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第九話 王都が揺れる日

……どうしてこうなった。


俺はコリーン村のノトスの家で、家族会議のど真ん中にいる。

議題は当然決まっている。


「婚約して一ヶ月程度で浮気ってどういう事なんですかノアさん」


「……すいません」


俺とクラリスは揃って正座して、ノトス家の面々に囲まれている。

今の俺は誰が見ても情けない顔をしているだろう。


「そりゃあね、クラリス様はとってもお綺麗ですので、私みたいなちんちくりんじゃ勝負にならないけど!」


ユミナは先程から怒り心頭といった様子で手にしたおたまを掌に打ち付けてパンパンしている。

どこかの大佐みたいだ。


「おしおきが必要だね、ノアさん」


手にしたおたまがベキッという音とともに折れ、ユミナが邪悪な笑みを浮かべる。


「クラリス様より先に、私と赤ちゃんつくってもらいますからね!」


「ちょ、お前……月のモノがまだなんじゃないのかよ」


「そうだよ、だからそれまでは、クラリス様とは無し!」


「な!」


俺はクラリスに助けを求めるが、クラリスはいつものように優しげな笑みを浮かべているだけだ。




「なんだって!?」


石造りの天井が見える

自分が眠りから覚めたことを実感する、ここはクラリスの部屋だ、辺りはまだ薄暗い。


「ゆ、夢か!?」


冗談にしても大概である、そう暑い訳でもないのに俺の体は汗だらけになっていた。

ふと横を見ると、クラリスが昨日俺が寝た時とと同じ体勢でこちらを見ている。


「なんだ、クラリス起きてたのか」


クラリスは何も言わずにじっとこちらを見つめている。


「……クラリス?」


若干顔色が悪いような気がする……しかしそれ以上に何かがおかしい。


「クラリス、大丈夫か?」


俺はクラリスの頬に手を添え、そして背筋が凍る。

いつものあたたかいクラリスではなく、冷え切った何かの感触が掌に伝わったからだ。

俺が撫でたせいか、ころん、と目を開けた状態のまま、クラリスの顔が天井を向く。

そこにクラリスの意志のようなものは欠片も感じられなかった。

恐る恐る体の方に目をやる、厚い布でできた毛布に赤いシミのようなものが浮かんでいる。

俺はクラリスの被っていた毛布をめくってみる。


まず目に飛び込んだのは一面の赤

クラリスの首には一文字に斬られた跡があり、そこから流れ出た血がベッドを赤く染めていた。

クラリスは……目を見開いたまま絶命していた。


「え……え……?」


理解が追いつかない

無数の何故? が頭を埋め尽くすが、それに対する有効な答えが全く出てこない。

間もなく俺の思考はパンクし、何もできずにそこに佇むだけとなる。


どれくらいそうしていただろうか、不意に部屋の扉がノックされる。

俺はびっくりして心臓が止まりそうになる。

クラリスの部屋でクラリスが死んでいて、俺がいるというこの状況

こんなところを人に見られたら……まず間違いなく俺が犯人になってしまうだろう。


「クラリス、入りますよ」


カサンドラかメイドか、カサンドラなら事情を話せば何とかなるかもしれない。

ここを切り抜けたところで全く先の展望など無いが。

そう考えていたところ、入ってきたのは全く予想外の人物だった。


「……ノア様?」


「ドロテア……様?」


何故このタイミングでドロテアなのか、俺の思考はまたしても停止してしまう。


ドロテアは部屋を見渡し、血だらけで倒れているクラリスを発見する。

ひっと短い悲鳴を上げた跡、ドロテアは後ずさった。


そこまできて俺はようやく自分の取るべき行動を選択していた。


「ドロテア様、待って、待ってください、俺じゃない、俺はやってないんです」


正直に話す、今の俺にはこれ以上の手など打てない。

第三者が見たらどう考えても殺したのは俺だ、そんな状態でトリッキーな弁解なんかしても意味が無い。

ありのままを話す以外にない。


「見て、ドロテア様、見てください、首を……斬られている、俺は刃物なんて持っていません」


無理か……どう考えてもドロテアがここで足を止める理由が無い

このまま衛兵を呼ばれて終わる、当然の流れを俺は予想していた。


「……血が付いていませんね」


「え?」


「返り血が付いていません、首を斬られていると言いましたね、ノア様がされたのであれば、返り血くらい付くでしょう」


予想に反してドロテアが何か考え込んでいる……これはどういう事だ?


「ノア様、何故裸なのですか」


「こ、これは……」


ここで隠してもどうにもならない、俺は昨晩あった事をありのままドロテアに話した。

その話を聞き、ドロテアは短く考えた後切り出す。


「行為に関しては今は置いておくといて、そうであれば尚更ノア様が血を浴びていない状態が不自然ですね」


「分かってくれるのか!?」


期待はしていなかったが、ドロテアが思った以上に冷静に状況を分析している


「切り口も鋭利です、ノア様は戦闘の経験は無かったと思いますが」


「もちろん無いよ」


「であるならば……熟達した手の者の可能性が高いですね」


自分の実の妹の死体を冷静に観察するドロテアの姿は、普段であれば奇妙に写ったかもしれないが

藁にもすがりたかった俺にとってはまさに救いの女神に見えていた。


「詳しい検分をする必要がありますが……どちらにしても今ノア様に嫌疑がかかれば覆すのは不可能でしょう」


絶望的な宣告をされてしまう、そりゃそうだ

いるかどうかも分からない真犯人を探すよりも、俺をこの場で逮捕するほうがよほど現実的なのだから。


「王族殺しは例外なく一族皆殺しです、ノア様、まずはここから離れる事を第一として下さい」


「……え、で、でも……いいのか?」


予想外に救いがある展開に思わず聞き返してしまう。


「ノア様に無実の罪を着せたとあっては、妹も浮かばれないでしょう、検分に関しては私が手を回します、ノア様は一刻も早く城を出て下さい」


城を出るという行為が良いのか悪いのか俺には判断できなかったが

ここまで協力的なドロテアの提案を断るという選択は俺にはなかった。


「これをお持ち下さい、王家の短剣です、逃走中に衛兵などに止められた場合、これを見せれば大丈夫です、決して慌てず、普段通りに行動して下さい」


「分かりました」


そう言って俺はドロテアから短剣を受け取った。

豪華な装飾が施してある短剣で、身分証明の代わりになるそうだ。


「野外晩餐会の会場はご存知ですね?あそこの石橋を渡って道なりに二キロメートルほど歩いた先に駅馬車の待機所があります。

私も後で行きますので、まずはそこで落ちあいましょう」


手早く逃走経路の手配までしてくれる

ドロテアとはほとんど話したことは無かったが、こんなにも協力的だとは意外だった。

妹の無念を晴らしたいという事だろうか、今の俺にとっては救いの神にも等しい。


「ドロテア様……ありがとうございます」


「妹の想い人様に濡れ衣を着せるわけには参りませんので、さあ、早く」


ドロテアに促され、俺は自分の使っていた部屋に戻ると、自分の持ち物……ジーンズとTシャツと短剣だけだが

それを素早く身に付けると、できるだけ何食わぬ顔で以前通った使用人口から外に出た。

幸いな事に誰にも見咎められる事なく、城の外に抜けることができた。




以前、クラリスとカサンドラでピクニックに言った時に通った道を歩く

しばらく一人で歩いていると、皆で遊んだ思い出と、今朝冷たくなっていたクラリスの顔が浮かんできて涙が溢れてきた。

何がどうなっているのか全く分からない、もちろん俺が殺す理由なんてない

守ると決めた女性を……たった一晩でその誓いは破られてしまったのだ。

まだ俺の体には彼女を抱いた感覚が残っている、そんな彼女、クラリスはもういない。


「そんな事があっていいのかよ……」


意味の分からない苛立ちと悲しみと無力感、そういったものがごちゃまぜになって頭の中を回っている。

とにかく今出来ることは、ドロテアに従ってここを離れることだ。

そう自分に言い聞かせ俺は駅馬車の待合所を目指して歩く。




三〇分ほど歩いたところで、以前ピクニックに来た野外晩餐会の会場が見えてくる。

そういえばクラリスは帰り際に石橋を眺めていた

見えるはずのないものを、どういう思いで見ていたのだろうか。


石橋の上に乗ると、その下を流れるフルーレ川がよく見える。

連日の嵐のせいで、以前来た時よりも大幅に増水しており、川の水は濁っていた。


そのまま渡りきろうとしたところで、ふと俺は足を止める。


昨日の晩、クラリスは何と言っていたか。


(ノア様は、これからとても大変な道を歩まなければなりません)


(ですが決して諦めないで下さい何が起きたとしても、決して希望を捨てずに、前に進んで下さい)


これは俺が城を去った後、困難に負けずに頑張ってくれと言う励ましの言葉かと思ったが。


(そしていつの日か私を、そして貴方様の小さな婚約者の方を、救ってあげて下さいませ)


そうするとこの内容は少しおかしい、クラリスのことは城の外へ連れ出すという夢物語を現実にしてくれとも取れるが

小さな婚約者を救うというのはどういう事だろう。また、何故そんな良くわからない話をしたのだろう。


「いたぞ!ノアだ!」


そこまで考えたところで、複数の怒号によって俺の思考は現実に引き戻された。

声のした方を見ると、城の方から複数の兵士がこちらに迫ってくる。

俺は急いで橋を渡ろうとするが、進もうとしていた方向からも複数の兵士が迫っていた。


数分後、俺は石橋の上で複数の兵士に囲まれていた。


「クラリス様の家庭教師ノアよ、お前を王族殺害の現行犯で捕縛する!」


「ち、ちょっと待てよ!俺はやってない!」


「既に証拠は上がっている!言い逃れはできんぞ!」


一人の兵士が俺の前に出てくる。


「こ、これを見てくれ、通行証だ」


そう言って俺はドロテアから預かった短剣を見せた。

兵士はそれを手に取ると、鞘から刀身を抜き放ち確認する。

刀身には赤い血がべったりと付いていた……


「それは凶器よ、確保しておいて」


「ハッ」


聞き覚えのある声がして、一人の女が兵士の間から出てくる。

それは先ほど俺に逃走を指示したドロテアだった。


「ドロテア様……なんで……」


「貴様、不敬であるぞ」


兵士の一人が俺の腕を捻り上げる、容赦のない扱いで、腕がミシミシ言っている


「痛い、痛い痛い!やめろよ畜生!」


「その男がクラリスの部屋から逃走するのを見たわ、クラリスは裸だった、その男が犯した後、殺したのね」


ドロテアは先ほどとは全く違った証言を兵士に行っている。


「ドロテア!どういう事だ、さっきは!」


「意味のわからないことを喚いても貴方の罪は覆らないわ」


混乱する頭で考える……いや、もう分かっていたはずだった、ただ認めたくないだけだった。

俺はハメられたのだ、クラリスを殺したのはドロテア、実行犯はそうでなくても関与していることは確実だ

そしてその犯人役として俺が生け贄にされた。

わざわざ一度逃がしたのは、この大捕り物を演出して俺の犯人像を確実なものにしたかったのだろう。

もしかしたら実行犯はまだ近くにいて、それを逃がすための時間稼ぎの茶番なのかもしれない。


城の中で王族が証拠とともに犯人を指定すれば、恐らくそれはもう覆らない。

近代的な捜査など望めないから、立場が上の人間が見たといえばそれが真実になるだろう。

何故ドロテアがクラリスを殺さなくてはならなかったのか、そこまでは分からない。

だが、この悪びれた様子もないところを見ると、ろくな理由では無いことは容易に想像できる。


「てめえ、自分の実の妹を!それでも人間か!」


俺の叫びにドロテアは顔をひきつらせるが何も話すことなく後ろを向いてしまった。

俺の腕を取っていた兵士は、俺が暴れるとますますきつく腕を捻り上げる。

激しい痛みに、気を失いそうになる。


「お前ら、お前ら騙されてるんだぞ!それでいいのか!」


無駄と思いつつ兵士に呼びかけるが、兵士たちは薄気味悪い笑みを浮かべているだけだ。

俺が弱すぎるので侮っているのだろう……いや、もしかして


「お前らもグルかよ! お前ら! いい大人がよってたかって、あんな良い娘を!」


「うるせえよ雑魚が、お前が何の力もない事は分かってるんだよ」


一人の兵士が俺の前に出てきて頬を殴り飛ばす、間違いない、こいつらも全て分かった上で従っているんだ。

怒りで目の前が真っ白になる、こんな外道共にいいようにされて、何もできずに処刑されるのか……


「やってられるかよおおおおおおおおおおおお!」


押さえられている腕を強引に曲げる

ゴリゴリという嫌な感覚と共に、激しい痛みが襲いかかってくるが、腕はがっちり掴まれているため振りほどけ無い

俺は痛みを紛らわすためにメチャクチャな咆哮を上げながら振り返り、腕を掴んでいる兵士の首に噛み付いた。


「ぎゃあっ!」


噛みつかれた兵士は激しく体を振り、俺を振るい放す。

ブチブチッっという感触と共に、兵士の皮膚が剥がれて鮮血が舞った。

俺を拘束していた兵士が怯んだ隙きに拘束を振りほどき、距離を取る。


「こいつ噛みつきやがった!」


「なんだよ情けねえな、こんな素人によ」


俺の頬を張った兵士が剣を抜き、ドロテアの方にちらりと振り返る。


「ドロテア様」


「……死体でも構わないわ」


「だそうだ」


脅している……いや、必要ならば本当にやるつもりだろう。


「何だよロイ、丸腰相手に剣なんか使うのかよ」


後ろから茶々が入る、そうか、こいつロイっていうのか、どうでもいいが。


「実践訓練だよ」


横を向いて余裕を見せているロイに俺は飛びかかる、が

ロイは横を向いたまま剣を振り上げる、同時に右腕に鈍い痛みが走る

痛みが走った場所を見ると、そこには俺の右腕は無く、肘から先が斬られ地面に落ちていた。


「うぐっああああああ!!」


痛いところにさらに痛みが加算された感じだ、痛いというより熱い、斬られた部分が大きく脈打っているような感覚になる。

だがここでのたうち回ったところで仕方ない、どちらにしろ右腕は使い物にならなくなっていたし、間もなく俺は殺されるのだから。

ここまで馬鹿にされて、コケにされて、大切な人を殺されて、こんな下衆どもに!

俺はともすれば絶望と痛みで動けなくなってしまうところを、怒りと殺意と叫びでごまかす。


「命乞いなんかしてたまるか!」


俺は再びロイに飛びかかる、ロイはめんどくせえといった顔で剣を横薙ぎに振り払った

恐らく首だ、そう当たりを付けて俺はザインにもらった短剣を抜き、顔の側面をガードした。

別に外れても構わない、即死しなければいい、最後に一振りするだけの力が残れば。

ギインという金属音と共に、短剣を握る手に衝撃が走る。

適当に振ったのであろうロイの剣は、そのまま短剣を押し切ることもできず俺の出した短剣によって頭上へ逸れていった。


「は?」


という間抜けな顔をしているロイの首筋に、俺は躊躇いなく短剣を突き立てる。

ズゾっという嫌な感覚と共に短剣が首にめり込んでいった。


「うぎゃあああああ」


ロイは反射的に俺に蹴りを入れそのまま後退して情けない叫び声をあげていた。


「へ、ざまあ」


とはいえ俺ももうボロボロだ、怒りで忘れていた体の痛みは、一矢報いたという達成感と共に戻りつつあった。

想像を絶する痛みというやつだろう、目の前がグラグラする、痛すぎて呼吸も満足にできない程だ。

ロイに蹴られた反動で、よろよろと石橋の欄干に背中を付く。


「何を遊んでいるの、早く捕まえるなり殺すなりしなさい」


後ろからドロテアの焦れた声が聞こえる

数名の兵士が剣を抜いてこちらに近寄ってくるのが見えた。

被疑者死亡でめでたしめでたしってか。


「そうはいかねえよ、俺の右腕でもしゃぶってろクソ共」


俺は最後の力を振り絞って地面を蹴り上げる

一瞬の浮遊感の後、俺の体は濁流の中に落ちていった。


「おい 落ちたぞ!探せ!」

「こんな流れじゃ助かりませんよ」

「馬鹿!死体も無しじゃまずいんだよ!」


水の中に沈む前にそんな声が降ってくるのが聞こえる。

予定通りにいかなくて残念だったな、ざまあみろ。


ザバッという音と共に俺の体が増水した川の流れの中に沈んでいく。

冷たい水が、痛めつけられて火照った体を休息に冷やしていく、だいぶ苦しいが、それほど長くは続かないだろう、どちらにしろもう体は動かない。

間違いなくこれから死ぬというのに、俺は思ったほど恐怖というものを感じていなかった。

死ぬ前にやってやった、そんなある種の達成感が胸に溢れていた。


クラリス待ってろよ、もうすぐそっちに行くぞ。

あの世なんてものがあるのか分からないが、向こうで会えたなら王国兵士と戦った話を肴に思いっきり甘えよう。


そんな事を最後に考えた後、俺の意識は急速に闇に呑まれていった。


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