続き
俺は、とっさに頭に浮かんだことを口にしていた。
「あの、彼女、遅刻したんじゃないですか?」
遅刻してしまう。
急がなきゃ。
車は来てない。
走って、走って…
こ ん な ふ う に 急 い で
急いで、転んだ。
散らばってしまったバッグの中身。
普段はめったに通らない、少しスピードの出た車。
転んだ彼女に、運転手は気付かず、
落ちたものを拾い集めていた彼女は、慌てて立ち上がろうとする。
焦りのせいか、うまく立てない。
高い、大きなブレーキの音
悲鳴。
自分の記憶を思い出すように、映像と、彼女の思考が俺の中を駆け巡った。
「そうだよ!急いでて、急いだから、伽耶は…あいつは!」
男はうつむいた。
俺の中に突如浮かんだとおりのことが、あのキレイなお姉さんに起きたのだと、微かに震える彼の体が語っていた。
だとしたら、伝えられるのは俺だけなんじゃないか?
「待ってるんです…まだ」
死んじゃってるんだ、あの人。
「何を、言ってるんだ?」
意表をつかれ、一瞬表情をなくした彼は、
怪しいと思ったのだろう(当然だ)、すぐに眉間にしわをよせた。
当たり前だ、俺たちの言ってることはめちゃくちゃインチキくさい。
急いでたための事故、なんてありがちだし、当てずっぽにも聞こえる。
でも、もう確信したしそんなのカンケーねぇ。
だって俺は、知ってるんだ。
あの人は、あんなに優しく俺に笑いかけてくれたのに。
話だってしたのに。
はっきり見えた。
透けてなんてなかった。
俺と話して、楽しそうに笑う声をはっきり思い出せる。
一年も前の映画。
その間、きっと、ずっと待ってたんだ。
「あんたを!」
俺は、明らかに戸惑っているその人の目を正面から見た。
俺の背後に立っていたスズキが、そっとその人の手を取った。
「いかなきゃ」
そう言って。
それは、不自然なハズなのに、なぜかとても自然な動作に思えた。
振り返るとスズキは、
何もかもわかっているから、
そんな瞳をしていた。
スズキが引っ張るようにして彼を連れ、俺達は広場の銅像の前へやってきた。
彼女はまだいる。
俺を見つけて、軽く微笑む。
そして、俺の後ろの彼に気付く。
「カズくん…」
「あなたがたは、伽耶が本当にいるって言うんですか?」
スズキの力は強く、手を振り解こうとしてもできないようで、迷惑そうな彼。
彼には、彼女が見えていない。
信じられるわけもなかった。
せっかく目の前にいるのに、声も聞こえていないようだった。
どうしよう。これは、俺にはどうにもできない。
ちょっと弱気になった俺は、思わずスズキのほうを見た。
「ちょっと、ごめんね」
スズキは、”カズくん”の目に軽く手を当てた。
「わっ?!」
「じっとして」
それから、耳に。
「…見えるでしょう?」
まぶしいものでも見るように、おそるおそる彼が目を開けた。
戸惑うように彼を見つめている伽耶さん。
確かに彼の目はそこに焦点を結んでいた。
スズキが、なにかしたようだった。
「か…や?」
「カズくん!」
そのとき、周囲の雑踏が作り出すノイズが、一瞬にして遠くなった。
なんだか目がチカチカして、
これは俺だけの錯覚かと、不安になりまたスズキのほうを見た。
ヤツは意味ありげに、ニコリと笑った。
まさかコイツ、何かしたのか?と、アタマの片隅でそんなことを考える一方、今は目の前の事の方が大変だった。
”カズくん”と伽耶さんが抱きしめあっていた。
…って、ヤバいだろ!これ。
さっきまでの”カズくん”みたいに、
伽耶さんが見えない人たちがこれを見たら…。
「ごめんな、ごめんな!ずっと、待たせてたんだな、伽耶」
”カズくん”が謝っている。
周囲のギャラリーはなぜか無反応だった。
まるで、俺たちなど見えていないように。
まあ、もしかしたらヤバい人と思ってスルーしてるだけかもしんないけど、
それにしても一人としてこちらを見ていないのは、なんだか不自然だった。
おかしい事だが、今は都合よくもあり、結局、俺は気にしない事にした。
「違うよ、待たせたのは、わたしだよ?」
伽耶さんが、すまなそうに笑った。
「ずっと、ずっとね、謝りたかったの。」
”カズくん”は、何のことかわからない、といった顔で伽耶さんを見ている。
「待ち合わせ、いけなくてごめんね、って」
「…伽耶」
それが、彼女の心残りだったようで、
生きている人間と見分けがつかなかった彼女は、たちまち姿が薄れ始めた。
「伽耶、伽耶!だめだ!いくな!」
悲痛な声音、だだをこねるコドモのように、ぶんぶんと首を振りながら、
くしゃくしゃになった表情は、泣きたいのか、怒りたいのか。
「それだけ、いいたかったの」
綺麗な伽耶さんが、最後に見せた微笑は、悲しそうで、だけど優しくて、
今までで一番美人に見える笑顔だった。
女の人が、恋人にだけ見せる一番きれいな表情っていうのがあるとしたら、
これがそうなんだろう。
その笑顔の余韻が、淡い光になって消えていく感じがしたかと思うと、俺達の耳には周囲の雑音が蘇った。
置いていかれた”カズくん”もそこにいた。
目が合った。
その視線は、ほんの少しだけ、力をとりもどしているように見えた。
「ありがとう、伽耶に、もう一度…会わせてくれて。」
意外と落ち着いているのは、死んでしまった彼女が、ずっとここにはいられないと、どこかでわかっていたからなのか。
俺は
「いえ…」
としか言えず、ただ見つめ返していた。
「あいつ、笑ってた。行くなって言ったのに、行っちゃった。言いたいことだけ言って。はは…俺、おいてかれちゃった。」
無理に笑う彼を見て、俺も少しだけ、愛想笑いをしてみた。
「きっと、いつまでも過去を見てちゃダメだ、ってことなんでしょうね。」
彼の感じたこと。
彼女が消えた意味。
キレイな笑顔が、少し悲しそうだったのは、本当は一緒に居たかったから。
それでも、最後に伝えたかった言葉だけを残して消えたのは、彼に生きていてほしいから。
自分自身の人生を。
「なんてお礼を言ったらいいか…」
「いや、お礼とか、別になんもしてないスから・・。」
「ほんと、ありがとう…ありがとう、ございました!」
俺達に一礼すると、彼はしっかりとした足取りで去っていった。
ぼんやりそれを見送っていると、視線が突き刺さるのを感じた。
スズキだった。
「アキヤ…僕、関わるなって、いったよねぇ?」
今まで見たことがないくらい不機嫌な顔、低い声。
俺はコイツを怒らせたようだった。
「何だよ、別に、なんもなかったじゃん…」
「たまたま!解決できたからだろ?」
そのあと、俺は幽霊の怖さについて、たっぷりスズキのお説教を聞かされた。
幽霊は、本人も自覚せずにとりついて相手の生命力なんかを奪ったり、無意識に死ぬようにしむけてしまったりすることがあるらしい。
つまり、普通の人間が不用意に死人に関わると、お仲間にされちゃうらしいのだ。
「俺が普通なら、お前は普通じゃないわけ?」
あまりにエラそうな、そしてウサンくさいお説教にウンザリして俺が訊くと、
「普通だって思ってないでしょ?」
当たり前のようにそう答えた。
確かにそうだけど、お前を普通だと思ってないのは、俺だけじゃないぞ。
なにせ金髪碧眼、見た目カンペキガイジンのくせにスズキと名乗り、何もない空間とたびたび話す妙な男なのだ。
とにかく、そんなスズキの協力もまじえて、このときは無事に一件落着となったのだった。
それがもう数ヶ月前。
そして、あの場所で待ち合わせをすると、今でも時々
二度と会えない彼女の笑顔を思い出す。