続き
いいや、そんなわけはない、この人はどこにでもいる
ただの人。
さっきの風は偶然、光は・・・たぶん私、疲れていたんだ。
あの影も、死のうとしたのも、きっと精神的に疲れてる
から。
彼女が何ともなさそうなのを確認したのか、八敷はゆっくり手を離した。
「言い訳とかさせねーから。」
いつもヘラヘラしているこの男の、こんな怖い顔を見たのは初めてだった。
「何が?」
「飛び降りようとしたろ。そんなこと・・・・すんなよ。」
叱るように、でも最後の方は辛そうに彼は言った。
少し、心が動いた。
いや、こんな人に私の気持ちがわかるわけはない。
自殺は止めたほうがいい、みんながそう思っている、多数派の考えに従っただけに違いないのだから。
「景色を見に来ただけ、何を言ってるのかわからない。じゃ、帰るから。」
少しきつく彼をにらむと、彼女は校舎の中へ戻ろうとした。
「待った!」
「何?」
まだ何か偉そうに説教するのかと、少しイライラしながら彼女は振り向く。
八敷は、いつものように笑っていた。
「庭月さんさ、ちょっと俺につきあわない?つか付き合え。」
彼女の姓は、庭月といった。
あまりに勝手すぎる物言い。
「どうして?」
なぜか、嫌と言い損ねた。
「えー・・・・っと、あ!お詫びお詫び!なんか怒ってっから!ね!」
「怒ってない」
「怒ってるって!今も怖い顔してっしさ!」
さっきあんな怖かったあなたに言われたくない!という言葉を飲み込んで、また嫌と言い損ねる。
「よしきまりー!行くよ!」
ポケットに手を突っ込んでさっさと先に歩き始めた彼に、しかたなく、というわけでもなく、まあいいか、と諦めたように彼女はついていった。
黒い影も消えて、死にたい気持ちも、とりあえず今はなくなっていた。
日はだいぶ傾き、視界全てが例外なくオレンジ色に染まっている。
八敷と、後ろからついていく庭月。
会話がなくて落ち着かない。
庭月は思った。
なぜだろう。ふだんは人と会話なんてほとんどしないし、だからそんなこと気にしたことなかったのに。
男の子と二人きりだから?
多分そう。
なんだか緊張してしまう、そんなことを考えていると不意に彼が振り返った。
いつもの明るい顔で。
「庭月さんて、静かだよな?キホン。」
知性が感じられない、だけど好感は持てる。
見た目が良いわけじゃないこんな人、どこにだっている。
だけど、今思えばこの人が一番、私を普通に扱ってくれたんじゃない?
くだらない世界のくだらない人間達。
何の価値もない。
そんなふうにしか周りを見ていない私にとって、この世界の全ては馴染めない場所、出会う人間全てが他人。
だから、相手もまた私を「他人」としか認識しない。
誰からも距離を置かれる存在、それが私だった。
だけど、この人は違った。
仲のよい友達に話しかけるように、私にも話す。
会話が、続かなくても。
私が、いつまでたっても距離を置いたままであろうとも。
おとなしくついていくと、コンビニへ連れてこられた。
入り口にベンチが置いてあり、
「買ってくるから座ってなよ。コーヒー、飲める?」
私は座って、うなずく。
あたりは薄暗くなり始め、気温も少し下がったのを感じる。
そういえばここ、ちょっと前まで、イケメン店員がいる、なんて女子がつめかけてたっけ。
しばらくしてその店員がいなくなると、このコンビニの人気も潮がひくようにおちついて・・・、などと考えているあいだに彼はすぐ戻ってきた。
「にくまんとピザまんどっちがいい?」
真面目な表情と、どうでもいい質問。
「どっちでも」
そう答えた私にはピザまんと、コーヒーを手渡し、彼はにくまんを頬張り、そして笑顔。
「ガッコおわるとハラ減んね?食いなよ。」
そのままそこで、一時間くらいしゃべった。
歴史のムカつく先生が黒板のほうを向いている間に、そのハゲ頭に男子何人かでいっせいに鏡の光を反射させた話。
(そういえばまぶしかった。)
「あん時、女友達全員から鏡借りたんだよね」
「ふふ」
隣のクラスの友達に体操服を貸したら、汗びっしょりの状態で帰ってきて、次の時間湿ったソレを着用して授業をうけるハメになった話。
「嫌ぁ・・」
「すげえ汗染みてやんの!くせえし!」
「あはは」つまらなかったはずの学校の、私の知らない色んな楽しい話。
彼が話し、私が笑い、彼も笑った。
久しぶりにたくさん笑って、話した。
話すことなんてないと思っていたのに。
「もう暗いし、駅まで一緒に行くよ。」
彼が言い、私は腰を上げた。
駅までの道も、ずっと話しながら歩いた。
あっという間についてしまい、彼が片手をあげた。
「また明日な!」
「うん、また明日」
笑顔で応じる自分が、少し恥ずかしかった。
ちょっと前まで死ぬ気でいたのに、もうこんなにはしゃいでいる。
だけど、楽しかったし、また明日彼の顔を見るのが楽しみだった。思わず、呼びかけた。
「ねえ、八敷くん!」
私は、あなたを友達って思ってもいいの?
「私が・・・明日、私から話しかけてもいいかな?」
自殺なんか考えてるような暗い女が、クラスで浮いてる人間があなたに話しかけてもいいですか?
言ってから後悔した。
イヤに決まってる。
なら彼はどう取り繕うのだろう。
「は・・・?言ってるイミがわかんね」
ぽかんとした顔。
「ごめ・・・」
とっさに私は謝った。
「何であやまんのよ。つか聞くなよそんなん。」
困ったように、でもおかしそうに笑う彼の表情でわかった。
いいも悪いも、最初からこの人はそんなこと気にしていない。
そんなことは、彼にとって気にならないくらい小さいことなのだと。
「あ」
彼が何か思い出したようにつぶやく。
「なに?」
「いまのさ、『いいとも!』が正解?」
お昼にやってる、アレのこと?
今度は私がぽかんとして、笑った。
「あ、違うのかよー。ヘンなこというなよな!じゃ!」
照れくさそうにそういって笑い、もう一度片手をあげると、彼はもと来た道を戻っていった。
晴れた朝。
軽い足取りで学校へ向かう。
「おはよ、庭月さん!」
「おはよう、八敷くん、昨日はごちそうさま。」
ああ、今日も八敷くんから先に声をかけられてしまった。
じゃ、休み時間には私から話しかけてみよう。
少し勇気がいるけど、でもそれはきっと楽しいに違いない。
世界は昨日と変わらず、汚い。
だけど、それが全てじゃない。
彼が、彼に話しかけようとする自分の気持ちが、昨日まで何も感じなかった色んなことが、今日は私を楽しくさせてくれる。
だから、もう一度よく見てみようと思う。
本当は素晴らしいのかもしれない、この世界を。