第十三話 ポロニア人情物語
「ところで、どこか行くあてはあるのか?」
「無いな、そもそも妾は五〇〇年もの間あそこに閉じ込められておったのだ、周りが今どうなっておるかなど分からぬわ」
「でも、昔あった町の場所くらいは分かるんじゃないか?」
「戦争も終盤になると、どこも焼け野原であったからのう、お主がえらい目に合ったロシュフォーンとかいう国も妾は知らぬ
妾の知る町や村は、今ではほとんど無いのではなかろうか」
「何でも南にはラギウス帝国ってのがあるらしいぞ」
「ラギウス……聖王ラギウスの子飼いの連中が作った国か、それは知っておる、裏切り者のセシルとその取巻き共もそこにおったな」
「セシル? 竜王セシルの事か?」
「なんじゃあの裏切り者め、天族の王などに納まっておるのか、これは傑作であるのう」
竜王セシルを巡る話は、コリーン村の絵本と、ロシュフォーン王宮の本で読んだ。
子供用と大人用の違いはあるが、どちらもストーリーに大差は無い。
――
聖王と竜王
そのむかし、魔族に組する暗黒竜から生み出された八体の竜の戦士がいた。
竜の戦士はその強大な力で、人々を蹂躙した。
聖王ラギウスは、竜の戦士を倒すために戦いを挑んだ。
激しい戦いの末、三体の竜の戦士を倒し、残りの竜の戦士たちも深い傷を負った。
竜の戦士の一人であったセシルは、深い傷を負い、魔界へ逃げる途中でついに力尽きてしまう。
その倒れたセシルを助けたのは、とある村に住む人間の女、アルティシアであった。
アルティシアはセシルを家に匿い、手厚い看病をした。
看病の甲斐あってセシルの傷は癒え、その後二人は愛し合うようになった。
そして月日が経ち、二人の間には女の子が生まれた。
女の子はルミナスと名付けられ、大切に育てられた。
しかし幸せも長くは続かなかった、ルミナスが一五歳になった時、アルティシアのいる村が魔族に襲われたのだ。
アルティシアは殺され、ルミナスは連れ去られた。
アルティシアは息を引き取る際に、セシルにこう言った「人間と魔族が、共に生きて行ける世界を作ってください」
セシルは嘆き、悲しみ、怒り、竜の戦士となり魔界へ向かった。
魔界ではルミナスが暗黒竜に生贄として捧げられていた。
セシルは暗黒竜の元へ行き、娘を返すように呼びかける。
暗黒竜と残りの四体の竜の戦士はセシルを殺すために戦いを挑んだ。
その時、ルミナスの体が光り輝き、辺り一面を光が包んだ。
その光により暗黒竜の力は衰え、四体の竜の戦士は、光の中で人間の愛を理解する。
セシルと四体の竜の戦士は、暗黒竜を倒し、ルミナスを助け出した。
その後、聖王ラギウスは、愛を知ったセシル達を仲間と認め、共に人間を守っていくことを硬く約束した。
アルティシアとルミナスは聖女と称えられ、ルミナスは聖王ラギウスの加護を受けて聖都の守り神となった。
――
確かこんな話だった気がする。
後半が駆け足すぎて、最後の最後でキスをしまくって全てを解決させていた某映画を思い出す。
「後半が適当すぎるであろう」
どうやらフェリスも同じ印象を受けたようだ。
「絵本だからな」
「それにしても、頭が痛くなってくる内容であるな」
「事実と違うのか?」
「前半はまあそうともいえるであろうという所か、後半は笑えるのう」
勝てば官軍であるのう……と呟きながらフェリスはこうもりを飛ばして近くの地形を探っている。
「まずセシルごときでは暗黒竜に傷ひとつ付けられぬ」
「フェリスと暗黒竜だとどうなんだ」
「触れもせぬな」
どんだけ強いんだ暗黒竜……あれ、でもそんな強い味方がいるのに魔族は負けたのか?
「奴は魔界から出られぬからのう」
俺の疑問顔にフェリスが素早く回答を出す。
納得だ。
「それに負けた訳ではない、双方合意による無期限停戦だったはずじゃ。
まあ確かに、停戦時の戦力差は七:三くらいであったがのう」
「そんなんでよく停戦できたな」
「天族も主だった戦士は疲弊しておったからのう、それに追い詰めすぎて暗黒竜が出てくることを恐れたのであろう」
「魔界から出られないじゃなかったのか」
「魔界につながる亀裂を広げれば、恐らく出てくることは可能であろう、ただしそんな事をすればこちらの世界もただでは済まぬ
戦争には勝ったが世界が滅びましたでは意味がないであろう、だから実際にはそんな事は起こらぬのじゃよ」
「魔族って世界を滅ぼすために戦ってたのかと思ったけど」
「……天族の情報操作でそう思っている連中は多いがの、実際は人間を滅ぼしたのが天族で、守ろうとしたのが魔族じゃ」
「え、滅ぼしたって? いまいる人間は何なんだ?」
「数千年前に栄えておった旧人類を天族が滅ぼした、それを防ぐために魔族は戦ったが、防ぎきれなんだ
今いる人間は、天族が地上を支配していた時代に作られた人類であるな、天族の新しいモルモットよ」
「話が壮大過ぎてついていけなくなってきたぞ……」
「ま、奴等の事についてはおいおい教えてやろう、妾も今の世界がどうなっておるのか興味があるからのう
ところで、使い魔が街道を見つけたようじゃぞ、森の中も良いがお主が持たぬからの、道に出ようではないか」
助かる。
獣の襲撃などはフェリスが何とかしてくれていたが、森の中を歩くのは非常に体力がいる
転んで怪我をすることもあり、フェリスに申し訳なく感じていたところだった。
「気にするでない、お主の身を守るのは当然の事であるからな」
「面目無い」
野生の動物に何度か襲撃され、その度にフェリスが撃退していたのだが、フェリスの戦闘能力は想像を超えていた。
狼が来れば長く伸ばした爪であっという間に八つ裂きにし、熊が出れば風の魔法で砲弾を作り頭を吹き飛ばしていた。
初めて見たときは腰を抜かしてしばらく動けなかった程だ。
「お主は驚き過ぎなのじゃ、あんなもの戦闘とも呼べぬぞ」
「仕方ないだろ、俺の元いた世界では普通に生きてたら血だってそうそう見るものじゃないんだから」
「ずいぶんと平和な世界であるのう」
その後しばらく森の中を歩いてくと、木々が消え、草原が広がる場所に出る
その先には街道らしき道が通っていた。
「さて、ここからは慎重に行かねばのう」
街道なのだから森よりも安心ではないのかとフェリスを見ると、髪の色が薄茶色になり、目が青くなっていた。
「人間に出会う事もあろう、赤い目では都合が悪いからの」
「髪まで変えるのか」
「あの色は目立つからのう」
薄茶色の髪に青い目をしたフェリスは以前の神秘的な雰囲気が無くなり、ごく普通の可愛らしい少女といった感じになっていた。
「服も変えるとするか、先に役割を決めておいたほうが良いやもしれぬな」
「役割?」
「このような可憐な少女と、三〇過ぎの男が一緒に歩いているのじゃ、理由を付けねば怪しまれよう」
さらっと自賛を仕込みやがった……いや、実際かわいいけどな。
「じゃあ、父親と娘か?」
「却下じゃ、全く似ておらぬではないか……そうであるな、主人と奴隷という事でどうじゃ」
「なぜそうなる」
「妾がなるべく見くびられておった方が都合が良かろう」
奴隷が自分を妾とか言うんだろうか……それよりもこんな貧乏くさい男が主人とか、そっちのほうが怪しさ満点なんじゃないか。
「細かいことはよい、妾は没落貴族の三女である、流れの傭兵であるお主に買われて慰み者にされ、可愛そうな身の上なのじゃ」
一瞬で設定が出来上がりやがった、しかもめちゃくちゃすぎてどこから突っ込んでいいのやら……
って、いつの間にか着てる服がボロっぽくなってるし!
そんな事をわいわいやりながら街道を歩いていると、前方から馬車に乗った行商人らしき男が来るのが見える。
丁度いい、ここがどこなのか聞いてみよう。
行商の男は俺達に近づくとこちらをまじまじと眺めている、年のいった男と少女の組み合わせが珍しいのだろうか
確かにこの組み合わせで旅をするケースって、あまり思いつかないな。
「すいません、ちょっと道をお尋ねしたいのですが」
行商の男に手を振って合図する、行商の男は訝しげにこちらを見ていたが、変な男と少女なので物取りではないと思ったのか
馬車を止めて手招きをしている。
「どうしたんだい」
「すいません、この先に泊まる場所などはあるでしょうか」
男は、何を言ってるんだこいつら? というような顔をしている
何かおかしいことを言ったのか?
「すいません、何かおかしいでしょうか」
「いや、ここはロシュフォーン街道だろ、この国で一番大きい道だ、なのに道を聞いてくるから何なのかと思ってね」
まずい、ここは王都に行く際に通った道だったのか、全く気付かなかった。
確かに主要道路を歩いているくせに、ここはどこだは無いよな。
「行商の方、申し訳ござりませぬ、私共はラギウスのほうから来たゆえ、土地勘がありませぬ」
「ラギウス、そりゃ遠いところからどうも、この先三〇キロメートル程歩くとポロニアという大きな町があるから、そこまでがんばると良いですよ」
「ご丁寧にありがとうございます、さあ主様、向かいましょう」
フェリスは深々と頭を下げ、俺に歩けと促した。
「フェリス、普通に話せたんだな」
「失敬な、まるでいつもはおかしいような言い方ではないか」
「いやまあ、慣れたけどさ……」
のじゃ弁はむしろ好物なのだが、それを言うと新たなエサを与えてしまいそうなので心の中に仕舞っておくことにする。
ポロニアは以前王都に向かう途中に通り過ぎただけだったので、実際に入った事はない。
外から眺めていたが、石壁に囲まれたそれなりに大きい街だったと思う。
しかしポロニアの方に来たということは……
「フェリス、コリーン村に行ってみて良いか?」
「うむ? 以前言っておった、召喚された当初に転移した村か」
フェリスはちょっと面白くなさそうな顔をする。
話の種にコトナやユミナの事を話してしまったのがまずかっただろうか。
「婚約者殿と会って熱い夜を過ごしたいのであるな、好きにせい」
やはりその件で機嫌が悪くなったようだ。
しかしそれは杞憂というものだ。
なぜなら、ノトスは俺が王都で一旗揚げると思ってユミナをあてがったのだから。
それが何もない上に、王女殺しの犯人になりましたじゃ、婚約なんて即解消だろう。
俺はただ最後にひと目顔が見たいだけ、もし俺の王女殺しの話が伝わっていないようなら、最後に一言お別れを言いたいだけなのだ。
「まあ恩人に挨拶をしたいという気持ちは分からぬでもない」
「ご許可頂けますかな、お嬢様」
フェリスの手を取り、手の甲にキスをする。
「ふぇ、す、好きにせい! 妾の決めることではないわ!」
ネタでやったつもりだったが、フェリスの顔はゆでダコのように真っ赤になっていた。
俺もやった後で急に恥ずかしくなって、フェリスと俺はしばらく無言で街道を歩いた。
――
夕刻になり俺達はようやくポロニアの街にたどり着いたが、ここで一つ問題が発生した。
宿に泊まろうにも金が無いのである。
宿を三軒回って、一番安い宿でも一人銅貨一〇枚、馬小屋のような部屋に汚い毛布が在るだけの素泊まり部屋でだ。
今ダメ元で入ってみて、やはりダメだった宿は観光客用の宿のようで、二人で銀貨三枚だった。
感覚的には銅貨一枚が百円、銀貨一枚が一万円くらいの価値と考えればしっくりくるかもしれない。
「金か、しばらく使っておらんかったので忘れておったわ」
「そう言えば俺はこの世界の金を手にしたことが無かったな」
以前、ガドラスのお使いで銀貨を渡されたが、色々あって結局買い物は忘れてしまっていた事を思い出した。
そういえばポロニアにはガドラスがいるんだったな、しかし探すと言ってもどこにいるのやら全く分からない。
「仕方がないのう、少し街から離れて野宿でもするかの」
「せっかくベッドで寝られると思ったのになぁ」
二人で観光用宿の前で途方に暮れていると、人混みをかき分けて三人の男が走ってくるのが見えた。
剣を下げて茶色のプロテクターを付けている、どこかで見たことがあるような……
三人の男は俺達の前で止まると、宿の受付にいた男が外に出てきた。
なんだ、何が始まるんだ?
「ポロニア守備隊の者だ、通報があった宿はここか?」
「はい、こちらの方になります」
宿の受付はそう言って俺を指す。
「よし、おいお前、ちょっと守備隊の詰め所……に……」
守備隊と名乗った男は俺の方に向き直り、そして絶句した。
同じく守備隊の男を見た俺も絶句していた。
目の前にいた守備隊の男はガドラスだったからだ。
「ガドラス……さん?」
「お……?」
ガドラスは何か言いたそうだったが、すぐに宿の受け付けに向かい
「おい、こいつは王女殺しじゃない、俺の知り合いのジャックだ、おいジャック久しぶりだな」
「え? ええ? あ、あーガドラス久しぶり?」
「そっちは手紙で言ってた嫁さんだろ?」
ガドラスがフェリスを見てとんでもない事を言い出す、なんだ手紙って……
「はい、お初にお目にかかりますガドラス様、私はラギウスから参りましたフェリスと申します」
フェリスはにっこり微笑んでガドラスと話している。
俺の頭の中は? マークでいっぱいだ。
訳が分からないので事情を聞こうとすると、フェリスに足を踏みつけられた。
そうしている間にも、ガドラスは宿屋の受付の男と話を進めていく。
「おいお前、俺の知り合いを王女殺しとはどういう了見だコラ」
「ひ、す、すいません、手配書と背格好が似ていたもので……」
「王女殺しが何でラギウス教徒の嫁さん連れてるんだよ!」
「す、すいません、奥様とは気づかずに」
「何事か存じませんが、誤解であると分かって頂ければ良いのですよ」
ガドラスは宿の受付にすごい勢いで詰め寄り、フェリスはにっこり微笑んでいる。
「大変申し訳ございませんでした、こちらはお詫びです」
そう言うと受付の男は銀貨を二枚差し出した。
「分かりゃいいんだ、今度からはちゃんと裏取ってから呼べよ」
「はい……」
「おう、お前ら人違いだ、無駄足させて悪かったな、今日はもう上がっていいぞ、これで美味いもんでも食いな」
ガドラスは後ろにいる警備隊員であろう二人に先ほど渡された銀貨を配っていた。
銀貨を貰った警備隊の二人はうれしそうにガドラスに礼を言うと夜の街へ消えていった。
「さあて俺達も行くかジャック、今日は飲もうぜ」
「え? あ、う、うん」
俺は訳もわからないままガドラスに肩を組まれ、日が落ちた街の中へと歩いていった。
ガドラスに連れられて来た場所は、あのカッツの家であった。
カッツが亡くなった後、ガドラスはカッツの妻であったフローリカと生まれたばかりの娘のリーヤの面倒を見ているらしい。
フローリカは現在一六歳で体が弱く、リーヤはまだ生後半年の為、年金があったとしても二人だけで生活を維持していくのは困難だという事だ。
ガドラスは元々兵舎に寝泊まりしていたが、フローリカ達の面倒を見る際にカッツの家の一室を借り受けているらしい。
フローリカはいかにも普通の町娘といった感じの純朴で可愛らしい娘だった。
未亡人狙ってるんじゃないのかという問いにガドラスは、そんなんじゃねえよと、さして興味もなさそうに言っていた。
カッツの家だと紹介された後、俺は凄い勢いでフローリカに土下座をし、カッツへの感謝の言葉を述べると
フローリカは「仕方のないことです」と、少し寂しそうに微笑んだ。
「しかし本当に主は鈍感であるのう」
「いや、分かるわけ無いだろあの一瞬で」
現在俺達はカッツの家のリビングでくつろぎながら、ガドラスから現在の状況を聞いていた。
宿屋前での一件は、王家が発行した王女殺しの犯人の手配書が原因だった。
恐らく死体が上がらなかったので、念のために手配したのだろう。
「身長一六〇センチ前後、中肉中背、黒い髪に黒い目、特徴のない顔貌、上が白、下が青の異国の服装をしている可能性あり、右腕を欠損している可能性あり
一部異なる部分があるが、これ完全にお前じゃねえかよ、何やってんだお前」
ガドラスが手配書をヒラヒラさせている。
内容を読んだがどうみても俺です、本当にありがとうございました。
「そんなことではないかと思うたわ」
「おいノア、このきれいなちびっこは誰だよ」
ガドラスがフェリスを訝しげに見ている。
「お主、褒めるかけなすかどちらかにせぬか」
「この変な喋り方するチビは誰だよ」
「褒めぬか馬鹿者!」
「なんか……変なの飼ってんなお前」
「色々あったんだよ……」
「フォローをせぬか!」
それから小一時間かけて、俺は今まであったことをガドラスに説明した。
クラリスとそういう関係になった辺りや、フェリスがヴァンパイアである辺りは適当にぼかしたが
ガドラスはフェリスと出会った辺りの事を訝しがっているようだ。
フェリスは部屋の隅でリーヤを抱いてあやしていた。
リーヤはフェリスに抱かれてご満悦のようだ、子育ての才能があるのだろうか。
「いやまあ、お前が王女殺しなんて出来る男じゃねえって事は分かるんだがな、その嬢ちゃんは誰なんだよ」
「いや、だから森に住んでいた木こりの……」
「そんなすぐ分かる嘘は付くなよ、そういう事をされると他の事だって信用できなくなっちまうんだぜ」
どうしたものだろうか、フェリスがヴァンパイアであるという部分をぼかすとどうしても話が嘘くさくなる
いや、ヴァンパイアでしたーって言ったほうがむしろ嘘くさくないか。
ああもう訳が分からん、どう説明すればいいんだ。
俺が説明に困っていると、フェリスはリーヤを抱いたままおもむろに立ち上がった。
「このままでは埒が明かぬな、見るが良い」
そう言うとフェリスの髪は黄金色に変わり、目は輝くような赤に戻っている。
「なっ」
ガドラスはガタっと椅子を蹴って立ち上がり、腰の剣に手をかけた。まずい
「見ての通り、妾は魔族である、であるが、今の妾は良き魔族じゃ。
天族に封印され、今まさに命尽きようとしておったところを、そこの主に助けられたのじゃ
戦う気は無い、主と共に、ゆるりと残りの生を堪能したいと思うておる」
フェリスの穏やかな口調に、緊張していたガドラスは剣から手を離し、疲れたように再び椅子に座った。
フローリカは今にも飛びかからんばかりの勢いでフェリスを睨んでいる、しかしその足はガクガクと震えていた。
「そう怯えるでない、赤子は怯えてはおらぬぞ」
フェリスはリーヤを差し出すと、フローリカはひったくるようにリーヤを受取り、部屋の隅で抱きしめていた。
「傷つくのう」
「今の威圧は素人に向けるものじゃないだろう」
「威圧などしておらぬ、妾の心は地底湖の水面のように穏やかであるぞ」
「へへ……これが本物の魔族か、すげえな、初めて見たぜ」
フェリスはいつの間にか髪と目を目立たない色に戻し、椅子に座る。
「それでガドラスよ、我が主を救ったのは何故じゃ」
「そりゃ、ノアは王女殺しなんてできねえって分かってるからだよ」
「しかし匿ってもお主に得はあるまい」
「損得じゃねえ、俺が納得できないだけだ」
「難儀な奴じゃのう」
「だから出世できねえんだけどな」
それからフェリスとガドラスは色々なことを話し合う。
ガドラスとフェリスはいつのまにか打ち解けて、既にガドラスに警戒の色は無かった。
昔の武勇伝や、天族との戦いの話を楽しそうに語っている。
なんだか分からないけどちょっと気に入らない。
「なんか仲いいっすね二人とも」
懐が小さすぎる……と分かっていても口に出てしまうのが俺である。
「主よ、分かりやすすぎて嬉しくなってしまうであろう
妾を天族の結界より救ってくれた時はあんなにも頼もしかったのにのう、普段はダメダメであるの」
フェリスは困った奴じゃと言った感じで受け流した。
ガドラスはそんな様子に苦笑し、俺の方に目を向ける。
「そういやノアよ、随分言葉が達者になったな、面構えもマシになったし体つきも少し逞しくなった感じがするぜ」
そうだろうか、自分では全く変わったとは感じない。
言葉は以前に比べたら圧倒的に理解できるようにはなっているが。
「まあ色々あったから……ところでフェリス、なんでさっきからあるじ、あるじって呼び方変わってるぞ」
「それはそうであろう、妾達は夫婦になったのであるからのう」
「……は?」
「先ほど宿の前で紹介しておったではないか」
「あ、あれは、演技だろ」
「良いではないか、この際であるのでお主を良人として扱うことにしたのじゃ……嫌であったか?」
フェリスは絶妙なタイミングですこし潤んだ目で俺を見上げてくる
絶対計算してやってるのが分かってるのに抗うことができない。
「い、いや、そんなこと無いけど……もういいや、好きにしてくれ」
「ふふ、了解じゃ」
フェリスはにかっと笑うと、俺の腕に手を絡ませる。
人前でいちゃつく事に免疫がない俺の顔はみるみる赤くなていった。
「なんだかな……確かに害はなさそうだよな、お前ら」
そんなバカップルみたいなやり取りをしている俺達を眺めつつ、ガドラスは深いため息を付いた。
「コリーン村に俺の手配書は回ってるんですか?」
「いや、分からねえな、行商人に持たせて配らせてるらしいが、あそこへは人もそれほど行かないだろうし
手配書を配ってる行商人が行ったとも限らねえ、噂くらいは流してるかもしれないがな」
行商人と聞いて、ポロニアに来る途中に道を聞いた馬車の男の事を思い浮かべた。
もしかしたら手配書を知っていて、感づかれたかもしれない。
俺はフェリスを見るとフェリスも気づいたようだ、こちらを見返して頷く。
「そうゆっくりはしておれぬな」
そこにガドラスが思い出したように付け加える。
「そういやコリーン村で思い出したが、最近あの辺りで商人が襲われる事件があってな
村にもおかしな連中が脅しかけてきてるっていうんで、近々警備隊を派遣することになってる、行くなら早いほうが良いぜ」
「あそこは国境が近いと聞いたが……」
「国境に近いからこそだ、何せ隣の国に逃げちまえば兵士はもう追えない、国境付近の地域ってのは魔窟なんだよ。
しかも隣のベンガルドは、何をするにも時間がかかる国だ、国境を超えてこっちの兵士が捜査する手続きなんてしてたら盗賊が寿命を迎えちまうよ」
寿命を迎えるは言い過ぎとしても、国境を越えて逃亡した相手を追うことがいかに難しいかという話だ。
俺がいた時は平和に見えたが、立地的には危うい村だったという事なのか。
「だからそういう難しい連中を排除したい時は、傭兵ギルドに依頼をするのさ。
傭兵といっても扱いは一般人だ、一般人なら盗賊を追って越境しても大して問題にならないからな
もちろん、他国で殺人を犯しましたなんて大きな声では言えないから後始末も念入りにやる、その分料金はかさむな」
世の中うまく回っているものだと思う。
それにしても公然と殺人を依頼できる組織もあるのか……
「そこはケースバイケースだ、さすがにそこらの一般人をあいつ気に入らないから殺してくれと言ったって誰も相手にしねえよ。
盗賊共は王国国民とは認められない、だから例外って事だ」
なるほどな、そうなってくると余計コリーン村が心配になってくる。
警備隊が駐屯してしまうと俺が行くのはまずいだろうから、行くなら今しかない。
「妾と一緒であれば夜間でも移動可能じゃ、すぐに出るかの?」
「そうだな、今から行けば明日の昼過ぎくらいには……」
「お……お待ち下さい」
俺達が出発の相談をしていると、それまで黙って話を聞いていたフローリカが声を上げた。
皆がフローリカに注目する。
「あの、お話を聞いていましたが、大変なご様子ですのでどうか一晩だけでもお休み頂けたらと……」
「どうしたのじゃ、妾が恐ろしかったのではないのか?」
フェリスが挑発するようにフローリカに詰め寄る。
フローリカは一瞬だけ身をすくめるが、すぐに立ち直り俺を見て話し始めた。
「先程からあなた方のお話を聞いていて、それほど怖い方ではないのかなと……思いました
お世話になっているガドラスさんのお友達ですし、先程のご無礼のお詫びも含めて……」
フェリスは、ふむ、とフローリカの目を覗き込み、嬉しそうに笑った。
「主よ、それでは一晩だけ厄介になろうぞ、主も久しぶりにベッドで休みたいであろう」
「ああ、フェリスが良いならそれでいいよ」
俺はフローリカがこちらを理解してくれた事が嬉しくて、その申し出を二つ返事で了解する。
ガドラスもほっとしたようだ。
「いやあ済まなかったな、俺が急に用意できる家なんてここくらいしかなくてよ」
「いや、ガドラスが助けてくれて嬉しかったよ、ありがとう」
ガドラスはへへと頭を掻いて見せた。
本人の性分というものもあるが、たった一度の縁なのにここまでしてくれるこの男は、この世界では得がたい存在だろうと思う。
これからも良い関係を築きたいものだ。
「じゃあ俺は今日は宿舎に行くからよ、お前らは俺の使ってる部屋を使え」
街の中にある建物は当然ながら間取りに比べて価格が高い、この家は2DKくらいの間取りの賃貸物件であるようだ
そのうちの一部屋をガドラスは使っているらしい。
「(汚しても構わんからな)」
ガドラスが家を出る際に俺に耳打ちする。
他人の部屋を汚すわけ無いだろと思いつつ、すぐその意味に気がついた。
「(いや、無い、無いから!)」
「ははは、じゃあ明日の朝また会おうぜ」
ガドラスはそういって、夜の街に消えていった。
「主よ、何の話であったのだ?」
後ろで見ていたフェリスが俺に先程のやり取りを聞いてくる。
振り返ってみると誰が見ても分かるほどにニヤニヤしていた。
絶対分かってて言ってやがる……
「部屋を汚すなってよ」
「ほう、借り屋故にそれはそうであるな、じゃが妾には別の意味に聞こえたのだがのう」
「やっぱり聞こえてたんじゃねえか、今日は寝る、寝るぞ」
「期待には応えねばなるまい主、主よ~」
後ろで何か言ってるフェリスを無視し、俺はフローリカに案内された部屋のベッドに横になった。
明日は久しぶりのコリーン村だと思うと、隣で俺を堕落させようと耳打ちする邪神の声も子守唄となり、やがて俺は眠りについた。