第十話 慈悲深き牢獄
俺は階段を登っている。
所々錆た鉄の階段、もう何段登っただろう。
ふと気が付くと回りの景色に見覚えがある、それは、俺が住んでいた元の街、そして俺が今立っているのは
一〇年以上住んでいた住宅街の隅にある安アパートだった。
慣れた手つきでカバンから鍵を出し、ドアを開ける。
「おかえりなさいませ、ノア様」
「ただい……ま?」
玄関にはどこかの学校の制服を着たクラリスが立っていた。
あれは確か、俺が学生の時に通っていた高校の制服だ……これは、どういう状況なんだ?
「お仕事お疲れ様ですノア様、お夕食の用意ができておりますのでこちらへ」
俺の持っていたカバンとスーツのジャケットを受け取りながら、キッチンに置いてあるテーブルへ案内する。
テーブルの上には美味しそうな料理が置いてあった。
「クラリス、何でここに?」
「いやですわ、私はノア様の妻ではないですか」
「え、そうなのか? でも、なんだか中学生にしか見えないけど」
「も、もう少しすれば大人の女になりますわ」
そういうものなのか?
俺ははっきりしない頭でテーブルに座り、食事を始める。
このアパートの間取りは1Kだ、なのでキッチンに小さなテーブルを置くともういっぱいいっぱいになる。
「済まないな、狭い家で」
「東京は物価が高いので仕方ありませんわ、私は全く気になりませんのでご心配なさらずに」
それに……とクラリスが微笑みながら俺に顔を寄せる。
「狭いほうが、いつもお側にいられますわ」
それを聞いた自分の顔が赤くなるのが分かる、クラリスはくすくす笑いながら椅子に座り直していた。
何で言った本人よりも俺のほうが慌てているのか。
相変わらず女性とのやりとりに免疫がない自分にうんざりしつつ、笑っているクラリスを見てある事に気づいた。
「クラリス、目が見えるのか?」
「はい」
今のクラリスの目には光が宿り、しっかりと俺に焦点を合わせているのが分かる
「ノア様に頂いたものです」
「俺が?」
どういう事だろうか、そもそも何でクラリスが俺の部屋にいるのだろうか、結婚っていつしたんだ?
俺とクラリスはロシュフォーンの王宮で出会ったはず。
そこまで考えると、俺の頭は割れるように傷んだ
同時に、今までの出来事がフラッシュバックのように脳裏を駆け巡っていく。
「ぐ……」
「ノア様!」
頭を抑えてうずくまった俺をクラリスが支えた。
「どうかご無理をなさらずに」
脳裏を巡った俺の記憶を見て、俺は直感的にここが何なのかを悟った。
ここは選択をする場所だ、それも恐らく最後の辺りの。
「クラリス、この先はどうなっているんだ」
「はい、先に進むのであれば、私としばしここでお過ごし頂いた後に、大きな光と一つに……
あ、ここでお過ごし頂くのはいつまででも問題ありませんわ、いつまででもゆっくりなさって頂けます」
真面目な表情で説明をするクラリス。
なんだかいつまでも居て良いという部分をやけに強調しているのが気になるが。
「戻ることは出来るんだな」
「はい、今すぐにであれば……ですが、戻った先には」
クラリスは少し悲しそうな目でこちらを見ながらそう答える。
「分かってる、以前言われたからな、でも、あの世に行くにはまだちょっとな
大して思い入れも無い世界だけど、クラリスに頼まれた件もあるし、もうちょっと粘ってみたい」
「……はい、どうかお気をつけてノア様、私はいつでも貴方様と共におりますわ」
クラリスは微笑み、俺に向かって一礼する。
そして視界が暗闇に閉ざされた。
――
意識が徐々に戻ってくる、まぶたが重い
俺は……まだ生きている。
体の感覚は殆ど無い、両手両足も動いている気がしない。
まだ夢の中にいるような気がしてくるが、唯一目は開くことはできるようだ。
まぶたが異様に重いが、あせらずゆっくりと目を開いていく。
目の前に誰かの顔が見える。
白い顔に黒い目……だんだんと目の焦点が合ってくる。
顔の先には岩の天井、岩肌が露出している、まんま洞窟の中のような印象だ。
そのまま視線を手前に戻し、俺の顔を覗き込んでいた顔を見る、そこにいたのは・・・真っ白なガイコツだった。
「!?」
驚きのあまり思わず叫び出しそうになったが、喉がガサガサで声が出ない。
恐ろしいのだが手も足も声も出ないのではもうどうすることもできない。
仕方がないので相手をあまり刺激しないよう、気づいていないふりをしつつ視線をガイコツから外した。
「ん? 気が付いたのかのう」
女の声が聞こえる、このガイコツが喋ったのだろうか、随分と高い声だ。
いやそもそもガイコツって喋れるんだろうか。
そんな事を考えていると、ガイコツの隣から別の顔が俺を覗き込んだ。
今度は人間のようだ、人間の……女の子か? だいぶ若い、ユミナと同じくらいだろうか
黒いドレスのようなものを着ていて顔立ちは整っており、目が赤く光っている、輝く黄金色の髪の毛を長く伸ばしているのが見える。
「綺麗な髪の毛だな」
思ったことが思わず口に出てしまう、相変わらず喉はガサガサでろくに声は出ないが……
何故人間とガイコツが一緒にいるのか全く分からないが、既に考えても仕方がない状況だ
何しろ手足は動かないし、首もろくに動かせない、逃げ出しようがない。
殺すつもりならとっくに殺しているだろうし、ここは様子を見る以外に出来ることはない。
「自慢の髪の毛であるからのう、目が覚めたとたんに妾を口説くとは、お主、元気そうではないか」
「……いや別に口説いたつもりは」
何だろう、微妙に仰々しい話し方をする女の子だ。
「ここは、どこだ? 誰か大人はいるのか?」
「ここは牢獄じゃ、いるのは妾とこの使い魔のマイバッハだけであるな」
このガイコツはマイバッハという名前らしい。
「お嬢さんの名前は?」
「妾の名はフェリスじゃ、フェリス・アルカード、誇り高き原初のヴァンパイアの一人であるぞ」
……はい? 今なんて言った?
ヴァンパイア? 吸血鬼のか?
「よくわからないが……とりあえず俺の名はノアだ、シドー・ノアという
いや、こっちの呼び方で言うとノア・シドーか、まあよろしく頼む」
「うむ、苦しゅうないぞ」
フェリスはフンと胸を張り、隣りにいるマイバッハは敬々しく礼をした。
主人と執事……なのか?
「フェリスが助けてくれたのか? ありがとうな」
「見つけてきたのはマイバッハじゃ、手当をしたのは妾であるがな」
「手当で何とかなる怪我だったのか、俺はもう絶対に死んだと思ったけどな」
「ふむ、確かに通常の手当ではどうにもならなかったな、妾は回復の魔法は苦手であるが
血の再生術を少々施しておいたぞ、失った右手もしばらくすれば再生するはずじゃ、少し時間はかかるがの」
まだ実感が湧かないが、本当であればすごい話だ
俺はまだ魔法というものを見たことが無いが、そういえばガドラスが切断された腕を再生できる魔法があるとか話していたな
そんなことが出来るなら、現代医学も真っ青だ。
血の再生術という名前に少々空恐ろしいものを感じるが。
フェリスは俺が話せるようになった事を確認すると、俺を回収した経緯を話してくれた。
ここは俺が落ちた川の下流にある洞窟らしい
「ここは慈悲王メローテが張った結界の中よ、あやつの結界の影響で、ここには生者は入れないはずじゃが
ノアよ、一体お前はどうしてこんなところまで流されておったのだ」
俺はこの世界に召喚されてから今まであった事を簡単に説明した。
「ふむ……異世界召喚術か、この平和な世にまだそんなものを使う馬鹿者がおったとはな」
イザベラも異世界召喚はまずいような事を言っていたな。
「その異世界召喚ってそんなにまずいものなのか?」
「うむ、大抵の場合はお前のように無力な者か、大した力を持たない者が現れるのだがな
どこの世界と繋がるか分からん、中には一体でこの世界を灰にしてしまえる力を持った存在がいるかもしれぬ
そんなものを呼び出してしまった日には、この世界は滅びるしかのうなってしまうのう」
「つまり使う度に大博打みたいな魔法なのか」
「そうであるな、大昔の戦争中に開発されたのだが、使用している中で洒落にならぬ者を呼び出してしまった事があったそうじゃ
その時は天族も魔族も一時戦争を中断してまで、召喚した相手を滅ぼしたそうである
それ以来、異世界召喚は世界の禁忌となったと聞いておる」
「そりゃあ、その呼ばれた奴も災難だったな」
いきなり何の許可もなくこちらに連れてこられて、その上ろくな説明もないとなれば怒っても仕方ない事だと思う
俺は何の取り柄もない人間だったからここまで素直に流されていたが、強力な力を持っているのなら他の道を考えるだろう
例えば、手当たり次第に周りを支配して自分の居場所を作ろうとする、とか。
「妾が戦っていた頃には既に異世界召喚術の術式は失われておったと思ったのだがのう、今の人間が復活できるようなものとも思えぬが、さて」
「戦っていた?」
「うむ、妾は五〇〇年ほど前に終結した天魔戦争で、ヴァンパイア一族を率いて戦っておったのじゃ、天族とな」
天魔戦争とは、過去何度か発生している世界中を巻き込んで天族と魔族が激突した大戦争の事だ
フェリスは五〇〇年前に終結した最後の天魔戦争を魔族陣営側に属して戦ったらしい。
その際に、天族の王の一人である慈悲王メローテに敗北し、以来ずっとここに封印されていたのだそうだ。
「ずっとって、五〇〇年も?」
「うむ、退屈であったぞ」
そりゃそうだろう、俺が五〇〇年もこんなところに閉じ込められたら、間違いなく気が狂う自信がある。
「しかしフェリスがヴァンパイアねぇ」
「信じておらぬな、これを見るが良い」
フェリスは真紅の両目を見開いて俺を見ている、赤いが不気味さは感じない、透き通った綺麗な目だ。
「我が魅了を受けたからにはお主は妾の虜となる、妾の命令を無視することはできなくなるのじゃ」
「ほう、特に変わった感じはしないが、じゃあ何かやってみてくれ」
「良いぞ、それでは右腕を上げるのじゃ」
俺は左腕を上げてみる……上がった
「「・・・」」
気まずい沈黙が辺りを支配する……
「お、お主は召喚者であるから魅了が効かない事があったとしても不思議はないな!」
そうきたか。
次にフェリスは口を開けてニッと歯を見せる、すると上顎の犬歯がみるみる伸びて鋭い牙になった。
「どうじゃ、これがヴァンパイアの牙じゃぞ」
「出し入れ可能なのか」
「普段は出ていると邪魔であろう、それにヴァンパイアは人間に目の敵にされておるからな、万一の時に見つかりにくいように色々工夫をしておるのじゃ」
「俺も人間なんだが、教えて良いのか」
「!?」
しまったとばかりにショックを受けているフェリス
本当に隠す気あるのかよ……
「お、お主は召喚者だからセーフなのじゃ」
「いい加減だな」
そもそも出会った初めから思いっきりヴァンパイアだとカミングアウトしてるし、今更だろう。
まあ今ので、少なくともヴァンパイアという種族なのだろうと言うことは信じても良さそうだ。
人間の敵らしいが。
「それに、お主は妾を怖がっておらぬではないか」
「そりゃ命の恩人を怖がったらバチが当たるだろ、こんなにかわいい女の子だしな、喋り方は少し変だけど」
「!? い、今なんと言ったか?」
「え……喋り方が変」
「そこではない!」
ふう、と溜息を一つ付き、俺はフェリスに向かって左手でこいこいをする。
妾を顎で使うとは!などとブツブツ言いながらもトコトコとベッドの前に来たフェリスの頭を、ようやく動くようになった左腕でなでた。
「なっ!」
「こんなかわいい女の子で、俺を助けてくれた恩人を怖がっちゃ失礼だろう?」
「な、か……」
「嫌だったか?」
フェリスは顔を真赤にしながら、しかしその場を動かずされるがままになっている、分かりやすい。
「わ、妾の体に触れる許可を出す、普通の人間ではありえぬ栄誉だぞ、め、名誉に思うが良いぞ」
「はいはいありがたき幸せでございますお嬢様、本日もごきげんうるわしゅう」
「どうでもいい感じであしらうな!」
ひとしきり頭を撫でるとフェリスは上機嫌で自分用のソファに戻っていった。
何ともちょろい吸血鬼がいたものだ。
「マイバッハよ、ノアの分の食料を取ってくるのじゃ」
マイバッハは一礼すると、洞窟の外へと出て行った。
そういえばこの洞窟の外はどうなっているんだろう。
「ここは川の中州にある小島の洞窟じゃ、中洲全体がメローテの結界で覆われておるゆえ、妾は出ることが出来ぬ」
「俺がいたのは?」
「中洲の隅に引っかかっておったようだな、普通はそこまで入れぬはずだが
マイバッハが運んできた時は仮死状態であった為、たまたま入れたのかもしれぬ」
「今までも俺のような奴が流れてきたことはあるのか?」
「無いな、死体は流れてきた事はあるが、生きてここに来たのはお主が初めてじゃ
だが災難であるの、この結界の中で生きておるということは、結界の外に出られぬという事じゃ」
「な、なんだって!?」
そうして、それから俺とヴァンパイアの少女?フェリスとガイコツ執事のマイバッハでの生活が始まった。
とは言っても俺は体が動かないので、もっぱらフェリスの話を聞いたり、俺の世界の話をしたりしながら一日一日を過ごすことになる。
食材の確保と食事の準備はマイバッハが行っていた。
フェリスはヴァンパイアなので、人間と同じ食事は特別取る必要はないそうだ。
しかし俺の知るヴァンパイアであれば食料は血液であるはず、なのにフェリスは俺の血も他の獲物の血も飲む様子はなく
たまに俺と同じものを食べたりしているだけだった。
そうして俺がこの洞窟に来てから二週間が経過しようとしていた。
俺はなんとか一命を取り留めたものの、激流に揉まれた結果、全身の骨が砕けていたようで
フェリスによる懸命の治療もむなしく、完治には至っていなかった。
体は動くのだが、どこかを動かすたびに激痛が走るうえ、右腕は手首の手前の辺りで再生が止まっている状態だ。
「……すまぬ、妾の力が足りぬばかりに」
フェリスはこの二週間、定期的に俺に麻痺の魔法をかけていた。
そうしないと、少し体を動かしただけで強烈な激痛が俺の体に走るからだ。
目が覚めた当初は、全身が熱を持っていて痛いのやらかゆいのやら分からない状態だったが
一旦落ち着いてしまうと今度は安静状態でもお構いなしにやってくる激痛に耐えられなくなってしまう。
このままでは寝返りどころか呼吸すら困難になってしまうのだ。
魔法を実際に見たのはこれが初めてだったが、麻痺の魔法はフェリスの手がぼうっと赤く光った後に、俺に対して効果が発揮されているようだった。
かなり地味で詠唱なども無く、ゲームでよくあるような派手な光が出たりする事はない。
フェリスの話では、魔法の見た目や効果、発動までの手順などは使い手によるところが大きいので
こう光ったからこの魔法などとは一概に言えないようだ、種類によってある程度の傾向はあるそうだが。
「フェリスはよくやってくれているよ、元々ラッキーで拾った命だ……今更惜しんでも仕方ないさ」
「……すまぬ」
フェリスは落ち込み、うなだれたように木製の椅子に座っている。
しかし俺はそれほど残念には感じていなかった。
元々、石橋の上で失っていた命だという事もある。
数奇な巡り合わせでフェリスに助けられたが、たとえ全快したとしても結界があるのでここを出る事はできないらしい。
仮に出られたとしても、この世紀末ヒャッハー的な世界で俺は何日生きていけるだろうか。
どちらにせよ、今の俺は誰かの庇護から外れた時点でほぼ間違いなく詰むのだ。
それとこれはフェリスが言っていた事だが、ロシュフォーンの連中が言っていた返還の儀という帰還手段は聞いたことがないそうだ。
つまり俺を期待させて、おとなしくさせておくためのデマカセだった可能性が高い。
元の世界に戻るなんていう選択肢は初めから無かったのだ。
ロシュフォーン王家の中の何者かが……最も可能性が高いのはドロテアだが……元々何らかの理由でクラリスを殺害する必要があり
そのダシに俺を利用し、ついでに異世界召喚の生き証人である俺の抹殺を謀った。
というのがフェリスの推理だった。
そう考えるとあの身体検査も納得がいく、俺が何らかの戦闘能力を持っていないかを確かめていたのだろう。
利用して殺すにしても、戦闘能力があるならば相応の手段を考えなくてはならないからな。
現状を整理するほど八方塞がりで泣けてくるな……
とにかく今は体の回復を待って、できればここの脱出方法を考えてみたい。
俺はダメだとしてもフェリスだけでもここから出してあげたい、難しいとは思うがそれを俺の最後の仕事としよう。
そんな決意を胸に、俺はゆっくり眼を閉じた。
……様
……ア様
声が聞こえる、クラリスの夢だろうか。
今となってはクラリスとはたまに夢で会えるだけとなってしまった。
しかし夢であっても嬉しい、あんなに俺を必要としてくれた女性なんていなかったのだから。
しかし、いつまで経っても暗いままだな、夢なら早く始まってくれ。
夢の開始を今か今かと待っていると、だんだんとその声は鮮明になってきた。
と同時に、クラリスの声とは違っている事に気づく。
「(……ノア様、どうかお目を開けて下さい)」
あれ、クラリスじゃない?
俺はゆっくりと目を開けると、そこには俺の息がかかる程に顔を近づけているマイバッハがいた。
びっくりして身じろぎしそうになるが体は動かない、麻痺の魔法で全身の感覚が麻痺しているからだ。
「マイバッハ、お前喋れたのか?」
俺が声にならない声を出そうとすると、マイバッハは俺の額に骨の指を当てた。
「(お静かにノア様、魔法を使用して接触会話を行わせて頂いております
諸々の事情で私めには時間がありませんので、手短に要点のみお伝えさせて頂きます)」
どうやらガイコツが喋っている訳ではなく、魔法を使って直接脳と会話しているような感じらしい
マイバッハも魔法使えたんだな……
「(まずは我が主、フェリス様の現状をお話致します。
フェリス様はこの結界に閉じ込められて以来、マナの補給を殆ど行えておりません
フェリス様は元々強大なマナをお持ちでしたので、今まで何とか生きながらえておりましたが
この五〇〇年でほとんどが消失してしまいました
そして今、先日からのノア様の治療のため、僅かに残ったマナを使い果たそうとしております)」
「(使い果たすとどうなるんだ?)」
麻痺中で声がうまく出せないので俺も頭のなかで考えてみることにするが、こんなんで伝わるのか。
「(ヴァンパイア一族はマナが完全に消失すれば、灰となって滅びます)」
「(死ぬってことじゃないか!)」
「(然り)」
話は伝わったようだが、フェリスが死んでしまう? 何故そんな事をしてまで俺を助けるんだ。
「(フェリス様にも事情がありますれば、しかしその辺りは長くなりますので、この場では割愛させていただければと存じます
私もフェリス様のマナで使役されている身、現状ではこのような魔法を使うことでさえ主の命を縮めてしまいます故)」
「(そこまでして俺に話しかけて、何がしたいんだ)」
「(ノア様の血液を、フェリス様に譲っていただきたく、お願い申し上げます)」
何となく察しはついていたが、やはりそういう事であったようだ。
「(俺をここに連れてきたのも、フェリスに血を飲ませたかったからという事か)」
「(左様でございます)」
「(今まで動物や人間を……いや、生きてるとここに入れないんだな、死体にして持ってきたりはしなかったのか?)」
「(生物が死んでしまうと、マナは体から急速に抜けだし、拡散してしまいます
生きており、体内の血液にマナを循環させている生物ではないと駄目なのです)」
つまりマイバッハからすると、俺は五〇〇年ぶりのまともな食料だったという事だ、そりゃ逃したくはないだろうな。
「(誤解なきようにお伝えいたしますが、フェリス様はノア様の血が目当てで、ノア様を治療されているわけではございません
また、私もノア様のお命を頂戴しようと言うつもりではございません
フェリス様のマナが回復すれば、私がノア様の栄養を補う獲物を確保いたしましょう)」
「(つまり定期的にフェリスの栄養補給をしてくれという事か)」
「(言ってしまえばそういう事にございます)」
俺は少し考えるが、そうかからずに答えなど出てくる。
フェリスが死んでしまえば、俺だってそれ以上生きていられないのだ。
今この洞窟にいる、フェリス、マイバッハ、そして俺は、誰が欠けても未来が消え失せる運命共同体と言える。
そしてこのマイバッハというガイコツ、なかなかの忠義者のようだ。
わざわざ俺にこんな事を伝えなくても、俺が寝ている間に血を吸わせれば良いだけなのだから。
つまりこれは、フェリスと俺の関係をなるべく壊したくないという事なのだろう。
「(この状況で拒否する理由はない、その提案を受け入れよう)」
「(ご理解頂きありがとうございます、それではフェリス様がお目覚めになりましたら……)」
「マイバッハよ、それはもう良い」
マイバッハの話を中断する形で声が掛かる、声の主は言うまでもなくフェリスだ。
いつの時点からかは分からないが、俺達の話を聞いていたようだ。
「(しかしフェリス様……)」
マイバッハはそれに気づいていたのか、俺の額に指を置いたままフェリスと話し始める。
フェリスと話す時は触れていなくてもいいのか。
「よい、この体ではノアの治療すらまともに行えぬ、このまま行けばあと数年も持たず我が体は灰となるであろう」
「(それであれば何故、今の方法を使えば少なくとも数十年は生きながらえます、幸いノア様からも了解を頂く事ができました)」
おいまて、寿命で死ぬまでここで輸血パックしろってのか、それは流石に嫌だぞ。
「ノアは数十年は嫌だという顔をしておるぞ」
「(そ、それは、しかし他に方法が)」
フェリスは、ふぅと大きなため息をつき、諦めたように首を振る。
「こうなった以上はメローテに降る以外にあるまい」
「(それはいけません!天族に降るなど、何をされるか!)」
メローテとは天族の王の一人、慈悲王メローテの事だ、五〇〇年前にフェリスをここに封印した張本人でもある。
フェリスを封印した後も数十年ごとくらいでこの洞窟に顔を出し、ヴァンパイア化の治療と天族への蔵変えを勧めているのだとか。
「(あの女はフェリス様の強大な戦闘能力を自分のものとしたいだけです、どうかお考え直しを)」
「だとしてもだ、このままではどうにもならぬ
妾だけならこのまま朽ちても良かったが、今はノアがおるのでな、見捨てる訳にもゆかぬ」
フェリスは俺のことをどうにかしようと考えてくれているらしい。
魔族が天族に下るというのがどのくらい屈辱的な事なのか、俺には分からない。
だが、五〇〇年間誘いを断りこの状況に耐えてきたくらいだ、相当に耐え難い事なのだろうとは思う。
「懸念があるとすれば、メローテがノアまで受け入れるとは限らぬ事か
だがここから出ることさえできれば、ノアを眷属として生き永らえさせることも不可能ではない、このままでは皆共倒れは必至であるからな」
長い沈黙の後、マイバッハはフェリスに頭を垂れる。
「(フェリス様……分かりました、全ては主のお心のままに)」
眷属になるとはつまりヴァンパイア化するという事だが、ヴァンパイアになるとどうなるか、以前フェリスに聞いた内容を思い出した。
特徴としては、身体能力が飛躍的に伸び、ある程度の肉体欠損を瞬く間に回復させる超回復能力を得られる
寿命もほぼ無くなり、長い時間を生きることが可能だ。
反面、特定の魔法や金属に過剰に反応するようになり、体を維持するためにマナが不可欠となる
食事は普通の人間の取るもの以上にマナを含んだものでなくてはならず
その条件を満たす食材の中で最も手軽で効率のよいものが、マナを多く含んだ生物の血液という訳だ。
少し考えた程度では、虚弱体質な上に全身大怪我中の現在よりも不利になることはなさそうだ。
何より戦闘能力が上がるのであれば、ロシュフォーンのクソ共に復讐することも可能になるかもしれない。
しかし……
「フェリス、俺の体が動くようになるまで回復させるにはあとどの程度のマナが必要なんだ?」
「動けるようにするだけなら、さほどの量は必要ない」
「俺の血でマナを補充して俺を動けるようにしてくれ、とりあえず動けるようになってここを出る方法を探りたい
降参するのはそれからでもいいだろう」
「妾は五〇〇年の間、ここを出ようとあらゆることを試してきたのだぞ」
「それは分かってる、だが俺はここに入れたんだ、フェリスは仮死状態だったからと言っていたが本当にそうか?
結界ってやつの原理は分からないが、五〇〇年もどうにもならなかったものが、なんか死にそうだからで通れるものなのか?」
「それは……分からぬ」
「なら俺はそこを調べたい、たとえ無駄足になったとしてもな、諦めるのはそれからでも遅くない」
体が動かず、ベッドに張り付いたままなのでキリッとしたことを言っても微妙に様にならないが、俺として恩人であるフェリスを敵に身売りなんてさせたくない。
フェリスのマナが足らないなら血液タンクになってもいい、俺は俺が納得できるまでその結界とやらを調べたかった。
「……分かった、そこまで言うのであればやってみようではないか」
俺の希望を察したのか大きく頷くと、フェリスは俺の隣に立ち、全身を確認する。
「噛まれたら俺もヴァンパイアになるのか?」
怖くなったわけではないが、物語ではそういうのがお約束だったはずだ、念のために聞いてみることにする。
「眷属とするには特別な儀式が必要じゃ、簡易的な屍兵を作るのであれば牙だけでも良いがのう、どちらにせよ妾が望まねばそうはならぬ
なんじゃ、怖気づいたのか?」
「いやそういう訳じゃない、ヴァンパイアに噛まれるとヴァンパイアになるという話をよく聞いたから、どうなのかと思っただけだよ」
「戦争中は屍兵を量産しておったからな、そういった場面を見てそのような認識が広がったのだろうよ
あとは天族の情報操作の影響もあろうな」
俺は自分の世界のヴァンパイアのお約束を聞いたつもりだったが、どうやらこちらの世界でも同じようなお約束があるらしい。
しかし情報操作か、確かに城で見た本の中には天族の功績について書かれたものや天族賛美の本が多かったな。
対して魔族に肯定的な著書は殆ど無かった。
フェリスは魔族側だったと言っていたが、彼女を見ていると魔族が血も涙もない極悪人の集団だったとは思えない。
勝者の都合で作られるのが歴史の常だが、恐らくはそういう事なのだろう、後で機会があったら聞いてみよう。
そんな事を考えていると、俺の体をまじまじと見つめていたフェリスが困ったような声を上げた。
「まさかとは思ったが、どうもお主の体にはマナが流れておらぬようじゃぞ」
え……マナが無い?確かに俺のいた世界にマナなんて存在しなかったが
と、いうことは
「うむ、血を吸っても意味がないのう」
このような体は初めてじゃのと困った様子で俺の体をペタペタ触っているフェリス。
魂が抜けたような顔で呆然としているマイバッハ。
そして、先程かっこいいことを言った手前、今更天族に降参しましょうとも言えない俺は
次に言うべきセリフを考えながら固まっていた。