違う世界の彼女
並行世界をテーマにしたシリーズ物の第一作目です
第二作は今年中にはUPしたいと思います
―――――忘れないよ。
ふと彼女の言葉が脳裏に浮かぶ。僕の悲痛な心の叫びはもう届かない。手を伸ばそうにも、もう触れることすら叶わない距離まで離れたのだ。僕の愛した彼女は遠い地へと去っていく。僕に何も告げずに。それは、彼女の意思なのか、それとも不可抗力によってなのか。
そんなことを考えながら、僕は始まりの日を思い出していた。
あれは僕らの住む街に、今年初めて雪が降った冬の日。
僕は当時流行していたインフルエンザに罹ってしまった母親に代わり、近場のスーパーへ買い出しに行っていた。
土曜午前10時。突然降りだした雪に凍えながら、僕は川沿いの道をゆっくりと歩いていた。積もりそうではないな……。と、内心呟いていた僕の視界に、見たことのある少女が目に入った。
――――――これが僕と彼女の、ハッキリとした出会いであった。
彼女は数台の自販機の隣に設置された古びたベンチに腰掛け、虚空を見つめていた。
確か名前は朝霧 優奈。クラスメイトだけど、どちらかと言うと暗いイメージを持っていたので、今まで話したことはなかった。最も、教室での彼女の心からの笑顔を見たことがない。というのが一番の理由だろう。
今、目の前にいる彼女も、何処と無くミステリアスな雰囲気を醸し出していたが、こんな雪の中では寒そうにしか見えない。
素通りする訳にもいかなかったので、僕は声をかけた。
「寒くないの?」
すると彼女は、
「寒いよ」
と、何故か微笑んだ。しかしその笑みからは暖かさは感じられず、彼女の心は見えない。
「何でこんなところにいるんだ。とか思ってるでしょ?」
朝霧 優奈はそう言いながら、服についた小さな雪を払っていく。
「そうだね」
曖昧に返すと、今度はそっと呟いた。
「………全部、忘れたかったんだよ。何もかも、自分さえ」
何を言っているのか解らなくて、僕は思わず訊き返した。
「……なんで?」
雪の冷たさが、僕の思考を鈍らせていく。言葉の重さを全く理解できなくさせていた。
「もう忘れたよ」
クスッと笑い、彼女は立ち上がる。そのまま右手をヒラヒラさせると去っていった。その方向は僕の家とは逆方向。僕は追いかけはせず、ただまっすぐ家に帰った。
「あれ、遠野君もこっちだったんだ」
そう声をかけられたのは、あの雪の日から三日後の放課後。振り替えると優奈がそこにたっていた。
「そうだよ、キミもだったんだ」
本当に今まで同じ帰り道を帰っていたのか。そう思わせるほど、僕は登下校で彼女を見たことはなかった。
「私ね、いつもはギリギリまで学校にいるの。だから登下校で会ったことがないんだよ」
彼女は僕の隣を歩きながら、割かし高めの声で言った。肩に掛かるくらいの長さの髪が、冬の寒風に揺れる。
「何の部活をしてるの?」
僕は尋ねた。
「あ、勘違いしてるね。私部活入ってないよ。嫌いなんだ、人と関わるのが」
まるで世界を拒む人のように、淡々と彼女は話していた。
「教室では友達と仲良く話してるよね」
彼女は一瞬、間をおいて
「心から笑い合えないのを、友達と呼んじゃいけないよ」
彼女は僕に目を合わせ言った。その言葉には、何か言い様のない想いが秘められているのは確かだった。
……訪れた沈黙。気づけば僕は、浮かんだ言葉をそのまま発していた。
「僕は、キミが笑ったところを見たことがない」
沈黙を破った一言に、僕と彼女は思わず立ち止まる。きょとんとした表情を向け、彼女は言った。初めて彼女の造られていない表情を見たと僕は思った。思っていたよりも随分可愛らしい子であったと。
「え? 私、割りと笑っているよ」
僕も彼女も寒さにやられ、頬が赤く染まっていく。
「造ったような笑顔しか見たことないよ」
彼女の表情が暗くなった気がした。いつもとは違う、ありのままの、自然体の表情に。
「スゴいね、遠野君はわかってたんだ。……そうだよ。私はいつも造り笑いで笑っているんだよ」
悲し気に、そっと言った。スゥッと息を吸い、彼女は続けた。
「みんなが何で笑っているのかが、全く解らないんだよ。ずっと造り笑いを続けてたら上手くなってさ。これって感情欠陥だよね」
またしても、肝心なところになると彼女は去っていってしまった。ゆらりゆらりと角を曲がっていく彼女。その姿を見ていると、心が締め付けられるような感じがした。
それから僕と彼女は、よく帰路を共にした。友達でも無いのに。
教室での彼女は、一言で言うと楽しさを理解できてない ように見えた。というより、楽しいことを忘れ去ってしまっているような感じだ。
過去に何か辛い経験でもしたのだろうか。だがそれを僕は知りたいとも思わない。
彼女の言っていた、変わった言葉が思い浮かんだ。
―――――――全て忘れたかった。
―――――――感情欠陥だね。
「ねぇ、並行世界って知ってる?」
唐突に、彼女は訊いてきたのは、僕らが公園で出会った日から二週間後の帰り道だった。
「あれだろ、こことは全く別の世界とか言う」
ふわりと微笑み、彼女は僕に説明する。
「うん。そこはね、私たちとは全く違う時が流れてて、この世界の理論や原理が覆るような世界なんだよ」
なんでそんな話をするのか、中学生の僕には皆目検討もつかなかった。だが、こんな空想じみた話をするのも中学生らしいなと、僅かに面白かった。
「で、それがどうしたんだ?」何故彼女が空想じみた話を持ち出したのか、僕の好奇心が気になった。
「………違う世界に行けるなら、遠野君は行きたいと思う?」
…………言葉に詰まった。
それは一瞬《行きたい》と思ってしまったからだ。この虚言や嘘にまみれた冷たい世界から抜け出したい、と。だが、こんな世界にも本気で笑い合える暖かい場所はある。
「今は行きたいとは思わないな。もし行けるなら、全てをリセットしたい時に僕なら行くよ」
身体か冷えている感じがした。思考が鈍る。
僕らはいつものように川沿いを歩いていて、彼女はしばらく口ごもり緩やかな流れを目で追っていた。
「私もそんな感じだよ。世界から逃げ出したくなったとき、違う世界に行ければ楽なのにね……お兄ちゃんみたいに」
「……お兄ちゃん…?」
「ううん。何でもない」
彼女の目に、涙が一滴浮かんでいたように見えた。触れてはいけないような気がしたので、僕は目をそらす。気づけば川沿いを歩いているのは、僕たちだけになっていた。
「遠野君が始めてだよ。私が全然笑ってない なんて言ってきたのは」
「昔から、何と無く解るんだ。……僕もそうだから」
人にはそれぞれ隠しているものがある。それは悪意だったり、辛さだったり、信念だったり色々だが、僕にはそれが見える。
そう思い込んでいるだけかも知れないけど、いつの間にか人と距離をとっていた。
それはきっと自分に原因があるのだろう。人の中身が見えるのが怖くて、自分をさらけ出すのも怖かったのだから。
「変わったこと言うね。でも、遠野君は私とは違うじゃない。遠野君は心から笑うことができる」
――――――あぁ、できるさ。だけどしたくない。
人に見せたくない。心からの笑みを人に見せたとき、自分が終わるような気がする。
人に自分を見透かされたような気がして、とてつもなく怖いんだ。
「キミだって笑えるだろ」
そう声を絞り出すと、僕が思っているのとは違う答えが返ってきた。
「………笑えないよ。 心から笑わないんじゃなくて笑えないんだよ」
彼女の表情は悲しげには見えなかった。それはまるで、笑うことを忘れたかのようだ。
「心から楽しめないなら、この世界にはもう未練はない。って思ったの」
その時の僕には言葉の重みが届いていなかった。寒さによってなのか、思考が更に鈍っていく。
「それで、全て忘れたい なんて言っていたんだ」
僕が知る限り最大の笑みを浮かべて彼女は言った。
「大当たり」
僕たちはいつもの曲がり角まで差し掛かり、彼女は笑みを浮かべたまま曲がる。その背中に僕は呟いた。
「別に忘れなくても、いいんじゃないかな」
ふとそんなことを言っていた。……彼女は静かに振り向き、
「そうかも知れないね。でも、遠野君のことは、忘れないよ。」
――――――あのときの微笑みが本物なのかは、僕には解らなかった。
そして、彼女は姿を消した。
だが僕は、彼女がどこにいるのかがわかる気がする。きっと彼女はこことは違う世界にいるんだ。
そう、並行世界に。
今日は一人でいつもの川沿いを歩いている。やがて見慣れた曲がり角まで差し掛かり、僕は見つけた。地面に置かれた、四つ折りの白い紙を。そっと拾い上げ、目を通した。
遠野君へ
突然いなくなってごめんね。
でも、遠野君ならわかってくれる気がする。もう言っちゃうよ、私は違う世界から来ました。その世界が怖くて、怖くて笑えなくなっちゃったんだ。
そして、逃げてきた。
漂うような毎日を過ごして、全てを忘れたいと思うようになった。 でも君は私を驚かせた。君は違う視点で私と話していた。それが妙に心地よくて、並行世界なんてことも言ってしまった。
君のことは、忘れられない。
だから私は、元の世界に戻ることにします。
たとえそれがどんなに辛いことになっても、私は後悔しない。
朝霧 優奈より
――――自然と、涙が頬を伝った。涙ってこんなにすぐ流れるんだ。改めて実感した。
僕は知らず知らずのうちに、彼女に恋をしてたんだ。
普通とはかけ離れた雰囲気を持つ彼女に。
――――――僕も君を忘れられない。だから君のもとへ行きたい。
僕の悲痛な叫びがようやく届いたのか、音もなく目の前に見たことがない扉が現れた。
扉の先はわからない。
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