第十四話 パンドラの箱
……じ
……じよ
……あるじよ
体が揺れている、何かが俺の胸を押している。
うっすらと目を開く、まだ眠い、寝かせてくれ……
目の前には黄金の髪、フェリスか、まさかずっと起きてたのか?
手を回すと丁度小さな背中に当たる、そのまま抱えるように抱きしめる。
抱きまくらには丁度いいサイズかもしれん。
「んぅ、主よ積極的であるの、この様な時ではなければ喜んで身を委ねるのじゃが」
俺の胸がぐいっと押される、フェリスが体を離しているようだ。
「敵襲であるぞ、主よ」
「は? 敵?」
物騒な単語で覚醒した俺は、まだふらつく頭を必至に持ち上げた。
フェリスの目は赤く光っており、既に戦闘態勢に入っていることを知らせている。
耳をすませば外に大勢の人間が集まっている気配のようなものが伝わってくる。
「主も気がついたようであるな、研ぎ澄まされてきておるの、良いことじゃ」
「フェリス、敵って……」
「うむ、妾達はあのフローリカという女に売られたようであるな」
「え、フローリカが? 何で?」
「分からぬよ、大方旦那の敵討ちのつもりか、報奨金目当てかといったところであろう
宿泊を勧めた時に覚悟を決めた目をしておったのでの、そうではないかとは思っておったのじゃ」
「こうなるって知ってたのかよ」
「うむ、九割五分はこうなるであろうと思っておった」
「なら言ってくれよ……」
「主は神経質であるからのう、言ってしまえば気になって、僅かな休息すら取れずにおったであろう」
俺のために黙っていてくれたと言うことらしい、確かにこれから裏切られますよと言われては、気になって睡眠どころではなかっただろう。
フェリスは余裕の表情だし、何とかなる……のか?
「案ずるでない、あの女、妾が魔族だとは言うておらぬのか信じてもらえなかったか、包囲の中に魔術師はおらぬようじゃ、であれば簡単じゃ」
「そうか、頼むぞ」
フェリスの能力は知っているつもりだ、そのフェリスが大丈夫だというのだから大丈夫なのだろう。
俺がホッと胸を撫で下ろすと、フェリスは、前金をどうぞと言って髪の毛をたくし上げ、おでこを出してきた。
なんだこの状況。
「……前金って何だ」
「妾のやる気が出るように、ここにおまじないをしてほしいのじゃ、いってらっしゃいのち、ちゅーというやつであるな」
言ってる本人が照れてどうするんだろうか。
まあいい、この切羽詰まった状況にもかかわらず俺が落ち着けているのは間違いなくフェリスのお陰なんだから。
「は、はようせぬか、外の連中は間もなく突入してくるぞ」
「はいはい」
俺はフェリスのおでこに手を当て、おでこではなくその唇を吸った。
フェリスはびくんと体を震わせると、そのまま一秒、二秒、三秒とされるがままになっていた。
あまり長くしていると踏み込まれてしまうので、五秒程度で中断して唇を離す。
いつもいいようにからかわれているのだ、こういう時くらい仕返ししてもいいだろう。
「前金おわり」
「ふぁ……ふにゃあぁぁ」
フェリスはなんだかヘロヘロにになっている、だ、大丈夫か?
「あるじよ……前金たくさん頂いたぞ、ち、ちょっと……先に言うて欲しかったがな、サプライズであるな」
「お、おう」
「妾は今、燃えておるぞ! 計画を変更して、皆殺しにしてくるのじゃ!」
「ちょっとまてええええええええ!」
漫才の最後を締めくくる俺の叫び声で状況が動いた。
バタン! と入口のドアが蹴り破られ、狭い居間に五、六人の兵士がなだれ込んでくる。
皆、手にはグラディウスのようなショートソードを持っていた。
元々が狭い家だ、居間と台所は瞬く間に占拠され、さらに突入してきた四名が二つの個室を確認する。
「誰もいません!」
「何だと!?」
兵士達の困惑した声が響く、家の中は慌ただしくなり、テーブルやベッドをひっくり返したり
物置や戸棚を開けてみたりとてんやわんやであった。
俺達はその様子を家の外から見ていた。
あの突入の瞬間、フェリスが使う透明化の魔法により、俺達二人は不可視の存在となり
窓から外へ出てそのまま兵士達の脇を通り抜け、包囲の外に出ていたのだ。
透明になると当然お互いが見えなくなってしまうため、俺は今、フェリスの手をしっかり握っていた。
今の時間は恐らく午前二時頃といったところだろう、商店街と思われる通りに人の姿はなく
酒場の店員が後片付けと翌日の仕込みを行っていた。
「ついでじゃ、このまま町の外に出てしまおうぞ」
「ああ、任せる」
俺達は透明化を維持したまま街の門まで行き、兵士用の出入り口から門の外に出てポロニアの町を後にした。
ポロニアを出てから三〇〇メートル程度進んだ辺りで、フェリスは透明化の魔法を解除する。
「ふはー、久しぶりに使うと疲れるのう」
「すごいなこの魔法、これがあれば何の苦労もなく遊んで暮らせるんじゃないのか」
俺は透明化の魔法の力に興奮し、既に頭の中ではこの魔法の利用方法について考えを巡らせていた。
「夢を広げるのは良いのじゃが、この魔法はマナの消費が激しい上に、魔術師が見たらバレバレであるぞ」
フェリスをよくみると、額にうっすらと汗が浮かんでいる、相当高度な技だったのか。
「また、透明になるのは術をかけている対象だけであるからな、例えば透明になって窃盗したところで
盗んだものはそのまま見えておる、術の発動中は余計な事ができぬしな、思ったほど万能というわけではないのだ」
「暗殺とかにも使えるんじゃ」
「潜入には良いかもしれぬな、じゃが、この魔法を維持したまま攻撃行動を取れる者がどれだけおるかのう
ちなみに妾でも攻撃の瞬間は解除せねばならぬぞ」
フェリスでも難しいという事は、まずこの魔法を使える人間が何人いるのかというレベルになるのでは……
「言うなれば小さな鏡を大量に作って制御する術であるからの、人間で使える者がいるとは思えぬ」
原理は光学迷彩だったのか。
俺は納得した顔をして頷くと、フェリスは意外そうな顔を向けた。
「おお、今の話だけで仕組みを掴んだのか、さすがは主よ、侮れぬな」
漫画で見た知識ですがね……
さすがにどんな鏡を作ってどんなふうに配置すればいいかなんて全くわからない、それをやってしまうのだから
フェリスは本当にすごい魔族なんだな。
その後俺達は、街道から少し離れた場所にあった大きめの岩の影に簡易テントを作成し、その中で仮眠を取った。
「先程の騒ぎでマナを多めに使ってしまったのでな、少し補給させてほしいのじゃが……」
「ん、いいよ」
簡易テントの中でフェリスが俺の上に乗って首筋を撫でている。
そして牙を立てようとしたところで、思い出したようにこちらを向いた。
「そういえば主よ、あ、ああいった事は事前に言ってもらわねば困るぞ、サプライズは嬉しかったが、妾は、は、初めてであったのだからな」
ん? 初めて?
どういうことだ? 昔はブイブイ言わせてたんじゃないのか?
「なんかこの前、男に抱かれるのは久しぶりとか言ってたから、てっきり経験豊富なのかと……」
「そんな訳がなかろう!」
「じゃ前言ってた、男に抱かれたがどうこうって何だよ」
「そ、それは……」
別に怒ってる訳じゃない、過去の話なんて俺はもう気にしない。
でも経歴詐称はいけない、そうだね?
「ち……父上じゃ」
「え?」
父上ってあれか、禁断の近親系……
「昔、怖くて寝られない時に父上に抱きついて寝ておったのだ、そのことじゃ!」
…………あれ?
「昔ブイブイ言わせてたりは……」
「そんなはずなかろう! 戦争中はやれガキンチョとかないぺただとか言ってからかわれておったわ
戦果を挙げたら挙げたで今度はやれブラッディクィーンだのやれ鮮血の女公だの妙な名前を付けられてからかわれておったわ」
いや後半はからかってないよねそれ、めっちゃ怖がられてるよね。
でも、こんなかわいいちびっこがブラッディクィーン……ぷ
ブラッディクィーン(笑)
「主よ……」
俺が一人でウケていると、目の前に冷たい目をしたフェリスの顔が映る。
「覚悟は、よいな?」
その後、怒ったフェリスに無慈悲な麻酔なし吸血をされ、俺は己の不幸を呪うのであった。
――
気が重い。
仮眠を取った俺達は、日の出と同時にコリーン村に向けて出発していた。
ポロニアからコリーン村までは約四〇キロメートル、急げば何とか日没前には着く計算だった。
しかしそんな俺の気を重くしているのは、フローリカに許されなかったという自責の念であった。
自分達を売ったフローリカに対する憤りはある。
だが、俺もクラリスを失った今、愛する人を失うことの大きさが何となく分かるのだ。
そして一人子供を抱えて生きて行く不安と恐怖、それは俺にも想像がつかない、辛く苦しいものだろう。
俺のせいではないというのは簡単だ、でも、俺にはどうしてもフローリカを憎み切ることができなかった。
彼女は俺達が話していた内容を、どういう気持で聞いていたのだろうか……
「主よ、考えても詮無きこと、今の主ではあの女は救えぬ
なに、例のガドラスという男が何とかするであろう、あやつも我らが無事だと知れば、何だかんだであの女を許すであろうよ」
「よく考えてることが分かるな」
「妾は良き妻である故な」
相変わらずだったが、おかげで少し元気が出たようなきがする。
俺はフェリスに心の中で礼を言うと、歩く速度を早めた。
「ところで主よ」
昼になり、道端で一時休憩をとっていると、思い出したようにフェリスが俺のもつマナについて語りはじめた。
「就寝する前にマナを吸っていて感じたのだが、主の持つマナの海には二つの光の玉が浮いておるのだ」
「なんだそりゃ」
「妾にも分からぬ、一つは小さく、一つはとても大きな光じゃ」
心当たりを探すが、当然のように何の心当たりもない。
そもそも俺は、自分の中のマナの海とやらを見ることすらできないんだから。
「演出みたいなもんじゃないのか」
「適当じゃな」
「だって考えたって分からんだろそんなの」
「……それもそうじゃな」
その時は特に気にもしていなかった。
いつもの他愛のない会話の一つ、そんな認識だった。
――
遠くに家が見える。
わらぶきの懐かしい家だ。
時間は日没前、このまま行けばユミナに会ってお別れを言えるだろう……
嫌な予感はしていた。
村に近づくにつれて、壊れた家の壁や荒らされた畑が見えてくる。
村の中央には何か柵のようなものが立っている、俺達がドッジボールをした場所だ。
「主よ、これは血の……」
聞きたくない、そんな話は聞きたくない。
俺はフェリスの言葉を待たずに走り出した。
懐かしい、コリーン村へ……
コリーン村は全滅していた。
あちこちに倒れた村人が転がっている。
村の中央には杭が何本も立ててあり、人が吊るされていた。
腕がない者、足がない者、首が無い者、胴しか無い者
それらが吊るされ、その体には的のような赤い丸が書かれ、矢が刺さっていた。
吊るされている者の中にザインがいた、その隣にはコリーン村を出る時に挨拶した奥さんがいた。
その隣は小さな体だった。
自分の体全体が脈打って、どこか遠いところから自分自身を見下ろしているような感覚になる。
心臓の鼓動がやけに大きく聞こえ、鼓動を感じる度に視界が前後に揺れる。
地面の感覚がない、現実感がない、ここは本当にコリーン村なのだろうか、夢ではないのだろうか。
ザインの子であろう赤ん坊の首がもげて地面に落ちた。
俺はその場で吐いた。
俺は夢の中にいるような気分で、村長宅を探した。
村長宅には一ヶ月住んでいた、場所は簡単に分かった。
村長宅の入り口にノトスとオーベルの遺体が張り付けられていた。
ご丁寧にダーツ用の的が書いてある。
村長宅に入る。
居間にシクラの遺体があった。
暴行された跡があり四肢は千切られ、首は暖炉にくべてあった。
俺は自分が寝泊まりしていた部屋に向かった。
……そこにユミナがいた。
体中はあざだらけで酷い暴行を受けた様子がありありと残っている。
手と足はあらぬ方向に曲がり、苦悶の表情で事切れていた。
……なんだこれは
なんなんだこれは
俺はお別れを言いに来たのに
笑って、いやあ参った参ったって言おうと思ったのに
俺の中で何かが切れた。
「何だよ!」
「何なんだよ畜生!!」
「畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!畜生っ!畜生っ!畜生っ!畜生っ!畜生っ!」
「オアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
俺は泣いて叫んで、手当たり次第モノに当たって、でたらめに転げ回った、そして……やがて疲れ果てて気を失った。
目が覚めた。
首の後ろには柔らかい感触、目を開けた先にはフェリスの赤い目がこちらを覗き込んでいた。
「……目が、覚めたかのう」
フェリスは俺の頭を優しく撫でている。
俺は今フェリスにひざまくらをされているようだ。
ゆっくりと辺りを見渡す、既に日は暮れ、月明かりが辺りを照らしている。
ここはノトスの家、村長宅のようだ、残念な事に、惨状は気を失う前と変わっていない様子だった。
「夢では、ないんだな……」
「うむ、済まぬがな」
「生存者は……」
フェリスは静かに首を振る。
きっと俺が気を失っている間に隅々まで探してくれたのだろう。
「皆を……弔わないと……」
俺はのそのそと立ち上がり、家の入口近くに立てかけてあった粗末なスコップを取って外に出た
そして村の中央に穴を掘り始める。
ただひたすら穴を掘る。
スコップを土に差し込む度に、コリーン村で知り合った人々の顔が浮かんでは消えていく。
視界が歪み、涙と鼻水がとめどなく溢れ、俺の顔から滑り落ちていく。
どのくらいか時間が経ち、人が二、三人入る穴が出来上がった
だがまだまだだ、村人は百人近くいるのだから。
再び穴を掘り始めると、スコップの先が折れた、俺は構わずにスコップを突き刺す……掘れない。
俺は何度も折れたスコップを地面に突き刺す、掘れない、何でだ、掘れない、何でだ、掘れない。
しゃがんで手で土を掻き分ける、皆を埋葬する穴を掘らなくてはならないんだ、穴を掘らなくては。
俺の手に小さな手が添えられた。
ぐしゃぐしゃの顔で少しだけ振り向くと、いつの間にかフェリスが隣にいる。
「主よ、よく頑張ったの、あとは妾に任せておくれ」
子供に言い聞かせるような、ゆっくりとした、それでいて優しい声が聞こえる。
「皆を埋葬しなくては、穴を……掘らなくちゃならないんだフェリス」
「承知しておる、主よ、どうかここは妾に」
「…………頼む」
フェリスは静かに微笑み、立ち上がると使役できる全てのコウモリ達を動員し、穴の作成と村人を集める作業に割り振った。
コウモリたちは仕事に応じて数匹で固まり、犬のような姿や小人のような姿になりそれぞれの作業を進め始めた。
全てのコウモリを使役したフェリスは全裸となってしまったが、特に気にした様子もなくコウモリ達に指示を与え作業を続けている。
その様子を確認し、俺はユミナの元へ移動する。
ユミナを抱え村の中央まで歩く。
既に死亡してから数日経過しているであろうユミナの体にはウジが沸いていたが、気にはならなかった。
「この娘が、主の婚約者であるのか?」
「……ああ、ユミナだ」
「かわいそうにの、まずは体を洗ってやらねばな」
ユミナの遺体を地面に置く、フェリスは何やら魔法を使用しユミナの体をさっとひと撫ですると、体中の付いていた血などの汚れが消え
傷口から見えていたウジ達も消え失せていた。
「この娘の体に残った僅かな気配、どこかで……」
ユミナの体を拭いていたフェリスが何かを感じたようだ。
うーんと唸りながら考え込んでいる。
そんなフェリスを見ながら、俺は以前に聞いたクラリスの言葉を思い出していた。
(自分のお心を信じて、愛するものに手を差し伸べてあげて下さい)
(そしていつの日か・・・私を、そして貴方様の小さな婚約者の方を、救ってあげて下さいませ)
小さな婚約者、今となって思えばそれはユミナの事だろう。
だが俺はユミナを救えなかった、これ以上何か出来る事はあるのだろうか。
ユミナはこの後、村人たちと一緒に火葬される、だから何かできるとしたらそれまでにという事だろう。
(噛まれたら俺もヴァンパイアになるのか?)
(眷属とするには特別な儀式が必要じゃ、簡易的な屍兵を作るのであれば牙だけでも良いがのう)
眷属化、そんな言葉が頭によぎる。
「フェリス、ユミナをヴァンパイアの眷属にする事はできるのか?」
「それは……不可能ではないが、既に魂が抜けておる状態じゃからのう」
フェリスは困ったような表情で俺と、ユミナの遺体を交互に見ている。
「死体に牙を使って屍兵にはできるんだろう?」
「そうじゃが、屍兵と眷属は全く違うものじゃ、屍兵とは言うなればゾンビやグール、スケルトン兵のような、死体を操り一時的に戦力とするだけのものであるぞ」
「ゾンビやグールやスケルトン……マイバッハのようにすることは」
「あやつは見つけた時に死亡してまだ間がなかったのでな、素早く行った眷属化の儀式で何とか人格を維持できた、その後色々あり、本人の意志で肉体を捨てたのじゃ
だがこの娘は死んでから既に三日は経過しておるからのう、魂も殆ど残っておらんはずじゃ
この状態で無理やり眷属化を行ったとしても、元の人格は何もない、妾の忠実な操り人形であるレッサーヴァンパイアが出来上がるだけじゃぞ」
「復活できるならそれでもいい」
「復活ではない、簡単に考えるな、そんな形で愛した者を蘇らせても余計に……苦悩するだけであるぞ」
フェリスの目には深い悲しみが宿っていた、恐らく過去にもそういった例を見てきたのだろう。
だがここから先でクラリスの遺言を果たせるタイミングはない、やるなら今しかない。
「それがたとえ間違いであったとしても、ただの抜け殻だったとしても後悔しない、フェリス……頼む……」
フェリスは俺の目をしばらくじっと見つめ、そしてふっと微笑んだ。
「仕方がないの、良人たっての頼みでは断れぬ……じゃが
もし主が後悔で己を責めるような事があれば、妾はいつでもこの娘を灰に還す、それで良いな?」
「……分かった、頼む」
フェリスは頷き、地面に手をかざすと赤く光る魔法陣が描かれた、俺はフェリスに促され、その上にユミナを乗せる。
魔法陣は人一人が収まる程度の大きさで、複雑な模様が描かれている。
「では眷属化の儀を始める、死体を利用し、この者にレッサーヴァンパイアとしての生を再び授ける、主となる者の血をここへ」
フェリスは妾の血で良いぞと言っていたが、ここは俺がやらなくちゃいけない気がする。
いや、俺の血を使いたい。
「俺の血で頼む」
「……腕を死体の上にかざすが良い」
腕をユミナの上にかざすと、フェリスが鋭い爪で俺の腕を切り裂いた。
鋭すぎて痛みはあまり感じない、熱い何かが腕を通った感じと、その後血管が大きく脈打つ鼓動を感じる。
血が腕に溢れ、手首を伝って下へと落ちていく、その段階になると外気に晒された俺の腕からは猛烈な痛みが襲ってきた。
声が漏れそうになるのを歯を食いしばって必死に堪える、俺が望んだことだ、ここで情けない真似なんてできない。
コップ二杯分程度の血がユミナの死体にかかると、フェリスは魔法を使い俺の傷を塞いだ。
急に大量の血を失ったせいか、少しフラフラする。
「すまぬの主よ、だが、楽な儀式ではないのでな」
「分かってる、何があっても文句は言わない」
「……では始める、ここに新しい眷属を召喚する、名はユミナ、汝は忠実なる僕として永遠に血の盟主であるこの者、ノアに仕えるべし」
フェリスの両腕が輝くと同時に、魔法陣も激しく光り輝いた。
光が徐々に大きくなり、間もなく広場を照らすほどの光量になる。
あふれる光の中で、ユミナの体が溶け、そして再度その体が生成される様子がちらりと見えた。
そして光が全て収まった時、俺の知っているユミナに瓜二つの少女が全裸で横たわっていた。
「目覚めよ」
フェリスが一言放つと、少女はぱちっと目を開け元気に飛び起きた。
きょろきょろと回りを見回し、俺を見つけると深々とお辞儀をする。
「ご主人様ですね、お呼び頂きありがとうございます。私はユミナと申します、以後よろしくお願いします」
俺の事は覚えていないようだが、声も姿も、俺の知っているユミナと同じものだった。
俺はたまらずユミナを抱きしめる。
「ひゃわっ、ご、ご主人様!?」
「おかえり、ユミナ……これからよろしくな」
「は、はいぃ、よろしくお願いしま……あれ、ご主人様、なんだか私、以前もこうされた事があるような気がします。」
記憶は無くなっているいるはずではなかったのか?
しかし口調は多少違えど、この声の抑揚は俺の知っているユミナを思い出させるものだった。
……もしかしたら、そんな事を頭で考える前に、俺の体は次の行動に移っていた。
そのままユミナに口づけをする。
ユミナはびっくりしていたが、すぐにされるままに受け入れていた。
少し長いキスの後、俺達は離れる。
ユミナは、はぅと息を一つ付き、俺を見つめて笑った。
「ご主人様……今度は、歯が当たりませんでしたね、キス、上手になりました」
「ユミナ、覚えてるのか!?」
驚いてユミナの肩をつかむ、フェリスはさらに驚いているようだ「どういうことじゃ……」という呟きが聞こえる。
「はい……ええと……おぼろげながら、そんな事が以前あったような? みたいな感じですが、ひゃわ! ご、ご主人様!?」
ユミナに抱きつき、その胸に顔を埋めた、心臓の鼓動が聞こえる……ヴァンパイアも心臓が動いているんだな。
そしてこの中にユミナがいる、俺の知っているユミナが、欠片だけでも存在している。
そう考えた瞬間、俺の目からは次から次へと涙が溢れ出した。
最近の俺は泣いてばかりだ、良い年したオヤジが泣きわめくのは本当に格好悪い。
でも仕方がない、嬉しかったのだから。
もう永遠に会えないと思っていたユミナがそこにいたのだから。
俺はユミナにしがみつき、そして声を出して泣いた。
ユミナはそんな俺の頭をいつまでも優しく抱きしめていた。