prologue
仕事の合間にスマホでぽちぽち。
そこは、薄暗い部屋の中。
シン、と静まり返る室内で、カタカタと鳴り響く唯一の音源が一つ。
雨戸を閉じて、心も閉じて、開け放てばさんさんとした太陽がお目見えすることだろう。
時刻は昼過ぎ、世界が漆黒に染まるのを、かろうじて防いでいる光源である液晶画面、その対面。
もぞもぞと動きながら、キーボードをタイプしている脂肪過多の男が俺こと相良和也。
自らの城の立地は神奈川県。
金なし、彼女なし、一人しかいない友人は北海道在住。
デブで、ブサイクで、ニートという三種の神器を引っさげて、年の頃は三十二歳。
もはや手遅れ。一片の隙もなし。
『マスター。前方に敵影あり、迎撃に入ります』
「ふひっ、わかったよリリコットたん」
あえて言うなら、液晶が友人で、画面の中が恋人だ。
いつ見ても変わらない魅力と美貌をもつ二次元の女の子たちに、飛びつきたい衝動に駆られる大きな子供は多いはずだ。
残念ながら、越えられない大きな壁が障害となり、接触を試みても、得られる感触はヒンヤリとした冷たい液晶の温度と、硬くて切ない感じだけではあるが。
『殲滅完了。次のレベルアップまでの経験値は残り2900EXPです』
「うふ、あと少しでレベルアップだねリリコットたん」
そんな、一般人ならドン引きする独り言をぶつぶつと口ずさみながら、俺はマウスを高速で操作する。
まるで手足のように自由自在に動かせる我が相棒は、もう十年来の付き合いになる。
愛着が芽生えると、無機質なマウスでさえもはや愛らしい。
なお、独り言が多いのはニートの仕様だ。
いや、嗜みと言ってもいい。
人と接する機会の少ない我々ニートは、喋る訓練を日頃からおこなっていなければ、いざ現場に直面した時に、口が動かないというコミュニケーション健忘症を患ってしまうのだ。
まぁ、訓練の成果で口がなめらかに動いても、表情筋は気持ち悪い方向にしか動かないのはご愛嬌。
『〖クロノス・スタッフ〗を獲得しました。やりましたね、マスター』
「うっは! 激レアじゃん!」
さて、激レアを叩き出したところで、そろそろ俺が先ほどからやり込んでるものを紹介しようと思う。
『ドラッヘハント・オンライン』
ドラッヘ=龍、ハント=狩りの、つまりは龍狩りにいこうぜ! なオンゲーだ。
通称ドラハン。名前も単純、内容も単純、略式名称も単純。
だが、俺はそんなドラハンをこよなく愛している。
もし擬人化したら結婚する覚悟も辞さない。
このゲームの世界には七人の英雄がいて、七つの欲を司る龍王とその眷属、そして世界の狭間から侵略してくる魔の者たちに対して、エルフやヒューマン、ドワーフからフェアリーまでと多岐に渡る種族のプレイヤーと英雄が協力して、世界を平和へと導いていく。
というのがメインクエストになる。
もっとも、皆さんメインそっちのけで眷属狩りまくっているが。
俺もメイン? 何それ食べれるの? な一人で、現在は使い魔であるリリコットを連れて、怪しく紫色に輝く槍をぶん回している。
ちなみにソロだ。
というのも、パーティーの方が経験値効率がいい場合は多人数狩りに参加するが、俺クラスの高レベルキャラクターになると、ソロの方が効率が高いのだ。
リリコットたんの魔法による援護も、ダメージソースに貢献している。
年々増えつつある傾向の若者による効率重視は、おっさんな俺にも適用される。
そんなおっさんが一人くらいいてもいいと思います。
ドラハンは、冒険者ギルド、魔術学園、王宮騎士団の三つの勢力のうち、いずれか一つにプレイヤーたちが所属し、依頼を受けて狩りをする。
ゆえに、メインを無視すればただそれだけのゲームだ。
雑魚を狩ってレベルを上げるだけ、ただそれだけ。
それでも俺は何度でも言おう、ドラハンを愛していると。
なぜならリリコットたんがいるからだ。
『〖アフロディーテの法衣〗を獲得しました。やりましたね、マスター』
「うぉ、また激レア! 今日はドロ運いいなぁ」
使い魔リリコット。
使い魔というのは各キャラクターが所持するお助けキャラクターで、猫や犬、熊、虎、兎と様々な種類が存在する。
でも、種族が猫や虎ってわけではなくて、使い魔という種族なのだ。
ドラハンの世界とは別の世界で使い魔として生まれ、プレイヤーたちに召喚されるのを待ち望んでいる設定。
いまかいまかとそわそわしてる可愛い動物たちがわさわさといる世界。
もしいけるならば、さぞ癒やされることだろう。
そして、リリコットは元となる形態が猫で、気が遠くなるほど長い時間召喚されなかった猫が、突然変異で人型となった。
黒毛の猫耳と同色のしっぽをピクピク動かし、ドラハンで唯一の人型使い魔。
さらに幼女。
猫耳幼女だ。
恋ではない、愛なのだ。
『〖ボディーチェンジチケット〗を獲得しました。やりましたね、マスター』
「ん? なんだこれ? あとで確認しよう」
リリコットの特徴は他にもある。
通常の使い魔は喋らないが、リリコットは喋るのだ。
ログとして残るだけの文字を、吹き出しという形で喋ってくれる。
もちろん、VRなんて空想上の夢物語は現実世界にはないので、音声はないわけだが。
できるならプリティーな声を聞かせて欲しい、切実に。
もっとも、特別だらけのリリコットが無料なぞありえない。
オンラインゲームでは、運営が銭を稼ぐために巧妙に罠を張り巡らせる。
武器強化補助、経験値増加、転移ポータル、プライベートダンジョン入場券、戦闘フィールド移動速度増加、プレミアムアバターなど、あの手この手で有料アイテムを配置し、銭を搾り取ろうとしてくるのだ。
この罠にかかって人生を棒に振る常識人が後を絶たない。南無。
かくいう俺も、ガチャガチャという名の罠に、さながら蟻地獄を踏み抜いたコオロギのごとく引っかかった。
リリコットがどうしても欲しかった俺は、全財産をはたいてガチャガチャを回した。
くる日もくる日も回し続け、ねんがんのようじょをてにいれたぞ。
総額四十万である。
痛い出費だった。
エロゲやオフゲのハードなどが根こそぎゲーム屋に巣立ったが、後悔はない。
ないったらない。
『MPポーション(中)の残数は10です』
「ん。露店も見て回りたいし……そろそろ帰還するか」
回復系アイテムが残り少なくなったら申告してくれるリリコットたんマジ良妻。
帰還を決めた俺は欠伸を一つして、どんよりとした我が城の中でダブルクリックを連打した。
「ほい帰還! さて、売却売却ぅ!」
狩りから戻ったらNPCの店でいらないものを処分する。
これはオンゲーの基本なのだが、これを疎かにすると、レアアイテムまで誤って売却してしまう危険性を孕んでいる。
目標をセンターに入れてクリックだ。
『太陽草マナリーフを売却しました』
『アクアリザードの鱗を売却しました』
『アクアリザードの骨を売却しました』
『ファランクスパイクを売却しました』
『プティフルーツを売却しました』
『リドルクリスタルを売却しました』
『アタランテのピアスを売却しました』
『オデッセイ・ダガーを売却しました』
『アコニットの涙を売却しました』
『ザントワイバーンの翼を売却しました』
『ダインドラゴンの爪を売却しました 』
『アトラスデモンの魔眼を売却しました』
『雷槍エレクトロンを売却しました』
『スケルトンソーサラーの魔導書を売却しました』
『ゴブリンメイジの髭を売却しました』
『オークウィザードの大杖を売却しました』
そして、次々と廃棄物を処理していると、見慣れないものを売りそうになった。
危ない危ない、危険が危ない。
これがあるから油断できない。
『ボディーチェンジチケットを売却しますか?』
「そういやあったなこんなの。どれどれ」
アプデで新アイテム追加通知なんてなかったと記憶している。
よって、おそらくは今までに発見されていなかったか、複雑な条件が絡み合ったクエストフラグアイテムだと思われる。
とりあえず俺は『いいえ』を選択して、詳細を確認することにした。
『〖ボディーチェンジチケット〗
君も今日から使い魔だ!
夢の異世界ライフが君を待っているぞ!』
「…………なんだこれ? やっぱフラグアイテムか?」
意味不明だが、イベントかクエストのキーアイテムだとあたりをつけ、使ってみることにした。
それにしても酷い説明だ、手抜きすぎだろう運営さんよ。
「ぽちっとな………………は?」
『使用』をクリックした瞬間、世界が反転した。
いくら薄暗い部屋でも、何がどこにあるかくらいはわかる。
だが今はどうだ? 天井が下で床が上、右を見ても左を見ても全てが真逆だ。
かといって、重力の赴くままに落下するはずのものは微動だにしない。
「なななな、なななんだよこれ!」
パニックのあまり滑舌がどもる。
全身から噴き出す冷や汗がとまらない。
瞼が大きく開き、視線は泳ぎまくっている。
この異常な状況で、自分だけが正常。
もうこの感覚が正しいのかどうかもわからない。
いやまて、あった。
反転せずに稼働しているもの。
「ドラハン……」
確認した途端に意識が遠のいていく。
視界が霞む。
瞼が落ちてきた。
最後に瞳に収めたドラハンでは、リリコットが俺を見つめていた。
リリコットがニヤリと笑った気がした。
のんびり頑張ります。