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怖い噺

オリンピックの顔と顔

作者: 齋藤 一明

「画面変わりまして、体操競技をお伝えいたします。日本のお家芸でもあります体操競技ですが、今回は必ず金メダルを持ち帰る意気込みで国内合宿をしたそうです。総監督によりますと、男女ともに最強無比というべき秘策があるそうですが、さあ、いったいどんな技で私たちを驚かせてくれるのでしょうか。解説に元金メダリストの北村さんに……」


 今日は体操競技があるということなのでずいぶん早めに出社して、こうして寛いでテレビ観戦をしている。自分にとって興味のないゴルフやテニスの中継のために飲み物を準備している矢先に競技場面が切り替わった。時刻は午前七時半。同僚が出勤してくるまで一時間ほど余裕があるはずだった。


「なかなかの接戦が繰り広げられている体操団体。日本は残すところこの床だけとなりました。日本の三位以内はほぼ確定と思われますが、一位から四位までの得点差が二点ということで余談を赦さない展開になっております。とはいえ、これだけの僅差ということになりますと、日本の団体金メダルも十分に射程距離ということになります。封印してきた秘策をどういった形で披露するのでしょうか、小林選手。目を閉じて心を落ち着けております」

 上下とも純白のウェアに身を包んだ選手がスタート位置に静止していた。小柄な日本人の中でも、更に小柄な選手のはずだが、こうしてテレビに映ると堂々とした体格に見える。

 選手が瞑目したまま、俯けていた顔をゆっくりと正面に向けた。国際大会を何度も経験している選手にとっても、オリンピックという大舞台の、しかも自分の演技が雌雄を決するとなれば緊張はどれほどのものだろう。自分には到底理解できないのだが、選手の蒼白な顔色が痛々しい。

 選手かクワッと目を開けた。やはり重圧で満足に休めていないのだろう、目の下にくっきりとクマが浮き出ている。にもかかわらず、選手は満面の笑みを浮かべている。


 クルリクルリと選手が宙を舞う。演技ではなく、舞いのようだ。技が決まるたびに十分な静止をし、俺が技を決めたのだとアピールしている。外国選手は、制限時間内で少しでも多くの技を繰り出そうとしているのに、この選手はひたすら見栄えを強調しているようだ。タメとミエというのだろうか。当然繰り出す技が減ることにはなるのだが、F難度を中心に、G難度をいくつも組み入れているのだからかまわないのだろうか。そして、どの技が決まるときにも目を見開いて、赤い唇をほころばせた。

 そういえば、これだけ演技が続けば血圧も上がるだろうに、顔色は蒼白なままだ。そして、唇は濡れたように光っている。まさか、俺は厭な胸騒ぎをおぼえた。

 選手は化粧をしている…… もしかして、そういう性癖なのだろうか。しかし、技はピタッと決まっていた。


「さあ、いよいよフィニッシュですが、どんな技をみせてくれますやら。これまでのところ、完璧な演技が続いておりますが、おっと小林選手、助走一歩で伸身宙返り一回ひねりをみせ、フィニッシュは……、なんと、白井で見事な着地をみせました。トンと床に下ろした足が微動だにせず、やや前屈みになってビクとも動きません。そして……、立った、立ちました。小林選手、素晴らしい演技を見せてくれました」


 会場は沸いた。わきに沸いた。そして事務所も沸いた。どの選手より完璧な演技だと俺は思う。これなら少しくらいの得点差を跳ね返して、十分に金を狙えると思った。


「さて、小林選手の得点が出ます。……十六・二五! やりました! 小林選手、十六・二五です。あっ、監督が立ち上がりました。主審席に向かっていますが……、どうやら抗議のようです。素晴らしい得点ですが、どうやら納得がいかないようです。北村さん、どうご覧になりますか?」

「はい。床運動もそうですが、体操競技は事前に技を申告するようになっています。それを見ますと、I難度の技が組み込まれているのですが、それを評価されていないということではないでしょうか?」

 北村自身、小林の完璧な演技に魅了され、十分に満足しているようで、I難度というところで一瞬だが口ごもった。


「I難度といいますと?」

「最後の白井を始める前に前方宙返りをしましたが、それをI難度と申告されていますね」

「あれですか? あれはただの宙返りに見えましたが。わざわざ組み込む意味があるのかと思いましたが」

「私もそう思います。ですが、前方伸身宙返り一回ヒネリ、一回捻りと申告されていますね」

「一回ヒネリ、一回捻りですか。どういうことなのでしょう、ちょっと理解できないのですが……。では、VTRの準備ができましたので、その場面をもう一度見ることにいたしましょう」


 一度の再生では意味を理解することができず、二度、三度と再生され、その間に別角度からの映像も再生された。

「あっ」

 小さく悲鳴を上げたのは北村だった。

「どうでした、さすがに元金メダリストですね、北村さん。どこが違うのか解説していただけませんか」

「解説ですか? き、きっと勘違いでしょうから」

 ほっとした司会者とは対照的に、北村の口は重くなった。


「北村さん、お願いしますよ。解説者がそんなでは困りますよ」

 放送現場も混乱していたことが、漏れてきた声で十分に伝わった。事情を知らない司会者が北村をなじっている声が筒抜けになってしまったのだ。

「ねえ北村さん、あんた、仕事を放り出して恥ずかしくないのですか? 使えないひとだなぁ、まったく。解説者として食っていけなくなりますよ、あんた。いいの?」

「だ、だけど……」

「わかりましたよ。ただし、前払いした報酬と、渡航費を返してもらいますからね」

 そこまで酷く言われては、北村も従う意外に方法がない。


「実は……、小林選手が、カメラに顔を向けているのです」

「それは、小林選手の表情を追っているカメ……」

「そうじゃなくて! 体をヒネっている間、ずっと同じ方向に顔を向けています」


 衝撃的な発言だった。何を莫迦なと思いながら再生される場面を見てみると、確かに顔の向きはまったく変わらない。にもかかわらず、体は一回転している。

 事務所の中が静かになった。そしてテレビも声を出さなくなった。審判席でモニターを指差して説明する監督の姿を写すだけだった。


 やがて十六・二五と表示されていたパネルがさっと消え、十八・八五と表示された。

 会場は沸いた。かつてない高得点の出現に沸きかえった。

 男子団体は見事に金メダルを勝ち取り、女子もそれに続いて体操ニッポンの名をとどろかせたのである。


 今回の技が正式にI難度に認定された翌日、女子がJ難度の認定を受けたのである。

 フィニッシュで着地する瞬間に捻りを加え、白目を剥いて立ち上がったのだった。




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