夏雪
携帯サイトに載せてたやつです
異常気象。……なんて言葉もだいぶ聞きなれた。
外の気温は35度を超え、28度と表示されたリモコンの下を向いた三角形を連打する。
台所でシャカシャカと音を出している姉は、ボウルにせっせと雪山を作り、やけに甘くて味気ないをシロップをたっぷりとかけた。
「温度、下げすぎよ」
「んん……だって暑いんだもん」
明るすぎて圧迫感の強い窓の中の景色から、ジージーと蝉の声が薄らと聞こえてくる。数ミリ先の世界が遠い世界である事を願う。
上を向いた三角形を姉がピッピと押すと、肌のぶつぶつがすっと消えていった。
「ほら~、寒かったんだ」
姉はふわりと笑う。
どこか遠い世界にいるような。
「異常気象ってなに?」
「そうねえ、想像もしなかった天気になることとか?」
「想像してたら異常じゃないってことでいい?」
半分の困惑と、残り半分の何か。姉の顔はいつか見たあの空のように、どこが天井なのかわからないほど掴み様がなかった。
せめて雲があれば、それ以上高い所にあるんだなと少しはほっと出来たのに。
しゃしゃりしゃりしゃり、かきんかきん……雪山はどんどん減って行く。
腕にまたぶつぶつと出てきた。
ぷるっと震えた体から吐き出された息はエアコンの空気より冷たい。
「真冬だね。真冬」
「真夏よ。真夏」
誰が決めたか知らないけれど、こんな日に雪が降ったら異常気象なんだそうだ。
だけど、想像していた通りに雪は降ってくれないのも事実だ。
相変わらず僕と姉の言葉は近くまで来て絡み合わずに通過する。それがわざとだとわかっていて。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
「帰るの?うちに?」
「そう。うちに帰る」
姉の“うち”は去年の夏休みと今年の夏休みでは違う場所になっていた。
去年の夏休みも今年の夏休みも同じようにゴロンとしている僕には、海と空が逆になったような違和感がある。
血の繋がらない姉弟。
紙切れ一枚で繋がった姉弟。
それが僕らの人生を大きく狂わせているなんて、市役所の人は知らないんだろう。
「うちに帰ってきなよ。……ってかさ、」
しゃしゃりと言う音よりも、かきんかきんという音の割合の方が増えた。
ずずっと薄まったシロップを口に流し込むと、シロップはさっきより味気が出ていて、安いジュースみたいにおいしかった。
「姉ちゃん?」
「なに?」
「……優香」
黙ってる1歳年上の姉。
本当は異常気象なんかじゃないんだよ。たぶん。
「……名前で呼ばないでよ」
「いいじゃん。優香は優香だもん」
僕だけの優香。
「異常だって言われるから」
「他の人はそういうけどさ、なんでなんだろうね?」
隣で正座してる優香が、膝の上で手を固く結んでる。僕はその手の上に自分の手を重ねた。
「本当は、雪……降ってたんだよ」
だけど、雪の降る季節を冬だと誰かが決めただけの事。
何も不思議な事じゃない。
お互い無理に別の好きな人を作った。
雪は冬に降るものだって受け入れるために。
「じゃあ、そろそろ“戻る”から」
「……また帰ってきてよ」
優香の火照った頬に人差し指をぷにと付けた。
「……うん」
***
姉が玄関から出ていった後、エアコンを止めた。
窓をグイと開けると、外に溜め込んでいた空気が一斉に入ってきた。
冷凍庫の氷を持ってきて、機械に入れて、シャコシャコと回し始めた。
「寒いから雪が降るんじゃない」
僕はさっきまでの過ちに気づき、機械を回し続ける。
雪山がどんどん大きくなるのを見ながら、姉が早く帰ってこないかなあ……と思った。
今日、雪が降ったら。
それは異常気象なんかじゃなくて、運命だ。
運命であって欲しい。
真っ青な空に、ニョキニョキと入道雲が昇ってゆく。
高く、高く。
掴めそうなくらいに。
ありがとうございました。