。
「ユミナ」
「はい、ご主人様」
「あっちの連中の準備を手伝ってやれ」
ユミナは露骨に嫌そうな顔をしたが、上手にできたら一晩中頭を撫でてやると言うと大喜びですっ飛んでいった。
簡単な娘だな。
コトナは俺に対してはむき出しの憎悪をぶつけていたが、ユミナに対してはそうでもなかった。
ならば手伝いくらいは大丈夫だろう、元は姉妹だったんだし。
ユミナがいなくなったことにより、こちらは人手が足りなくなったので
代わりに俺が荷物の整理などを行う、ようやく手持ち無沙汰が解消された。
そのまま時は経ち、日が西に傾き始めた頃ようやく旅の準備が完了した。
旅に出発するには少し遅い時間ではあるが、あまりモタモタしているとクラハルド伯爵の手の者が様子を見に来るかもしれない。
フェリスの提案で、早速出発することになった。
ユミナはコトナ達のところから戻ってくる際に何かを言い合っていた。
それほど激しい言い合いでは無かったようだが、何を話したのだろう。
俺達の出発の際にコトナの方を振り向くと、コトナはやはり俺を恨みのこもった目で見ていた。
俺達は盗賊のアジトを出てまずコリーン村方面に向かい、そこから街道を通り国境へ行く計画を立てた。
盗賊のアジトから直接山を抜けてベンガルドに入る方法もあったのだが、初めて入る勝手がわからない国に密入国はまずい。
それに、山中には何があるか分からずリスクが大きいと判断し、まずは正規の国境へ行ってみる事にする。
それでどうしてもダメだとなれば、山越えも致し方ない。
コリーン村から最寄りの国境までは一〇キロメートル程度だ。
その日はコリーン村まで戻った時点で既に日没となっていた為、もう少しだけ進んでから野営をすることにする。
俺は盗賊のアジトを出てから野営を始めるまで、ずっとユミナを膝の上に乗せ頭を撫でていた。
本当に一晩中撫でていたら俺が寝られないという事に気づいたゆえの報酬の前払いである。
ユミナは気持ちよさそうな表情で俺に体を預けている。
その隣にはフェリスが羨ましそうな顔をして座っていた。
御者台にはこうもりズが棒人間になり、頭まですっぽり覆うローブを着て座っている、これは外から見られた際のダミーだ
さすがに馬車が無人で進んでいたら怪しすぎるからな。
「主よ、ユミナばかりでは不公平であろう」
フェリスが抗議の声を上げる。
「いやしかし約束しちまったからな……」
「妾だって馬車の修理と設置をしたのであるぞ」
「分かった、分かったからもうちょっと我慢してくれ」
フェリスをなだめだからユミナをナデナデスリスリしていると、先程出発の間際に、ユミナがコトナと何か話していたのを思い出した。
「そういえばユミナ、出発前、コトナと何を話していたんだ」
ユミナはちょっとだけむっとした顔になる。
「ユミナも付いてこいって、ユミナはあの人の妹なんだって、だからユミナは言ったの、私はご主人様の僕だから行かないって、そしたら怒っちゃって」
「……そうか、嫌な思いをさせたな、すまない」
「んーん、でもあの人ご主人様の事嫌ってたからユミナもきらい、なんだか絶対取り戻すって言ってたけど、ユミナはご主人様から離れないもん」
俺はそれ以上何も言えず、ただユミナをずっと抱きしめていた。
ユミナは顔を赤くしながらも、気持ちよさそうに俺に体を預けていた。
日没から一時間程度経過した、辺りはかなり薄暗くなってきたので、街道から少しそれた位置で馬車を止め、野営の準備を始める事にした。
今日の夕食は野うさぎの肉だった。
ユミナが血抜きをして切りそろえた肉を木の棒に刺して焼いていく。
血抜きしたと言ってもそこは野生動物、独特の臭みが鼻についたが、他に食うものも無いので仕方ない。
盗賊のアジトに置いてあった食料はコトナグループに譲ってしまった、あちらはどう見てもサバイバル能力がありそうな人員がいなかったので仕方がない。
最後の最後まで結局、礼の一つも無かったが、何もしていない俺がそれで憤るのも違うような感じがしたので気にしないようにした。
俺は味のついていない硬い肉を黙々と食べる。塩くらい持ってくるんだったな……
王宮にいた時に出てきた食事も、元の世界のものに比べれば随分と簡単なものだったが
こう野宿生活が続くとそれすら恋しくなってきてしまう。
残念な事に、なんでも出来るかのように思われたフェリスも料理は不得手だったようだ。
吸血が主な食事方法なので当然と言えば当然なのだが……
「ああ、カレーが食いたい」
ぼそっと呟いた俺の一言を聞き逃さなかったユミナが興味深そうに俺を覗き込んだ。
「かれーってなんですか?」
「黄色くて辛い、どろっとしたスープみたいなものをご飯にかけて食べる食べ物だよ」
「ごはんってパン?」
「いや、ごはんは白米って言って、柔らかくておいしい麦みたいな食べものだよ」
「ふーん、ユミナも食べてみたい」
「そうだな、いつか作ろうな」
うん! と言ってにっこり笑うユミナ……癒される。
どんなに疲れようと飯がまずかろうと、一人ではないなら耐えられるというものだ。
何より、俺は間違いなくこの面子の中で一番の役立たずである事は疑いようのない事実。
おはようからお休みまで全ての面倒を見てもらってるのに、文句を言う事など出来るわけがなかった。
「ベンガルドの町に行けば多少は良いものも食せるであろう、積荷を売ればしばらくは金子も問題ない、しばしの辛抱じゃ」
「ああ、済まないな、我儘を言うつもりは無いんだ」
「よい、妾達はいつも極上の食事を堪能させてもらっておる、逆に妾の方が心苦しいくらいじゃ」
そういえば俺の血は美味いみたいな話をしていたな……
血の味なんてどれでも同じような気はするのだが。
何となく気になって、処理したウサギ肉にこびりついていた血を舐めてみる。
……鉄の味がした。
「まずい」
「何をしておるのじゃ……」
フェリスが呆れ顔で目を細めるが、次の瞬間、ハッとした顔になり後ろを振り返った。
「人の血の匂いがするのう」
フェリスは素早く焚き火を消すと、耳を澄ませた。
俺もつられてフェリスの見ている方向に耳を傾けてみる。
意識を集中すると、遠くで微かに人の叫びのようなものが聞こえる。
どこかで戦闘が行われているのだろうか。
「誰かが襲われておるのう、獣ではない、人と人であるな」
フェリスはその身体能力で俺よりも多くの情報を取得したようだ。
話からすると、誰かが盗賊か何かに襲われているという状況なのだろうか。
フェリスは、さてどうすると俺に振る。
俺は考える。
人と人が戦闘しているだけでは、加勢するとしてもどちらにしたら良いものか判断がつかない。
制圧はフェリスの戦闘能力があれば恐らく容易だろう、だがよかれと思った行為が望んだ結果に繋がるとは限らない。
恐らくここでこのまま待機し、こちらに来るようなら迎撃するのが最も面倒が無い選択だろう。
しかし……
「フェリス、介入して戦闘中止の仲裁をしてくれ。攻撃してくるようなら応戦を、俺も後から行くから」
「承知したぞ」
「あ、あと、できればヴァンパイアだってバレないように」
返事の代わりに軽く手を振り、フェリスは疾風のごとく声のした方向へ消えていった。
俺が出した指示はこの場合においては下策も良いところだ。
勢力は少なくとも二つ以上あり、正体も分からない、そして既に戦闘中となれば
戦闘中に介入して停戦を試みるなど、普通であれば現実が見えていない馬鹿な判断と取られるだろう。
俺達はできるだけ正体を隠しながらベンガルドに一刻も早く入国しなければならない。
こんなところで先の見えない厄介事に首を突っ込むのは、普通に考えたらデメリットしかない。
でももしかしたら、襲われているのはコトナ達かも知れない、そう考えるとただ待つという選択はできなかった。
あれだけ散々な事を言われた後でも、やはり俺にとってのコトナは恩人でありユミナの姉なのだ、完全に気にしない事なんてできない。
また、そうではなかったとしても、何とか出来る力があり、何とか出来る位置にいるにも関わらず無視して放置するなんて選択は俺にはできそうもない。
翌朝確認したら略奪され殺された商人が転がっていたなんてなったら絶対に最悪な気分になる。
「ユミナ、俺達も行こう、すまないが護衛を頼む」
「はい! ご主人様」
俺はユミナを連れて、フェリスが走り去っていた方向へと急いだ。
「ユミナ、戦闘になったら風魔法だけで攻撃してくれよ」
「どうしてですか?」
「魔法だけなら魔術師ですでごまかせるかもしれないけど、怪力や吸血を見せるとあとでごまかしようがないからな」
「分かりました」
そんなやり取りをしつつ、フェリスが走っていった方向へ向かう。
五分ほど走ると遠くで焚き火が燃えているのが確認できた。
その焚き火の光の中で人が慌ただしく移動しているのが見える、フェリスはとっくに到着しているはずなので、どうやら戦闘中断は失敗したようだ。
さらに近づくと、焚き火の近くには馬車が停車しており、その扉近くでフェリスが戦闘を行っている。
周りを囲んでいるのは使い古した皮の鎧に身を包んだ男達だった。
野営中の旅人の馬車に盗賊が襲撃をかけたという事のように見える。
俺は想定していた中で最も簡単な状況だと考え、少しだけ安堵する。
フェリスは馬車の扉を守るように立ち、風魔法で遠巻きに囲んでいる盗賊達を攻撃していた。
フェリスの足元には盗賊達と思われる死体が転がっており、盗賊は戦法を、囲んで弓での一斉射撃に切り替えたようだ。
一部金属の鎧を着た戦士風の死体も見える。
よく見るとフェリスの後ろに人が二名屈んでいる、フェリスはその二名を庇うように立ち回っているため、なかなか盗賊の数を減らせないでいるようだ。
魔族とばれないよう、最小限の魔法を行使している為らしい。
「ユミナ、盗賊達の側面に回り込んで攻撃してくれ」
「でもご主人様が……」
ユミナは俺を一人にすることに不安を感じたらしい。
俺の身を案じてくれることは嬉しいが、今は一刻も早く盗賊の数を減らすべきだ。
「俺はここで伏せてる、少しの時間なら大丈夫だろう」
「分かりました」
ユミナは加速して一気に盗賊の集団の側面に移動する。
周りが暗いこともあり、盗賊達は回り込んだユミナには気がついていないようだ。
ユミナはすこし溜めを作った後、空気を圧縮した砲弾を連続で盗賊のいる位置に叩き込んだ。
ある者は空気弾が直撃し、内臓を破壊されながら後方へぶっ飛び、あるものは頭を吹き飛ばされ地面に倒れる。
盗賊がユミナの攻撃に気が付き、そちらに気を取られた直後、今度はフェリスが同じ空気弾の攻撃を連続して叩き込んだ。
二〇名弱いた盗賊は、一連の攻撃が終了する頃には、三名を残すのみとなっていた。
ユミナがすかさず突撃し、何を思ったか倒れている盗賊の持っていた剣を拾い上げた。
「剣士ユミナだよ、覚悟ー」
あまり強そうではない掛け声とともに、唖然とする盗賊に向かって剣を振る。
狙われた盗賊は我に返り、ユミナの振り下ろす剣を自分の剣で受け流そうとするが
ズザッという音とと共に、盗賊の出した剣は折れ、ついでに受けた盗賊は肩から腰までを真っ二つに切り裂かれていた。
続けて一人、もう一人と、盗賊の防御などお構いなしにユミナは盗賊を斬り付けていった。
最後の盗賊の上半身と下半身がおさらばしかけところで、ユミナの持っていた剣は盗賊の背骨に当たり折れてしまった。
「成敗!」
最後の盗賊を倒したところで、折れた剣を掲げてポーズを決めるユミナ。
俺は何となく拍手しなければならないような気がして、ぱちぱちと気のない拍手を送っていた。
フェリスの方を見ると、自分もやりたかったというような顔をしながら悔しそうにユミナを眺めているのが見えた。
「危ないところを助けて頂き、誠にありがとうございました。」
ゼピオと名乗った身なりの良い初老の男性は、俺達に深々と頭を下げた。
盗賊を撃退した俺達は、襲われていた馬車の生き残りを保護した。
五〇歳くらいの身なりの良い男性と、一五歳くらいの身なりの良い少女だ、その一人であるゼピオが俺達に経緯を説明していた。
この生き残りの少女は、ロシュフォーンの南にある小国、フィガロ王国の第二王女マリアベルだということだ。
マリアベルの一五歳の誕生日を期に外交デビューを果たすため、手始めに友好国であるベンガルド共和国の議員たちに挨拶を行いに向かったらしい。
いわゆる親善大使というやつだ。
フィガロ王国からベンガルドの首都までは海路で繋がっている、なので行きは海路を使用しベンガルドの政府専用船で渡ったのだが
式典が終了し、帰国する際に船が故障して使用不可能になってしまったらしい。
仕方が無いので、代わりに用意してもらったベンガルドの馬車に乗り、陸路でフィガロへ向かう事となったのだが
陸路を通るとなると、どうしてもロシュフォーン王国を通過しなくてはならない。
そこでロシュフォーン王国に渡る手続きを取ったのだが、ロシュフォーンとベンガルドの国境を超えたところで、二〇名いた護衛の兵士たちの殆どが忽然と姿を消してしまったそうだ。
慌ててベンガルド政府に連絡を取ろうとしたが、ロシュフォーン国境は王女暗殺事件の影響で封鎖中であり、入ることはできるが、出ることはできないというではないか
そんな情報は全く聞かされていなかった王女一行は抗議したが、再度のベンガルドへの入国は認められず
仕方がないので残ったフィガロ兵士である護衛の四名と、お付のメイドと執事のゼピオ、そして王女の計七名で先に進もうとした矢先に、盗賊に襲撃をかけられたということであった。
「話ができすぎてるな」
「話ができすぎておるな」
話を聞いた俺とフェリスの第一印象はそのようなものだった。
この世界の政治の常識なんて俺には分からないが、経緯を聞いただけで何故そうなると突っ込みたくなる点がいくつもあった。
そもそも王女の護衛に自国の兵士が四人だけというのがまずありえないと感じる。
実際のところ、ゼピオもおかしいと思った点はいくつかあったらしいのだが、ベンガルド共和国はフィガロ王国の有力な貿易相手国であり
さらに国力差が圧倒的であるため、相手の機嫌を損ねる不利を考えるとなかなか言い出せなかったようだ。
今回の親善大使に関する準備は殆どベンガルド側が行っており、滞在中の全てはベンガルド政府が面倒を見ると言っている以上
お前のところの警備なんて信用ならんとは言えなかったという事情もあるようである。
「ベンガルド側に手引した者がおるのであろう、恐らく最初から仕組まれておったのであろうな」
「私も今となってはそのように考えます……」
フェリスの推理に頷くゼピオ。
「しかし何の目的で?」
ゼピオ達の乗っていた馬車を見た、確かに高価そうな贈り物は沢山あったが、国と国での揉め事を作ってまで手に入れたいものだとは思えない。
「他人の欲など分かりはせぬよ、じゃが恐らく一番の目的はそこの王女殿であろう、盗賊共が傷をつけるなというような事を言っておったのでな」
フェリスの見る先には、先程からメイドの遺体にすがり付いて泣いている女の子がいた。
そのシャノアというメイドは、マリアベルが子供の頃からずっと付いているメイドだったようだ。
年齢は二〇代半ばというところだろうか。
運悪く盗賊の矢が急所に当たってしまったらしい、確かに若すぎる死だ。
俺はその様子を見て、カッツやフローリカの事を少しだけ思い出した。
「さて、そのような事よりも、まずはこれからどうするかであるが……」
フェリスが遺体にすがり付いたままのマリアベルを見てからこちらに問いかける。
何か含みがある言い方だな……そう思った瞬間、今まで泣いていたマリアベルがフェリスに猛抗議を始めた。
「そんな事!? そんな事って何よ!」
すがり付いていた遺体から離れ、真っ赤な目でフェリスの食って掛かる、今にも胸倉を掴みだしそうな勢いだ。
「これまで経緯や結果などもうどうにもなりはせぬ、それよりも先のことを考えるのが先決であると言ったまでじゃ」
「今までのことがどうでもいいですって!? 私が裏切られた事も、シャノアが死んだことも! どうでもいいって言うの!?」
「妾には思い入れのないことであるな」
「下賤な人間は思いやりすら無いのね!」
ずっと長いこと一緒に暮らしてきた人間が死んだのだ、つい先日、コリーン村の人々を失った俺にとっても他人事ではない。
その悲しみや憤りはある程度理解できるつもりだ。
しかし同じような経験をしたからこそ思う……泣くだけではいけない。
今のマリアベルは、他人に当たることで自分の悲しみを誤魔化そうとしているように見える。
だが今すべきは八つ当たりではない、現実に向き合うことだ。
一刻も早く手に取れる最善の手を掴むべきなのだ。
しかしそれは言うほど簡単な事ではない、現に俺はできなかった。
フェリスの助けがあったからこそ、何とか持ち直すことが出来たのだ。
このマリアベルという少女は王女だと言うがまだ一五歳。
誰かが助けてやらなければ、この難局を乗り切るのは難しいだろう。
本来であればサポートするのは唯一残った執事のゼピオなのだろうが
彼もまた、この状況でこの先どうしたら良いかなどと言い切れるほどの力があるとは思えない。
自分の知らないところで自分の運命を決められ、それに抗うことすら許されない。
理不尽だ、余りにも理不尽……
俺は今まで自身に起きた理不尽を振り返り、そしてそれに対して憎悪を燃やした。
このまま理不尽の好きにさせてなるものか。
俺は自然と立ち上がり、マリアベルの前に立った。
ゼピオが緊張した面持ちでこちらを伺っている。
俺はマリアの肩に両手をそっと置いた。
「なによ! あんたも私に文句をつけるの!?」
マリアベルの顔がこちらに向き直る、目は真っ赤で鼻水も出ている、王女様にしてはひどい顔になっていた。
「シャノアのことは残念だった」
マリアベルは俺の言葉に一瞬だけキョトンとした後、やはり大声で俺に食って掛かる。
「ふざけないで! あんたがシャノアの何を知ってるのよ! 適当な事言わないで!」
「分からない!!」
マリアベルの大声よりもさらに大声で一言だけ。
マリアベルが一瞬黙ったのを確認してから俺はゆっくりと次の言葉を続けた。
「俺には分からない、シャノアがどんな女だったのかも、お前とどんなに仲が良かったのかもわからない」
「じゃあ、余計なこと言わないで!」
「だが! ここでお前が死んだらもう誰にもそれは分からない! もう誰にも伝えられない! シャノアの死は全て無駄になる」
マリアベルの肩が跳ねる。
「お前が死んだら、シャノアは生きた証すら残せなくなる、お前を守った事が無駄になる、それでいいなら俺は泣き叫ぶのを止めはしない」
マリアベルはしばらく黙り込んだが、次第に肩が上下に震えだす。
短い嗚咽が聞こえてくる。
「……だって、シャノア……大丈夫だって、私の……側にずっと……いるって」
マリアベルの目から大粒の涙が溢れてくる。
「さっきまで私の事抱いてて……くれた……のに……」
あふれる涙は止まらず、マリアベルの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「俺が送り届ける、シャノアも、死んだ兵士も、俺が送ってやる。
だからお前は国に戻ったらシャノアの墓を作って、どれだけ世話になったのかを、そして最期がどうだったのかを皆に伝えろ
シャノアの生きた証を皆に伝えろ、それが……お前の仕事だ」
「ぅぇ……ぅぁ……ああぁ……」
「あああああああああああああああああああああああ」
堪えきれなくなったのだろう、マリアベルは俺の胸に顔を埋め大きな声を出して泣いた。
俺にフェリスがいたように、マリアベルにだって、どうしようもない状況の中で一度くらい誰かが手を差し出すタイミングがあってもいいはずだ
無いなら俺がその役を受けよう、フェリスに比べたらどうしようもなく頼りないが……
俺はマリアベルの背中に軽く手を添え、撫でてやる。
マリアベルは疲れ果てて眠るまで、長く、長く、泣いていた。